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The chair-man 椅子屋になった男の話#5

ロンドンでは、ほぼ毎日マイケルのスタジオに遊びに行きました。
その頃は彼も仕事が遊びと言った感じでした。

当時、丁度マイケルがフラワーベースを売り出したところで、遊びに行く途中ストリートの花屋で売っていたガーベラを、フラワーベースに似合うと思いプレゼントしました。

彼はそれをすごく喜んでくれて、その後は、その花瓶が雑誌に登場するときは必ずガーベラの花が生けてありました。

マイケルヤングと花

マイケルと彼の花瓶、そしてガーベラ。

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E&Y.comより


マイケルと一緒にトムディクソンの工房に行ったり、
スタルクの弟子だったクリストフピエが独立後、ギャラリーで初めてのエキシビションやるって聞いたらそこに行ってみたり。


トムディクソン工房

トムディクソン工房メタルチェア

トムディクソンの工房にて。


ある日、マイケルに僕の為に何か作ってくれないと聞くと、
「何でも作るよ、何が良い?」
と快諾してくれました。
僕は「毎日持ち運べるオブジェが欲しい」
と答えました。

そしてそれは、一年後に届きました。
当時かなり有名だった”インフレート”というデザイナー集団がいたのですが、
彼らが東京でエキシビジョンをするタイミングで マイケルが彼らに預けたのを
わざわざ東京まで取りに行ったのです。笑

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これがその 持ち運べるオブジェ。

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中央部分には、僕への手紙(ものすごく小さい!)が筒状に丸まって納められています。



当時はすごいデザイナーズブームで、
面白かったし、ある意味めちゃくちゃでした。
エキシビジョンパーティーも凄く大きかったです。

冗談のような話ですが
マイケルのソファを接客していた時に、
張地の色についてお客さんと一緒に考えていると
たまたまオブジェの件でマイケルから電話がありました。
「今お客さんが目の前にいて、ソファの色で悩んでいるよ」
と伝えると、「俺はブルーの張り地を貼った奴が気に入っているんだよね」
と言うので お客さんにそのまま伝えましたが、
ウソでしょと言って信じてくれませんでした。
WITHの店舗の時です。あの頃は、本当に色んなデザイナーと普通に連絡を取っていた時代でした。



ロンドンに行った時に、ついでにオランダにも行きました。
その当時はリチャードハッテンだとか、ドローグデザインだとか、オランダのデザイナーが沢山出てきていたから、
面白そうだと思って観光へ。

ビンテージの70年代の家具なんかを売っているお店が沢山あって、
すごく面白かったです。

オランダでは美術館にも沢山行きました。
日本ではゴッホが一枚来るだけで、何万人と人が集りますが
オランダのゴッホ美術館はそんなに人もいなくて、ゆっくり回ることができました。
もちろん大英博物館やナショナルギャラリーで、あのレンブラントやフェルメールなどを間近に見ました。



元々、美術館を回るのは好きでした。
10代の頃は美術館なんて全く興味が無かったけれど
アメリカでルームシェアしていたアート好きの友達から影響を受けたのがきっかけでした。
彼は年下でしたが在日で、やっぱり国籍を2つ持っていると感覚が全然違うんだなと思いました。

「新、面白い美術館が出来たらしいから行こうよ」と
連れて行ってくれたのがLAにある”テンポラリーコンテンポラリーミュージアム"。
*現ロサンゼルス現代美術館

磯崎新という日本の建築家が造ったもので、
丁度その時がお披露目の年でした。
85年かそれくらいのこと。

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その一回目のエキシビジョンが横尾忠則と、ジェームズ・タレルだったと思います。
そこに行った時に一発でやられました。
アートって体験出来るんだ!
こういうのもアートなんだって。
それがめちゃくちゃ楽しくて、ずっと忘れられませんでした。


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