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△6 過去ログ「今週までのパレット」(旧・Pallet)2020.8.13~2020.6.1

2022.9.20 お借りした画像はキーワード「想い出」でご縁がありました。丸い猫も、女の子も可愛いですね。無加工です。ありがとうございました。

(2020.8.13)

@ 『 いいことずくめの新型コロナ「指定感染症解除」に、厚労省が後ろ向きなワケ

… 中略 …

ここまでお話をすれば、筆者が何を言いたいかわかっていただけるのではないか。厚労省という組織のそもそもの存在意義は、「結核撲滅」に代表される感染症対策なのだ。感染症対策といえば厚労省、厚労省といえば感染症対策なのだ。そんなアイデンティティを、外野から「現場が疲弊するから諦めろ」などと多少ガチャガチャ言われたくらいで、否定することができるだろうか。

できるわけがない。厚労省というブランドを背負う者にとって、「感染症対策をするな」というのは最大級の侮辱であって、決して受け入れられるものではないのだ。たとえるのなら、トヨタ自動車に「若者の車離れが進んでいるから、もう車をつくるのはやめたらどうか」と言うのと同じくらい、あり得ないのである。
 
「いやいや、戦時中には感染症対策に強いこだわりを持っていたかもしれないが、今の厚労官僚たちにそんなプライドはないだろう」と冷笑する方もいるかもしれない。しかし、戦前から続いている老舗企業などを見ていただければわかるが、組織カルチャーというものは世代を超えて脈々と受け継がれていくものなのだ。今の厚労官僚たちが、陸軍にルーツを持つ厚生省カルチャーを引き継いでいても、何も不思議ではないのだ。

… 後略 … 

(ノンフィクションライター 窪田順生) 』

( 2020/8/13(木) 6:01配信「ダイヤモンド オンライン」 )


@ 『 焦点:コロナワクチンに接種拒否懸念、開発「急ぎすぎ」に不信感 』

〈 ロイター2020年08月13日 08:20 (配信日時 08月13日 08:13) 〉


先日、TVのワイドショーで、専門家が、「摂取する人、いるのかなぁ」と、「ワクチンへの不信感」を口にしていました。「逆に病気になることもある」という意味の話も付け加えて。

すでに、「新型コロナウイルス」そのものへの対処法をめぐって世論が二分していますが、今後「ワクチン」をめぐっても世論の二分が起こるのでしょうか。


@ 地元には大きな花火大会が二つあって、内一つは、旧家の窓から少し見えたのです。

新家に引っ越してからは、「そう言えば、この家から、もっとよく見えるはず」と期待していましたが、コロナ過で「密」を避けるために中止になってしまいました。

だから、花火の音がしない寂しい夏に…と思っていたら、先日の夜8時ごろに、いきなり「ド~ん」と音が。

あわててベランダに出てみたら、「密」になることを避けた「ゲリラ花火大会」のようです。

もちろん新居からは、旧家からオペラグラスで見たように大きく見えました。これには大満足。

花火は見た目もきれいですが、それより驚いたのは破裂音の破壊力。

物干しざおの端でお腹を突かれたような、ライフルの弾丸を食らったような衝撃波が来るのです(くらったことはありませんが)。

そして続いて サイダーの泡が口中で弾けるような、散弾をあびたような衝撃波も。

花火の醍醐味というのは、その光と音の総体だったと、改めて知りました。

翌日、花火を打ち上げた公園に行ってみましたが、痕跡はきれいに撤去されていました。

しかし、いつもはうるさいぐらいに鳴いているカラス君たちが、妙に静かになっていたのです。感覚的には1/4以下といったところでしょうか。

彼らはトラウマを負ったのでしょうか。ノー天気なセミ君とは違って。

追記

ちなみに、6月1日全国ゲリラ花火には参加しなかったようです。


(2020.8.12)

@ その色、その面積、ちょうどそのくらいが良いです。


@ 涼しそう。

私もシャワー浴びてきます。


@ 「気のボール」の手触りは、

何かが溶けていく感触に似てなくもありません。

冷たくないドライアイスがあったとしたら、それを、素手で撫でている感触には近いのかもと、思いますが、ドライアイスのような個体ではないので、同じではありません。

あっ、

無重力空間で浮かぶ、人肌の温度の、玉になった直径1mぐらいの水、しかも、手のひらには油を塗って濡れないようにして、水の外周をそろりと撫ぜる。

それ、やってみたいです。

「気のボール」に近いかも。


宇宙に行かなくとも、風呂に入って、水面に手のひらを浮かべる。

表面張力や浮力で、手のひらに抵抗を感じます。

強く押せば、中に入ってしまいますが、

入らないように、水面に浮かべた手のひらで水面を撫ぜる。

これが一番簡単かもしれません。

でも、本物の「気のボール」には、ビロードを撫ぜているような乾いた感触もあるので、同じではありませんが。


@ スイカを食べている彼女は、

何を考えているのでしょう。

心は、スイカを食べてはいない。

はるか遠くの一点を見つめています。


@ 「 香港 逮捕された民主活動家の周庭氏保釈「政治的弾圧」と批判 」

( 2020年8月12日 4時24分「NHK」 )


保釈されたことは良いことですが、(国際世論の反発に驚いて、「逮捕しなきゃよかった」と保釈したなら)ある意味これも「朝令暮改」!?


(2020.8.11)

@ 1時間前に映画館でチケットを買いました。

他にほとんどお客様はいませんでした。

しかし、1時間後に入場してみると、私の周囲は「密」になっていたのです。

座席は一つおきになっていますから良いのですが、だからと言って「一つおきにキチンと座る必要はない」のです。周囲を見渡せば、ガラ空きですから。

でも、私の後から来たお客様は、「密」を承知でその座席を選んだのです。

この謎についてしばし考えたのですが…

(映画館はかなり安全だと思いますが)新型コロナで連日感染者増が報じられている今、それでも映画館に来る人は「いちげんさん」ではなく、コアな映画ファンが多いのでしょう。

コアなファンにとっては、自分の定位置というものがあって、それは、無意識に「密」より優先するのかもしれませんね。

追記

いや、座席表に×が表示されている場所が、使用禁止なのか売約済みなのか、画面上では区別されていないとしたら、買う人が「×の塊を使用禁止エリア」だと誤解すると、「密」になっていることを自覚せずに客が集まってしまうのかもしれません。もしかしたら私も?

あと、「いちげんさん」みたいな人が、「シートは行儀よく並んで座るもの」だと(それがマナーだと)誤解している場合もあります。コロナ過になるまえに、そんな状況に遭遇したことが。ガラガラなのに私の隣席にくっついて座らなくても…という。


@ 2020.8.7に「思いつきでの『朝令暮改』を排除するため、民間企業を思わせるような斬新な企画に、(自覚すらしないような)微かな嫌悪感を感じることは、公務員には必要な、ベーシックな感性」と書きました。

裁判に検察側と弁護側があるように、今でもこれは必要な感性だと思っています。

今回は、そこにもう一つ付け加えたいと思います。

民間はお客様の選別が出来ます。

「このような人に買ってもらいたい」と、ターゲットを絞って、効率的な商売をすることが出来るのです。

しかし、原則として、役所はお客様の選別が出来ません。

言葉は適当ではないかもしれませんが、底辺に位置する人、気が動転して質問にも答えられないような人を、事実上、排除してしまうようなシステムがあったとしたら、普通の人には便利であっても、手放しでウエルカムにはできない場合もあるのです。


(2020.8.10)

@ 「寅さん」シリーズが何度もTV放送されています。

平成になった時には、昭和を懐かしむ道具になりましたが、コロナ過では、そのなつかしさが、さらに増幅されています。

「古き良き時代」というのは、「寅さんのいた時代」だったのですね。


@ ちまたはマスクの世界です。

(本来は自分のウイルスで外界を汚染しないためでも)、気持ちの上では逆に、外界にはウイルスがまん延しているとして、マスクで拒絶しているのです。そうやって、文字通り、息をひそめて生活しています。

しかし、その意念の下では、新鮮な「外気」との交流が停滞してしまう。そう思います。

きれいな外気との一体感の中で生きるのと、拒絶して生きるのとでは、気分の問題だけでなく、意念で動く「気」の動きも違ってくるので、長い間には健康に影響するはずです。

人混みの中では無理でも、せめて公園を散歩するときには、「外気との一体感をつとめて意識しながら過ごす」「透明人間のように外気に溶け込んでしまいたいと願う」「吹いてくる風が体を透過し、浄化して出ていくのをイメージする」のが正解だと思います。


(2020.8.9)

@ [ 東京都で新たに331人感染・重症者23人……「本当に必要なのは重症者の『内訳』」辛坊治郎が訴える ]

( 2020/8/9(日) 19:50配信「ニッポン放送」 )


@ 牛丼にきざみショウガは必須ですが、

とんこつラーメンにも必須ですね。


@ TVドラマ「 アンサング・シンデレラ 病院薬剤師の処方箋 」を観ています。

ヒロインは患者さんをとても大切にします。

その為、他の仕事がおろそかになったり、他人の領域まで入り込んだりして、患者、同僚、医師から苦言をもらったりすることがありますが、最後は概ね皆から感謝されて終わるのです。ヒロインはそんな自分に自信を持っており、他の薬剤師に説教したりもします。

この設定に微かな違和感を感じ始めました。

それがどこから来るのかと思えば、私の人生観からだと思います。

同僚と毛色が違えば、良し悪しはともかく浮いてしまい、嫉妬を買えば、孤立してしまうのです。黒沢監督の映画「生きる」の主人公・市民課長のように。


さらに思い出すのは、往年のTVドラマ「市川崑シリーズ・追跡」(1973年)です。

主人公は中村敦夫さん扮する優秀な新聞記者です。しかし、彼は才能あるがゆえに、逆に日の目を見ない。事件の裏側・真実まで見えてしまうがゆえに(当時の日本ではまだ希薄な概念だった)プライバシーに配慮して書けないからです。彼は評論家や小説家になった方が良かったのかもしれません。

そんな彼は、会社から見れば「仕事をしないのと同じ」であり、役立たずなのです。真実を知っているのは視聴者だけという設定であり、(まだ少年でしたが)「世の中そんなもの」という私の人生観とも馴染みました。

それに比べると、「苦労すれば報われる、きっとみんなが理解してくれる」という世界観のドラマは、少しだけ違和感を感じつつ、(失礼ながら)石原さんの魅力に負けて、とりあえず「次回も観よう」と思うのです。

追記

「書けない新聞記者」は、もしかしたら映画「ローマの休日」の影響を受けていたのでしょうか。


以下に、TVドラマ「市川崑シリーズ・追跡」について少し転載しましたが、半世紀たっても忘れられない主題歌の作詞は、若き日の谷川俊太郎さんだったのですね(現在は「朝日新聞」でも掲載中の)。

「 『 ポスト・木枯し紋次郎 』

『真実を非情なまでに追い求めるはみ出し記者!』。中村扮する大手新聞社横浜支局の記者"私"が、諸々の事件の真相を追い求めるという社会派のドラマであった。」

( ウィキペディアの「追跡 (テレビドラマ )」より抜粋 )

その主人公・"私"が苦労の末スクープをものにするのですが、最後の最後、締め切りの深夜になって、取材対象への「やさしい心づかい」から、いつも握りつぶして自宅のゴミ箱へ捨ててしまうのです。

そして「けっきょく今日も無駄足だな…」と、服のままベッドのひっくり返って一人眠ります。

決まってその時に、「子守唄のごとく」流れるのが上條恒彦さんの歌・「昨日はもう過ぎ去って」。

あのとき私はまだ未成年でしたが、カッコいい大人の姿を見た気がしました。


「 昨日はもう過ぎ去って

明日はまだ来ない

硝子戸は風に、風に鳴り

紙屑は破れちぎれる

嘘、涙、怒り

誰もが黙って探り合う

何を、何を追っているのか

擦り切れた靴の下で

地球はもう

地球はもう回らないというのに

遠くから一人の女が

ひたむきに駈けてくるとき

渇いた心に、ちいさな炎が

燃え上がる 」

( 「 昨日はもう過ぎ去って 」より抜粋  作詞:谷川俊太郎 作曲:小室等 作曲:寺島尚彦 歌:上條恒彦 ) 

( 以上、映画「SCOOP!」2016/10/4 16:09 byさくらんぼに加筆再掲 )


@ 「 【武田邦彦 8/3】超朗報です!データ的に明らかですが、実質終了しました。しかし完全終了までマスクの装着をどうすべきか? 私はこうするつもりです・・ 」
(2020/08/03)

https://www.youtube.com/watch?v=K_x04Gl-LYU


(2020.8.8)

@ 「 MAG-LEV Audio : How to Use the Turntable 」

( 2016/10/31 )

https://www.youtube.com/watch?v=Ky0D00iyHAA&feature=emb_rel_end


@ 「 座礁船燃料流出でサンゴ危機 商船三井、現地政府が緊急事態 」

( 2020/8/8(土) 10:57配信「共同通信」 )

新型コロナより…。


@ いつものように、お昼前に公園へ散歩に行ってきました。そうしたら、妙に頭痛がしてきて、「熱中症?」と思ったのです。

経験上、こんな時は水を飲めば1分で治りますから、ペットボトルから二回ほど飲みましたが、喉もあまり乾いておりませんし、治るそぶりもありません。

散歩コースを少し近道に変えましたが、このまま症状が悪化すると、家に戻る前に倒れかねません。救急車を呼ぶためにも、やはりケータイを買っておくべきでした。

「おかしいな、今日に限って」と思いましたが、ふと思いついて、帽子を脱いでみたのです。

実は、散歩に出る1時間ほど前に、帽子に消臭スプレーをかけたのです。汗臭い感じがしたものですから。

どうやら、生乾きで残っていた成分が、頭部の第7チャクラや皮膚から体内に入って邪気となったようです。

歩きながら帽子を脱ぎ、帽子と頭を風に当てたら、数分後には回復していました。

そう言えば、似たようなことが今春にもありました。ジャージに防虫剤の組み合わせでした。


@ そう言えば、

「特別な春」があって、

「特別な夏」が来て、

たぶん、

「特別な冬」も待っているのでしょう。

そして、

来年からは「新しい生活様式」に。


@ そう言えば、最近「クラッカー」を食べていません。ミルクを飲みながら食べるクラッカーは美味しかった。


(2020.8.7)

@ 公務員が前例にこだわり、斬新な企画が苦手なのは、性(さが)と呼んでも良いですが、民間企業を思わせるような斬新な企画に、(自覚すらしないような)微かな嫌悪感を感じるから、かもしれません。

何と言うか、フォーマルな席に、カジュアルを持ち込んだような感じ、と言うか…。

あるいは、官民問わずどんな職場であろうと、新人として就職したら、一日も早く、その職場の色に染まる努力をするものだと思います。そして何年か経ち、自分も後輩を指導する立場になったころには、すっかりその職場の色に染まっています。そんな人間は、毛色の違う新人や企画を、無意識に排除しようとするのだと思います。

追記

あまり知られていませんが、税法などは毎年のように改正されています。すると過去にさかのぼって修正申告するときに、納税者も今年の税法では書けないわけですし、税務担当者も今年の税法では計算できないのです。年度ごとに古い(その当時の)税法の資料を引っ張り出し、頭を切り替えて処理する必要があります。

年金法もいろいろ改正があります。もらうまでに何十年も加入する必要がありますから、税務のように単年度で片付きません。よって改正されても古い法律は生き続けますし、あらたに経過措置も生まれます。法律は「継ぎはぎだらけ」になって、ますます難しい姿になっていくのです。

公務員は数年ごとに人事異動します。住民との癒着や汚職を防ぐ為、そして区役所職員ならば区役所の仕事を全部理解するためだと思います。そうすれば他課にいても、定年退職しても、住民に行政を説明できるメリットがあります。しかし、全部理解するというのは理想論であり、法律が多岐にわたりすぎて、現実的にはほぼ無理です。

さらに「朝令暮改」で、毎年のように斬新な制度が加除修正されたら、ますます全容を理解することは困難になります。職員にとっても住民にとっても。

以上色々書きましたが、職員はこれを理屈で考えているわけではありません。一番最初に書いたように、(自覚すらしないような)微かな嫌悪感で理解しているのです。

もちろん嫌悪感を感じようとも、大局的見地からの改正は必須です。それは「苦くても薬は飲まなければならない」のと同じで、改めて言うまでもありません。

しかし、思いつきでの「朝令暮改」は排除したいわけです。行政という巨大な船が進路変更することの功罪は大きい。「踊る大捜査線」のように、それは現場の行政担当者が一番よく知っているかもしれません。

追記2

少し昼寝して、少しだけクリアーになった頭で再考しましたが、やはり「思いつきでの『朝令暮改』は排除したいわけです。行政という巨大な船が進路変更することの功罪は大きい」という基本ポジションを守るためにも、「(自覚すらしないような)微かな嫌悪感を感じる」ことは、公務員には必要な、ベーシックな感性だと思いました。


@ 新型コロナ対策の政府の分科会。

先ほどのNHK・TVニュースを観ると、(私の見落としでなければ)評価対象の指標には、「重篤者数」「死者数」が入っていません。

部外者で素人の私が「重篤者数」「死者数」を重視するのに対し、彼らは評価対象とすら、していないのでしょうか。


@ 本日のNHKラジオ「夏休み子ども科学電話相談」でこんな話がありました。

子ども:「宇宙人を見つけるには何が必要ですか」(ぼんやり聞いていたので、多分こんな質問)。

先生:「(長い前置きがあって)お金が必要です」。


(2020.8.6)

@ 直径1m以上もある「気」のボールは、

この世のものとは思えないほどの、

素晴らしいアートだと思います。

「気」や「オーラ」が見えるのは、たぶん生まれつきの能力です。(ネット上に公開されている)コツを知るだけで、見えるようになる人がいる一方、最後まで見えない人もいるようだからです。気功の先生でも「生徒には見える者がいるが、自分には見えない」と正直に書いておられる方もいらっしゃいます。

でも、「気」に触れられるのは、数か月のトレーニングで「気感を覚醒」させれば、たぶん誰にでも可能だと思います。

つまり視覚障害者でも、「大きな気のボール」に触れることで、液体とも、気体とも、個体とも言えない、形容の困難な、微妙極まりない手触りを通して、この世の奇跡を見ることが出来るのです。

健常者も視覚障害者も見えないアートを、健常者も視覚障害者も分け隔てなく。


@ 今日は大型ショッピングモールへ行ってきました。家に帰ってきて、お昼寝した後、何か忘れ物をしたような気がして、考えてみたら、入り口の端に置いてあった無料タウン誌の表紙に永野芽郁さんが載っていて、「帰りにもらってこ!」と思ったのですが、帰りに手をアルコール消毒をしたら、すっかり忘れてしまったことを思いだしたのでした。


@ 映画名が思い出せませんが、大恐慌直前のバブルの時代、ある株成金のおじさんが、路上の靴磨き少年に、靴を磨いてもらっていました。

そうしたら、その少年が熱心に株の新聞記事を読んでいたのです(正確には覚えていませんが、確かそんな描写)。

「彼まで株を…」と、その様子を見たおじさんは、今がバブルであることを悟り、持ち株をすべて売却するために走りました。


そして今、新型コロナのバブルだと騒がれていますが、一方ではバブルではない(統計上の幻だ)という人も。

何が本当なのか、新型コロナの世界も他の多くのことと同じように、色々な情報があふれ、選択眼のある者だけが、早く正解を知り、次の一手を打てるのでしょうか。

ならば、新型コロナでの靴磨きの少年とはだれなのか。

学者のAさんなのか、医師のBさんなのか、それとも。

私は、とりあえず安倍さんだと思います。

安倍さんが説明しないのは、露骨な「トロッコ問題」は、説明しないことが一番妥当だと思っているからでしょう。

しかし、日本の損得勘定をして「緊急事態宣言」から「Go To キャンペーン」に路線変更したことが「社会的終息宣言」であり、安倍さんの中では、すでに答えは出ているはずです。

そんな安倍さんが泰然自若としている内は、国民は安心して良いのだと思います。


@ 人気TVドラマ「JIN-仁-」には坂本龍馬が出てきます。

龍馬は自分の先生となる人物に会いたくて、日本中を歩き回りました。

逆に、自分が先生として教えたい場合にも、躊躇なく相手に会いに行きました。

「膝を突き合わせる」、

龍馬の本気には、それが標準設定でした。

多分それは、古今東西の常識でもあったのでしょう。「膝を突き合わせる」現場には「言葉を超えた説得力」がありますから。

そして、その行為は最近まで生きていました。

例えば、税金を差し押さえる場合には、電話や手紙、ファックスにメールがある昨今でも、役所は、一度は本人に会いにやってきます。逃げる相手に会おうと本気で努力します。

しかし、新型コロナでテレワークなどが推進される世の中になると、「膝を突き合わせる」は過去のものになっていくのかもしれませんね。

「言葉を超えたもの」が消えていく時代は、どんなふうになるのでしょう。

効率的だと思ったことが、非効率になることはないのでしょうか。


(2020.8.5)

@ うがい薬の件、先ほどのお昼のワイドショーで、実験をした先生が説明しておられました。

それによると、「感染者(無症状・軽症)」には一定の効果は期待できそうです(本人の重症化予防や、他人への飛沫感染予防)。

しかし、「未感染者の感染予防効果はない」など、精緻な説明が必要なので、単純な発表で「未感染者」「重症者」の分まで買いに走ることが無いよう、ほんとうに必要な人に薬が行き渡るよう、発表には、公務員らしい配慮が必要だと思いました。

又、普段使いよりも濃度の濃い溶液による、一日4回のうがいが必要ですが、度を超すと「副作用の心配がある」とも仰っていました。

追記

知事はなぜ(検証半ば)フライング気味でうがい薬を紹介したのか。

想像すると、「お盆休みに前に、国民に情報提供したかったから」ではないでしょうか。

(感染しているかどうかわからない)子が親に会いに行く場合、親の家にいる間、うがい薬を使えば、親に感染させえるリスクを、(ある程度は)下げることが出来るかもしれない。

つまり「親孝行の手助け」。

しかし、まだ実験半ばなので、そこまで具体的に知事が言い切ることは出来ない。されど、ある程度の実験結果は出ているし、常識的に考えても有りえる結果だと。

だから、とりあえずお盆休み前にと、広報を決断したのかもしれませんね。


@ 先日、大きな公園に行ったら、お相撲さんのように体格の良い短パンだけの方が、運河沿いのベンチに座り、ひとり読書をしていらしたのです。

かたわらには自転車が一台と、直径1mぐらいの子供用プール(空気で膨らませる)が置いてありました。

しかし、子どもは居ません。

もしかしたら、プールを自転車で運び、公園で水を入れて、行水をしながら、読書をされていたのかもしれないと思いました。

何にでも「達人」がいるものですね。


@ 何年か前に、あるお相撲さんが、酒の席で後輩をビンで殴ったとか、素手だったとかで、医者に縫ってもらわなければならないほどの怪我をさせたことがありました。

もしあれを、無名の人が行ったら、逮捕されるのが普通でしょう。

日本中が騒ぎになりましたが、その後の顛末は、「相撲界に歴史的な汚点を残したくなかった」のか、歯切れの悪いものだったと思います。

私は被害者が「私人逮捕」しても良かったと思いました。


@ 昔、いわゆる「素人美術展」の設営に駆り出されたことがあります。

午後・半日の仕事でしたが、たくさんの素人美術家の皆様の作品、数十点が集まっていました。

それは初めての経験で、慣れない作業でしたが、何とか終わりが近づいた頃でした。

ある作品について作者の方が謙遜するような事を言われたのです。

すでに疲れていた私は、「ハイ」と何気なく相づちを打ってしまいました。そうしたら「ハイだって…」と露骨に不快感を表明されたのです。

( 「こっち向きに置きますか、それとも、こっち向き?…」と私。

「どっち向きでもいいです。どうせ大した作品じゃないんだから」と作者。

「ハイ」と私。 

こんな感じだったと思います。 )


私はその時、「素人美術展と言っても、一点一点が、作者の懇親の作品なのだな。だから、よく分からない作品でも、褒めるのが礼儀なのだ。けっして倉庫の整理をしているわけではないんだから」と教えられたのです。

「駆り出された人が素人でいると、参加している素人には失礼にあたる」のです。

追記

この日だけは、帰り際に、現金でバイト代が支払われました。コインで数百円でしたが、いつも月給・振り込みなので、働いた対価をその場でもらえると、「その重さ」が嬉しかった記憶があります。


(2020.8.4)

@ わが家では、今は亡き母が、毎日イソジンでうがいをしていました。

理由は分かりませんが、若いころから心臓が悪かった母の健康法だったのかもしれません。

近場へ一泊二日の温泉旅行に行ったときには、イソジンを持ってこなかったことに気づき、「一晩ぐらい無くても…」という私の言葉を聞いてくれず、薬局を探すことになりました。

母はそれぐらいのイソジン信者だったので、私も影響を受け、一時期、イソジンでうがいするのが日課になりました。

しかし、「イソジンでうがいすると『常在菌』まで殺菌してしまうので、かえって体に良くない」という話を何回か読んで、15年ぐらい前に私は止めました。以来、水道水だけでうがいをしています。止めた直後に(偶然なのか)風邪のような症状になりましたが、すぐ回復しました。止めてよかったと思います。

しかし、私のファミリーには、いまだイソジンでうがいをしている者もいます。何回「常在菌」の話をしても聴く耳を持ちません。いつも「水ではうがいできないほど喉が痛いからイソジンを使う」と言っていますので、「痛いのはイソジンのせいでは?」と言うのですが…、もう、一種の信仰のようになっているようです。

そんな折、知事の、新型コロナとイソジンの話が聞こえてきたのです。私は「常在菌」の話がありましたから、新型コロナ対策としても疑問を持っています。

前置きが長くなりましたが、何を申し上げたいのかと言えば、(ほんとうに画期的な予防効果があれば別ですが、期待だけで)今後イソジンが店頭から消えれば、本当に必要で昔から使っている人たちが迷惑するという事です。迷惑で済めばよいですが、病気になる可能性も否定できないわけで、それが心配なのです。

追記

あるお医者様は、診察の合間に「緑茶」を一口飲んで、口内殺菌している旨の話を最近読んだことがあります。

プロが実践しているこちらの方が、ベターだと思いますが。


@ 『 日本のコロナ対策が“首尾一貫しない”本当の理由~「実体語と空体語」の呪い 

… 中略 …

専門家会議が解散され、法的な根拠のある形に改組された後も、GoTo騒動が可視化したように「国の官邸」と「地方自治体の長」とが、たがいに「私は名目上の責任者にすぎず、実権=真の責任は向こうにある」と言い争う状態は続いています。そうした統治機構上の宿痾は、実は深いところで、この国が長年かけて形作ってきた私たち自身の思考や言動の様式とつながっている。山本はそれを日本教と名づけましたが、問題性を強調するならむしろ「日本病」と呼ぶべきかもしれません。

… 後略 …  』

( 2020/8/3(月) 6:01配信「現代ビジネス」より抜粋 )


「私人逮捕」という制度があります。

私は法律も、警察内部の事情も存じませんし、これは想像ですが…

もし「私人逮捕」をした場合、一般論として申し上げれば、私人も警察も、「お互いに責任(実権)は相手にある」との意識が働きやすいのではないでしょうか。

つまり、私人は「あとは警察が『塩梅よく』やってくれるだろう」と、警察は「私たちが逮捕したわけではないので、あとは『規則通り粛々と』手続きを進めるだけだ」と。

「大岡越前」を生んだ日本ですから、警察内部にも『塩梅よく処理したい』と思っている人は少なくないと想像します。しかし、他人(他部署)が決定したことについて異論をはさむのは、明らかな誤り・法律違反などが見つからない限り、新たなトラブルに発展しかねず、どこの公務員でも躊躇すると思います。 

それは、TVドラマ「アンサング・シンデレラ」で、ヒロインである薬剤師が医師に口出しし、トラブルになるエピソードが描かれているのとも似ています。

ちなみに、もし「私人逮捕」を行使した管理職がいたとして、その人が「塩梅よく」ではなく、なぜ「私人逮捕」を選択したかも想像すると、黙認すれば他組織とのトラブルになりかねず、その場合、管理職の自分が叱られかねないと思ったのかもしれませんね。

追記

私の考える理想を申し上げるなら、逮捕書類を決裁する警察の管理職の方が(坂本龍馬みたいな方がいらっしゃれば)、逮捕協力のご挨拶と以後の説明を兼ね、私人逮捕をした方にすぐ会うと良かったと思います。

そして、このまま行けば「20日間の拘留になる」話など説明するのです。

(警察の得意技だと思いますが)その時の相手の顔色を読んで、「そんなに重いとは…」「もっと穏便にして欲しい」みたいなシグナルが感じられれば、「本人も反省しているようですし、今回はお灸をすえる程度で…」という方向に話を持っていけるのではないでしょうか。

追記2

聖書に書いてあるように、「許されていることのすべてが有益だとは限らない」のです。

「私人逮捕」も、法律上可能でも素人が行う行為です。一つ間違うと「自粛警察」のにおいをさせてしまいかねません。

プロの警察官が行う場合には、いえ警察官に限らず、公務員が公務を執行する場合には、法律通り四角四面に判断するのではなく、いつも「適性な運用」を心がけるはずです。その塩梅が、まさにプロの味付けなのです。もっと言えば、法律を四角四面に適用できるほど公務員も暇ではありません。その妥協案が「適正な運用」を裏打ちしているのです。

そう思うと、「私人逮捕」は素人には難しいものだと承知しておいた方が良いのかもしれません。映画「ダイ・ハード」には非番の警官が主人公として出てきますが、もし彼が犯人を逮捕したとしたら、まさしく見本的な「私人逮捕」なのだと思います。


@ 大林宣彦監督の遺作である映画「海辺の映画館-キネマの玉手箱」が、地元の映画館でも上映開始となりました。

しかし、上映時間179分では、90分前後を理想とするおじさん(私だけか)には、敷居が高い。


(2020.8.3)

@ 箱入り娘・永野 芽郁さんのTVドラマ「親バカ青春白書」を先ほど録画で観ました。

予想した通り、コロナな気分を吹き飛ばしてくれる快作でした。欲を言えば、もう少し「しんみり」とした部分もあって良いかな、とも思いましたが、今後に期待です。


@ 『 橋本環奈さんに「カップヌードルで和スイーツを作って」とムチャ振りしてみた 』

( 2020/08/03 「日清食品グループ公式チャンネル」 )

そのエネルギーに「奇跡の一枚」も思い出します。もちろん続編も期待。


@ 北方領土も、竹島も、日本が第二次世界大戦終了時、混乱しているスキに、盗られてしまいました。

今、世界中が新型コロナに右往左往しています。

「火事場泥棒」という言葉もありますし、日本人ならこの混乱に乗じて上記の島を取り返そうとは思わないでしょう。

しかし中国は、新型コロナウイルスの発生源と言われる中国は、その新型コロナの混乱に乗じて、いっそう尖閣諸島への接近を強めてきました。

日本は3回目の過ちを繰り返してはなりません。

すぐに盗られないまでも、油断すれば、接近の既成事実を一歩進められる可能性は強いです。

日本は「棚上げ」ではなく、「実効支配の既成事実を一歩進める」ことを考えても良い時期かもしれません。


@ 『 女子中高生に「アベノマスク」が大はやり! 日用品すら「SNS映え」させる現代的センスとは 』

( 2020/8/2(日) 19:30配信「アーバン ライフ メトロ」 )

私は「アベノマスク」を歴史的な家宝にするつもりで「開封せずに保管」してありますが、「積極的に使って思い出作り」をするのも良いかもしれませんね。


(2020.8.2)

@ 「 … 冷徹な確率論を駆使して、勝ち戦と、負け戦を、厳格に選別し、わざと(ここを強調しますが、わざと)戦死者を出して勝利するのです。でも戦死(わざと殺された者)にとっては、唾棄すべき愛のない行為ですね。 」

( 映画「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」私のレビュー本文より )

安倍さんが「第三次世界大戦」とつぶやいた新型コロナとの戦いは、「経済による死か、医療による死か」という究極の選択になってきました。

(わざと死者を出すわけではありませんが)どちらにしても死者が避けられないのなら、(他の条件に大きな違いがなければ)人数が少ない方を選択せざるを得ません。

ここからは「トロッコ問題」を連想します。

私たちは知らぬまに、ずいぶんと深淵に来てしまったようです。

追記

「トロッコ問題」は覚悟の問題だとも言えそうですが、公務員は比較的その覚悟が出来ているのではないかと、直感ですが、思うのです。

その根拠は、彼らが一番大切にする価値観の一つに、住民に対する「公平」があるからです。

轢かれる者にとっては不公平だと思うでしょう。それは当然です。

でも、公務員にしてみれば、(他の条件に大きな違いがなければ)その選択自体が「住民を公平に扱ったことになる」からです。

追記2

ここで思い出すのが、3.11の話です。

ある小学校では、裏山逃げずに河原に逃げて、多数の津波犠牲者を出してしまいました。

裏山に逃げなかった理由、私の想像するものをお話すれば、「あんな大津波が来るとは信じられなかった」、そんな中で「全員が『無事』に登れそうもない裏山に行くことは出来なかった」のだと思います。

しかし、だからと言って、その場に留まるのは命令違反になります。

だから全員でバスに乗り河原へ行った。

「公平=全員」にこだわったわけですね。

でも、ここでは最初に、「あんな大津波が来るとは信じられなかった」というボタンの掛け違いがあります。だから山に登れなかったのです。

もし、「いつかまた大津波はやってくる」が常識の昨今なら、大地震の直後には、躊躇なく裏山に上ることでしょう。(津波てんでんこで)たとえ全員が登れない悲劇が起ころうとも。

追記3

>轢かれる者にとっては不公平だと思うでしょう。それは当然です。

>でも、公務員にしてみれば、(他の条件に大きな違いがなければ)その選択自体が「住民を公平に扱ったことになる」からです。(追記より)

言語化しにくいのですが、この辺りをもう少し分かりやすく書いてみます。

例えば、税金を滞納するとどうなるのか。

納税担当からいろいろ連絡があって、最終的には「差し押さえ」か「処分停止(滞納処分の停止)」になります。

「処分停止」とは、ざっくり言えば、種々の理由で徴収をあきらめることで、滞納者の1~数%です。

「差し押さえ」された人から言えば不公平かもしれませんが、「差し押さえ」も「処分停止」も、役所が長期間一所懸命に動き回った必然的な結果ですから、役所から言えば「公平」な仕事の終了なのです。


あるいは今年の申告で年収1億円の人と100万円の人がいたとします。

1億円の人の方が税金が高いのが普通です。

だから1億円の人は、「税金が高い」とは言っても、不公平だとは言わないでしょう。

しかし、100万円の人が不申告だった場合、その不申告を放置して、つまり年収不明の状態で、1億円の人だけ課税したら、1億円の人から「不公平だ」と言われても仕方ありません。

役所は両者を中立的に評価することが必要です。

追記4

『 日本のコロナ対策が“首尾一貫しない”本当の理由~「実体語と空体語」の呪い 

… 中略 …

山本がいうように、「自衛隊(軍備)の存在自体はやむを得ない。しかし、あくまでもそれは違憲なのだということを忘れずにいたい」とする主張は、より短く要約すれば「自衛隊は必要だ」と実質的に同じです。しかし、だからといってそれだけを言われると、カチンと来る。

そうした心性の構造を分析するために、山本は身もふたもない事実(自衛隊は必要だ)を指す「実体語」が、本当は内容的に同一なのだが外見上は対立的な見た目の「空体語」(だがそれは憲法違反なのだ)によって相対化され、つねに両者のバランスをとる言動が要請される社会として、日本を捉えようとしました。

こうした目で眼前の状況を眺めると、コロナ禍でも同じ思考様式――山本の命名では「日本教」が生きていることに気づくでしょう。緊急事態宣言下で疲弊し、倒産や廃業の瀬戸際にある業種を救うために、重症者数や死者数を増やさないかぎりで「感染の容認は必要だ」とするのが実体語です。しかし、それをはっきり言うと有権者の支持を失うので、政治家は口にできない。

そのため「感染拡大はあってはならない」「不要不急の外出は避け、最小限にとどめるべき」といった空体語でバランスをとることで、民意をつなぎとめようとするのですが、結果として「国策として観光旅行を推奨しつつ、しかし在宅を要請する」という、首尾一貫しない政策が生まれてしまう。その意味で半世紀の時を経て、二度の改元を体験した今でも、山本が見た戦後社会の風景はいまも変わっていません。

… 中略 …

専門家会議が解散され、法的な根拠のある形に改組された後も、GoTo騒動が可視化したように「国の官邸」と「地方自治体の長」とが、たがいに「私は名目上の責任者にすぎず、実権=真の責任は向こうにある」と言い争う状態は続いています。そうした統治機構上の宿痾は、実は深いところで、この国が長年かけて形作ってきた私たち自身の思考や言動の様式とつながっている。山本はそれを日本教と名づけましたが、問題性を強調するならむしろ「日本病」と呼ぶべきかもしれません。

… 後略 …  』

( 2020/8/3(月) 6:01配信「現代ビジネス」より抜粋 )


@ 久しぶりに“よしだたくろうさん”(当時はひらがな表記でした)のアルバム「元気です。」を聴きました。LPもありますが、今回はCDで。

全曲を二回聴きましたが、青春時代に初めて接して以来、半世紀もたつので私も老いたのでしょう、懐かしかったですが、若いころのようには興奮できませんでした。少し寂しさびしかったです。音量を絞っていたのも一因ですが、本当はライブ並みの音量を浴びなければいけませんでした。

しかし、今さらですが、アルバムというのはクラシックのシンフォニーと同じですね。15曲入っているので、15楽章のシンフォニーと同じということです。

ジャケットの重量感を手に感じ、ジャケット写真を愛でて、一時間近くかかって全曲を聴く。

その「トータルの味わい」がアルバムなのです。

追記

「元気です。」はライブでPA演奏される音楽ですから、PAスピーカーで再生します。

ちなみにライブでもPAを使わないクラシック音楽は、特性のフラットな家庭用のスピーカーが適していると思います。

ジャズの古い名盤は、ライブでPAを使わなかったはずですが、録音技術が古く、中音域中心の太い音ですから、PAスピーカーの方が味が合います。


@ 新型コロナのワクチンが待望されています。

しかし、先日のワイドショーでは、専門家が冷めた話をしていました。

「ワクチンが出来ても打たない人が多いでしょう」と。

ワクチンには「安全性」についてのリスクがあるようです。ワクチンを打ったがために病気になるという事もあるらしいのです。


@ ガラガラに空いたカフェでブランチをしていたら、おじさんが一人入ってきて5mぐらい離れた席にすわり、女店員さんに小声で店長を呼ぶように頼みました。

すぐにやってきた店長に、なにやらヒソヒソ話をしています。

そして、最後に「息が苦しい…」と言ったのが聞こえました。

数分後、お店の奥で店長が救急車を呼んでいるような電話の声も。

私は、「お気のどくに、あのお客さんは心臓でも悪いのかな?」と思っていましたが、ふと悪い予感がして、すぐにお店を出ました。


(2020.8.1)

@ 「 新型コロナウイルス 重症者、死亡者の推移 」

( 名月論 2020年08月01日 15:45 )

専門家にも、学者と、(現場の声をもろに受ける)医療関係者では、立ち位置が違うのではないのかと思っていました。

しかし、もし医療関係者から「大様は裸だ!」との声が上がったのだとすると、その声は信じられそうな気がします。


@ TVドラマ「アンサング・シンデレラ」第3話を観ました。

やる気満々のヒロイン・葵みどりに対して、街のドラッグストアにぽつんと一人働く薬剤師の若者は、ルーチンの日常業務をこなすだけで、すっかり、新人の頃の「志」を失っていました。

彼こそ現代の木枯し紋次郎。

いつの間にか別世界に生きていたのです。

ここで思い出すのは良き仲間(労働組合のような組織)。

定期的に集まって勉強会・情報交換・懇親会などをすることにより、彼も生き返るというものです。

時代劇の木枯し紋次郎には、労働組合などないので、意外にも、道中で出会う市井の人々が、その役目を果たしていました。

紋次郎にすがらなければ生きていけない人々が、命がけで彼にすがることにより、彼も自分の存在理由を再確認させられ、生き返るのです。

これは薬剤師の存在証明と相似形になっているのかもしれません。


@ 新型コロナ後も、緊急事態宣言が解除された後は、週に2回ぐらいの割合で映画館に通っています。

新型コロナ前に比べ、感覚的には、観客は激減しています。

座席は一つおきにしか座れません。

一回上映するごとに座席の消毒をしています(だから、「勝手に指定席を移動しないで」との注意がありました)。

ロビー等にアルコール消毒液があります。

入り口で空港にあるようなカメラによる検温を実施している劇場もあります。

それに、(吸った実感でも)空気がきれいです。強制的な空気の意入れ替えを上映中もしていますし、全員がマスクをして沈黙しているわけですから、バスや電車、地下街やデパート、並みの飲食店と比べても、勝るとも劣らないと思います。

ただし、咳をする人がたまにいます。

上映中に1~2回はご愛敬でしょうが、先日私の斜め後方に座ったご婦人は、10分に一回ぐらいの割合で、ずっと咳をしていました。もちろんマスクはしていましたが、そのような方はご遠慮願いたいものです。

このご時世、劇場側も、「咳の出る方は入場ご遠慮ください」みたいな広報をしても良いと思いました。

追記

歳を取ると、息道に自分の唾や、飲食物が入りやすくなり、結果、発作的にむせることがあります。これは止められませんね。でも、2~3分でおさまるでしょう。ロビーに出て落ち着くのを待てばよいのです。

風邪気味で咳が止まらない経験もあります。電車の中で止まらないと辛いですね。しかし、電車で病院に行かなければいけない場合もあり、一概に「電車に乗るな」とまでは言えません。

ここでは、「継続的に咳が出ると分かっているのに、娯楽である劇場に行くのは如何なものか」というお話をしています。


@ 木村拓哉さんが総理大臣になる、TVドラマ『CHANGE』(チェンジ)を再放送で観ましたが、その中にこんなエピソードがありました。

大規模停電が発生したことを知った総理は、直ちに現場へ急行しますが、その時、部下に「停電した全世帯に懐中電灯を届けろ」(携帯ラジオも入っていたかもしれませんが、記憶が曖昧です)、部下が「そんなに備蓄はありません」と言うと、総理は「すぐにお店を回って集めろ!」みたいな指示を出して走っていったのです。

懐中電灯(携帯ラジオ)がない世帯もきっとありますが、多数の世帯では持っているはずです。その区別をせずに配布したら「税金の無駄づかい」だと言われかねないですし、その上、買い占めで店頭から商品が一時的に消えたら、本当に欲しい人たちに迷惑が掛かります。

私はこれを見て、「マスク」を配るだけでも大問題になったのに、指示通り配れば何と言われるのかと思いました。

行政は難しいものです。

追記

繰り返しますが、これは再放送です。

当初の放送時には、コロナ過はありませんので、おそらく誰も懐中電灯で異論を述べることはなかったでしょう。

しかし時代は変わり、コロナ過になると、ご承知の通り、色々なことが再評価を迫られました。

そんな時代の目で見ると、このドラマの懐中電灯のエピソードも、「今ならきっと書かないであろうシナリオ」と思えたのです。

「懐中電灯で時代が照らし出された」という落ちでした。


@ 下記の通り、「町内会等」は役所の実質的な従属的組織ですが、役所は住民に奉仕するのが仕事ですので、町内会長さん等を、部下ではなく上司のように思っている部分もあります。

ですから、「町内会等」で何か問題が起こり、自分たちだけでは判断に迷う事例があれば、役所に相談してみるも一つの方法です。その場合の役所は、市役所、区役所だけでなく、事例によっては交番のおまわりさんが適当な場合もあります。


『 … 前略 …

町内会は、自治会とも言われ、一定地域に居住する住民等を会員として、会員相互の親睦を図り、会員福祉の増進に努力し、関係官公署各種団体との協力推進等を行うことを目的として設立された任意の団体」とされている(東京簡易裁判所判決平成19年8月7日、平成18年(ハ)第20200号)。

市区町村や住民によって後述のように様々な名称で存在しているが、本項では本文において「町内会等」と記載する。

… 中略 …

市区町村との連絡・事業受託

市区町村の実質的な従属組織として、広報活動を行うことがある。広報紙を配布活動が最も一般的に行われているが、その他のイベントの告知や住民への個別周知について、回覧板により広報することもある。

また、受託や補助金事業により、市区町村の政策の実質的な下請けを担うことも多い。敬老活動、スポーツ活動、生涯学習活動などが伝統的なものであるが、平成後期には、健康寿命延伸のための健康づくり活動や、要介護防止のための介護予防事業、地域包括ケアのための孤独死防止のための見守りなどを行うこともあった。

従属組織としての性質から、本来的には任意団体である町内会等の設置や区域変更、会長の変更について、市区町村の認可や届出が義務付けられていることがほとんどである。 』

( ウィキペディア「町内会」より抜粋 )


(2020.7.31)

@ 『 「おかねのけいさんできません」男性自殺 障害の記載「自治会が強要」 』

〈 「毎日新聞」 2020年7月31日 10時36分(最終更新 7月31日 12時22分) 〉


@ あるマンションで「ポストへのいたずら事件」が起こりました。

「監視カメラをチェックすれば犯人が分かるかも」と住人Aが。

「監視カメラの鍵を預かっているので、録画をチェックすると」自治会の偉い人。

( 長時間にわたる録画を見るのは大変そう。 )

しかし「プライバシーの問題が…」と住人B。

ならば「住民が皆で交代で録画を見ればよい」と偉い人。

( プライバシーが公平問題にすり替わってません!?。 )

これは昔知人から聞いた話です。

自治会は必要だとしても、自治会は(失礼ながら)言葉は適当ではないかもしれませんが、多くは素人集団であり、役所のように行政のプロ集団ではありません。

そこには、もしかしたら、隠れた「自粛警察」みたいな人がいないとも限らないのです。

ちなみに前述したマンションの事例、もし私が偉い人なら「警察などから録画を見たいとの申し出があれば自治会にはかりますが、それ以外は、私も含め、誰も録画を見れないよう、監視カメラの鍵は私が厳重管理します。私の役目は録画を見ることではなく、『私を含め誰も見れないように管理することです』」と言いますが。


@ 「 米GDP32.9%減の衝撃。政府が暗に進めている政策を国民に説明すべきだ。」

( 青山まさゆき 2020年07月31日07:21 「BLOGOS」 )


@ 少年の頃、週刊誌に、「男性は女性のどこに魅力を感じるのか」というコーナーがあり、「大人の男性は女性の腰に魅力を感じる」と書いてありました。

当時の私は、キャンディーズのミニスカートとか、かわいいお顔とかには魅力を感じましたが、腰回りにはあまり…。

でも、大人になって分かるようになりました。確かに魅力的です。

そのせいかもしれません。

ウエストバッグは秘めたる魅力をもっているようです。

一時期、おじさんたちが海外旅行に使う定番商品になり、「ダサい」と敬遠する女性が出てきたのかもしれませんが、やはり「女性+ウエストバッグ」は最強の組み合わせなのかも。

「 KZN904 カゼン ウエストバッグ 」

未確認ですが、石原さとみさんがTVドラマ「アンサング・シンデレラ」で使っているのはこのバッグでしょうか。

追記

バッグの色はブラックとネイビーがあります。1~2日前に見た時、どちらも在庫ありになっていましたが、先ほど見たらネイビーだけが売り切れていました。

「あれ?、ヒロインはブラックを使っていたはずだが」と不思議でした。

私はネイビーが大好きです。経験上、どちらかと言えば、青系統は男性が好む色であり、女性はブラックを選ぶことが多いと思っていました。

でも、録画でドラマを見たらヒロインもネイビーを使っていましたね。さすが女性は色について敏感です。

ちなみに、薬剤師さんが着ている服には、ベルト通しがあり、そこに通してウエストバッグをぶら下げていました。あれなら腰に負担がかかりませんね。ベルト通しがないお洋服でも大丈夫でしょうか。


@ 先ほどのNHKラジオで、新型コロナの東京の状況を専門家の方が話しておられました。

「…上昇を続けアメリカみたいになるか、このまま高止まりして、秋に始まる本格的な『第2波』につながっていくのか…」みたいな話を。

インタビューしていたアナウンサーの話では、今は「『第2波』ではなく、潮目が変わったのだ」そうです。

安倍さんの話とは違い、いつまでたっても「第1波」なんですね。

そして後半には、専門家が「世界的には第1波の真っ最中」だとも言っていました。


(2020.7.30)

@ 先ほど、人気TVドラマ「ハケンの品格」第2シリーズを録画で観ていて、ふと、ヒロイン・大前春子(篠原涼子さん)の働き方のスタイルは、窓口にいた頃の、私のスタイルと似ている部分があると思いました。

誤解の無いよう申し上げますが、私はあんなに仕事のできる人間ではありません。

しかし、一時期の窓口事務に特化すれば、先日もお話したように、無駄口をたたかず、同僚よりも速く、しかし、特殊事例については丁寧に対応する、という点で、大前春子に似たスタイルをとっていたのです。

しかし、あんなに不愛想ではありません。

あれはドラマの演出(特に「木枯し紋次郎」を意識した)ものだと思いますが、普通の(例えば「フレンドリー」な)態度をしていても、スピードは落ちませんので、保身のためにも不愛想でない方が良いのです。

又、お客様に話すスピードも、のんびりとした「ラジオ深夜便」仕様で良いのです。手だけ早く動かせば。


@ 『 日本人の3割が「コロナ感染」という新説 消える抗体、ワクチン不可能は本当か 』

( 2020/7/30(木) 5:57配信 「デイリー新潮」 )


春に、安倍さんが「緊急事態の解除宣言」をするところをNHK・TVで見ましたが、安倍さんは「中国から直接日本に入った第1波、欧米経由で入った第2波も、我が国は抑え込みに成功しました」という趣旨の話をしていました。

専門家会議でも(会議の席だけ)1波・2波について、同様の表現を使っていると、どこかネット上で読んだ記憶があります。

つまり、(あの時点では)次に来るとしたら第3波だったのです。

しかし、早くから第2波の到来恐れている欧米と歩調を合わせるためなのか分かりませんが、マスコミ等では「今度来るのは第2波だ」と言っている人たちが大多数でした。

しかし、(私は素人で何も分かりませんが)素朴に考えてみれば、波の種類が違えば「ピークが来るまでの時間、ピークの高さ、毒性」が違うと思うので、今の波が第何波なのかは、実は重要事項ではないでしょうか。

それが違えば、理論が正しくとも、正解(次の波の予想)が違ってくると思うのです。

そんな事を、若いころに楽しんだ海水浴場を思い出して、考えました。

ちなみに最近では、「まだ1波のピークは来ていない」「2波が来たのかもしれない」「3波だ」「4波だ」など、いろいろな話があります。


(2020.7.29)

@ 「 石原さとみ『アンサング・シンデレラ』の裏で勃発する“薬剤師の仕事”論争 」

( 2020/07/28 11:00「日刊サイゾー」 )


(2020.7.28)

@ 私が独学でブラインドタッチの練習していた35歳前、毎日1時間の練習を一年間続けました。

途中、温泉旅行に行くこともありましたが、旅館までワープロ(当時は)を持っていき、積極的に叩いていました。


@ 新人時代に酒を飲まなかった私は、先輩から説教される宴会が大嫌いでしたし、慰安旅行など、とんどもないと思って、逃げることばかり考えていました。

しかし、20代後半になり、友人たちと宴会をしたり、旅行に行ったりと、人並みの青春を謳歌するようになると、幹事をすることが「本番の宴席や旅行より楽しい」と知ったのです。

「宴席いじめられっ子」に幹事などとても務まらないと思っていただけに、意外でしたが。

なぜ、この話をしたかと言えば…

映画も同じかもしれないと思ったのです(もちろん慢性的な寝不足もあるでしょうが)。

私が映画に行くときは、当日の朝、まず「上映開始時刻が許容範囲以内で、嫌いなジャンルでないもの」をリストアップします。たいてい10件前後になります。

それをもって街に飛び出し、ブランチを食べてから、都合の良い劇場に飛び込むのです。

劇場窓口でも、第一候補が混雑していると、第二候補にすることがあり、「チケットを買うまで、今日、何を観るのか自分でも分からない状態」なのです。

そんな私にとって、潜在意識的には、劇場のシートに座るまでがメインディッシュであり、シートに座ったら、あとはデザートとコーヒーだけなのでしょう(やれやれと、ペットボトルの水を一口飲みます)。

さらに、照明が落ちるのは、終わりを告げる合図なのかもしれません。

だから、「おやすみなさい」となるのです。

(失礼ながら)今の私は、映画は「観ることではなく、行くことに価値を感じている」のかもしれません。

追記

例えが適当でないかもしれませんが、私にとっての映画とはNHK「ラジオ深夜便」に近いものになりつつある、ような気もします。


(2020.7.27)

@ S ≒ 「」 ≒ ▽▲


@ 一枚の書類を読むのにAさんは1分、Bさんは2分かかるとします。

どちらの人も家庭では問題になりません。

しかし、事務所で100枚の書類を点検する場合は違ってきます。

単純計算で、Aさんが100分かかるなら、Bさんは200分かかるからです。


お客様と話をする場合も似ています。

事務員が書類に記入している間の、1分間の無言の谷間をうめるため、事務員が1分間のつもりで何か話せば、お客様は相づちを打ってくれるだけとは限りません。

それが誘い水になって、こんどはお客様が積極的に話始めたり、質問が飛んできたりして、1分のつもりが5分以上になるのは珍しくない事です。さらに、こちらが誘い水を流したわけですから、相手のご機嫌を損じることなく、話を中断させることは難しい。

これを5分間で単純計算すれば、10人のお客様がいれば40分間余分にかかるわけです。

それは同僚への仕事のしわ寄せになったり、自分の残業になったりします。

このように、職場では1分をカットすることを常に考えていなければなりません。そして、何をカットするのか、その選別は大切です。

「 智に働けば角が立つ情に棹させば流される 」

( 夏目漱石「草枕」より )


(2020.7.26)

@ あの方の元気がない原因はあれでしょうか。

スルースキルがあっても、国益として「スルーして良いのか」という問題もありますし。


@ 新型コロナの今の波。

心配すべきは「感染者数」ではなく、

先の波で「メンタルを病んだ医師たちが、まだ癒えていない」、

という事かもしれません。


(2020.7.25)

@ 少女漫画誌の付録に「婚姻届」が付いたと知り、心配になって画像を見たら、マンガチックな婚姻届でホッとしました。

婚姻・離婚などの、いわゆる戸籍の創設的届には、「届出人の届出時点での同意(意思)が必要」ですが、何らかのトラブルで、相手の同意なしに提出されてしまうことがあるのです。その危機は決して少ないものではなく、役所にはこれを防ぐ為、少なくない件数の不受理申出が出ているほどなのです。

ストーカーや離婚に伴うトラブルでなく、事の重大性を意識せぬ者の気軽な悪戯であれば、不受理申出など出されていないでしょう。そして、いったん戸籍に記載されてしまえば、その痕跡は消えないこともあるのです。

創設的届出についての勉強や議論は大いに結構ですが、「君子危うきに近寄らず」で、現物の届出書は、敷居の高い役所に行かないと容易に手に入らないぐらいで良いかもしれないと思っています。

追記

おもちゃの婚姻届 → 名前を書いて遊ぶ → こんなに簡単なんだと思う → 本物が見たくなる → 役所でもらう(ついでに離婚届も) → 名前を書いて遊ぶ(家族や友人の目に触れる) → ふざけて役所に出してはいけません(人手に渡らないように破棄してください)。


@ 石原さとみさん主演の「アンサング・シンデレラ 病院薬剤師の処方箋」。

ヒロイン・葵みどり(石原さとみさん)は基本的に人間が大好きなのですね。

だから、部屋に籠って薬と格闘するだけでは退屈してしまうのでしょう。

彼女は今の苦労を苦労とは思っていないはず。ただ、(自分が抜けている間の仕事を埋めてくれる)同僚に迷惑をかけることには心を痛めており、それが低姿勢につながっているのでしょう。

でも、世の中には人と接することが苦手で、黙々と薬の袋詰めをしていたい人もいるわけで、そういう人と役割分担をすると、皆が幸せになれるように思います。

第2話がそうでしたね。

すると、希望しない仕事をさせられている、吉岡里帆さん主演の、TVドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」(ケンカツ)とは、ヒロインの苦労や哀しみの質が違いますね。

追記

私も窓口仕事をしたことがあります。毎日数百人のお客様を相手にしていました。窓口に行列が出来ているときにすべきことは、過不足のない応対を目指すことです。

もし係全員が、常時、ヒロイン・葵みどりみたいな薬剤師だったら、薬の袋詰めが時間通りに終わらず、大混乱になるでしょう。

あの係でまず考えるべきは、「時間通りに薬を出すこと」です。残念ですが、彼女はその秩序を乱している。

葵みどりも希望してあの職場に来たのなら、自分の「独りよがり」を恥じねばなりません。同僚のフォローなしで彼女は存在できないのです。

冷たいようですが、葵みどりの先輩・刈谷奈緒子(桜井ユキさん)のクールな仕事ぶりが、あの職場での正解です。彼女たちのおかげで、葵みどりが動き回れるわけです。

葵みどりも通常モードではフルスピードの刈谷奈緒子を目指すべきです。

でも、ときに葵みどり自身のような役目も必要です。その時だけシフトダウンするのです。

さらに、葵みどりのような人が職場で生きるには、日ごろのお詫びのつもりで、同僚のトラブルの手助けをすることだと思います。第2話のように。

「丁寧な私が正解」などと、決して思いあがってはなりません。

追記2

葵みどりが自殺を防いだ患者が、転院して彼女の病院へ来ることになりました。しかも、薬剤師は葵みどりを指定して。

しかし、彼女がこのような誉にあずかったのは、彼女の留守をフォローした同僚の力があったからです。

だから、彼女は同僚へ、お詫びと感謝、そして自分一人が評価されてしまった事への、恥じらいと苦悩を示さねばなりません。

それで初めて「同僚の陰の努力」まで評価されたことになるのです。

そうしなければ、いや、そうしたとしても、同僚の嫉妬は怖いものだという事を、知っておくべきです。

追記3

「葵みどりが自殺を防いだことのどこがいけないんだ」というご意見があると思いますが、それは問題の本質ではありません。

あそこの薬剤師たちは「大きな仕事の山をみんなで分け合って仕事をしている」と思われます。

多少のばらつきはあるにせよ、皆が同じ仕事をしているはずなのに、葵みどりだけが、病院内で悪い評判が立つほど、(いつも)患者に接する時間が長く、薬の袋づめの作業量が少ないのです。

その「いつも」が問題なのです。

声に出さなくとも同僚は迷惑をしています。

係は暇ではありません。

その「いつも」を減らす努力をし、葵みどりのシフトダウンは、「自殺しそうな人など、真に特殊事例のみにするよう、選別の基準を厳しくする必要がある」のです。

葵みどりは視点が低いので、バランス感覚が悪いのです。その改善が今後の課題です。

注意し、しばらく様子を見て改善が見られなければ、仕事の山を人数で分け、たとえば係員が6人なら、1/6を葵みどりの担当分として、時間内に強制的にやらせる手法もありえます。

担当別にする方法は、役所内でも日常的に行われている手法です。

自分一人だけ時間内に終わらなければ、そのつど同僚に頭を下げ、応援を頼めばよいのです。仕事はほかっておいたら片付きません。それを知ってもらう必要があります。独りよがりはダメです。

追記4

色々書きましたが、そんな私を「厳しすぎる」と思う方もいらっしゃるでしょう。

しかし、(前述した通り)私は自分の体験談をベースに話しているのです。

私は30歳前後の10年間、窓口中心の仕事をし、毎日数百人のお客様を相手に格闘してきました。神経をすり減らし、ある時は窓口に磔で、ある時は、一日中、事務室内を歩き回って。

そこでは、葵みどりの先輩・刈谷奈緒子と、葵みどりとの、両方の長所を兼ね備えた係員になれたと、今でも自負しています。

過不足のない仕事を目指し、「いつも」は秒単位でお客様をこなし、たまの「特殊事例」には、シフトダウンして、事例に応じて5分~1時間ぐらいかけました。

「いつもが他人より速い」ので、たまの「特殊事例」に丁寧に取り組んでも、葵みどりのように同僚からクレームをつけられることは皆無でした。当然、お客様にも喜んでもらえたと思っています。

これにより、速さと丁寧さの両立が出来ました。同僚が「自分は100%の仕事をした」と胸を張るなら、私は110%の仕事をしたと思っています。

そんな私が片手落ちの葵みどりを称賛すれば、私のキャリアまで否定することになるのです。

追記5

第2話のラストは、先輩・刈谷奈緒子と葵みどりが、二人仲良くならんで、ときどきタイミングよく左右交代しながら、薬の袋詰めをするシーンで終わります。

あれは「(意外と仲良しな)二人は、それぞれ半分の存在だ」という記号なのでしょう。

今後、どのような手法をとるのかは別として、ストーリーは「二人でパーフェクト」というオチに向かって進むのだと思います。

これも「太極図」の完成を目指していますね。

この作品は、新人薬剤師・相原くるみ(西野七瀬さん)の成長物語の体をとっています。

確かに彼女も成長するでしょう。

しかし、相原くるみには狂言回しの役目もあり、監督がほんとうに描きたい成長主体は、刈谷奈緒子と葵みどりというベテラン薬剤師二人なのでしょう。

ベテラン同士がプライドの火花を散らせながらも影響を与え合い、さらに成長していくのです。

追記6

私は「選別」「選別」と繰り返しましたが、

医療には「トリアージ」がありました。

場数を踏み、瞬時に適切な選別が出来るようになると、どんな仕事でも一歩先に進むのです。


@ 『 精神科医が「職場の人間関係は悪くて当然」と断言するワケ 』

( 2020.7.20 4:05 「ダイヤモンド オンライン」 )

小学校のクラス会に誘われ、当時の集合写真を見てみましたが、40人クラスの中、懐かしい顔は2~3人で、後は見知らぬ顔ばかり。雑談をしたこともないかもしれないと、あらためて気づきました。

学級委員もしたことがあるのに、そんな私が異常だったのかと、少し哀しかったですが、「職場の人間関係は深めるな」という項を読んで少し安心しました。


@ 『 安倍首相、1カ月超会見なし GoTo混乱も「閣僚が説明」』

( 2020年07月25日07時33分「JIJI.COM」 )

国の「緊急事態宣言」が終わり「GoToキャンペーン」がスタートした今、国は「GoToキャンペーン」で事実上の「新型コロナ社会的終息宣言」をしたつもりなのでしょう。

政治のわからぬ私が邪推すれば、総理は、「一仕事終えた後のお休み状態」なのかもしれません。

「医学的終息宣言」は出していませんので、感染者がくすぶり続けていても、想定の範囲内なのでしょう。

大事にならない限り、その対処は県知事など地方に任せておけばよいと思っているのかもしれません。

でも、かつて安倍さんは、新型コロナのことを「第3次世界大戦」と表現していました。

それは「未知との遭遇」であるため、専門家といえども、いまだ意見が対立しており、国民は何を信じてよいのか分からず、混乱が続いています。

その為、最悪の説を信じて、家に閉じこもっている老人もいます。

国民は指針となるトップの生声が欲しいのです。小池さんのよう会見できなくとも、もっと(SNSでもよいから)発信すべきだと思います。


(2020.7.24)

@ 子どもの頃経験した不思議な出来事が、大人になってから腑に落ちることがあります。

あれは私が幼稚園に通っていた頃だったでしょうか。

当時は、祖母の家に泊まるのが楽しみの一つでした。

しかし、早朝目が覚めると、薄明りの障子に、隣室で立ち昇る湯気の影ようなものを見たのです。

まるで沸騰したヤカンからモウモウと立ち昇る湯気のようでしたが、誰も起きていない早朝にヤカンがわいているわけもありません。

怖くなって布団にもぐり、そんな想像をめぐらしている内に、再び寝ていました。

そんな経験が何度もあったのです。

それが半世紀以上たった、ほんの数日前に腑に落ちたのです。

あれは私の体から立ち昇る「気」を見ていたのでしょう。障子に隣室の湯気が映っていると錯覚したのです。

「気」は、慣れれば真夏の炎天下でも見ることが出来ますが、最初は、かわたれ時、たそがれ時の、薄明りの中が良いのです。湯気は光を当てると見やすいですが、「気」は明るくても、暗くてもダメで、薄明りの中で観察するのがちょうど良いのです。

100パーセントの方が見えるわけではありませんが、多くの方は「気」の存在を信じていませんし、信じている方も自分が見えるとは思っていませんので、見えないだけなのです。

統計を取ったわけではありませんが、個人的には、見えると思ってチャレンジすれば、かなりの方が見えると思います。

私も「気」が見えることを知ったのは50代になってからです。その時も(あまりの神秘体験に)怖いと思いましたから、幼稚園児には、何が起こったのか分からず、怯えても仕方ないと思いました。

追記

40代にも似たような経験がありました。

父か、母は思い出せませんが、病気で入院していた時のことです。

お見舞いに行って、何気なく病室の窓の外を見ると…

コンクリートのヒサシの下部全面から(端からではありません)、小雨がシャワーのように噴き出し、床に落ちているのです。

マンションで言うならベランダの天井から床にです。

しかし、目を凝らして何度も見ましたが、ヒサシは濡れておらず、床も濡れていませんでした。

でも、雨は当然のごとく降り続いていたのです。

一瞬不思議に思いましたが、自宅ではありませんし、お見舞い中ですから、(本題ではないので)それ以上詮索しませんでした。

しかし、不思議な出来事として、ずっと忘れられなかったのです。

でも、あれも、私の体からモウモウと立ち昇る「気」が、降り注ぐ小雨に見えたわけですね。

それが分かってからは、暗い映画館でも、真昼の公園でも、ふいに小雨のような自分の「気」が見えることがあります。


(2020.7.22)

@ 2018年夏に、吉岡里帆さん主演で、TVドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」(ケンカツ)がありました。

ケースワーカーを主人公にして、役所の空気感を「就職希望者の教材にしても良い」と思えるほどリアルに再現した秀作でした。

そして2020年の夏、先日から始まった、石原さとみさん主演の「アンサング・シンデレラ 病院薬剤師の処方箋」は、薬剤師を主人公にした作品のようです。

私は病院内のことはよく知りませんので、どれほど空気感がリアルなのかは判断できませんが、第一話を観ると、薬剤師さんはとても重要な仕事にもかかわらず、(失礼ながら)一部の医師からは格下に見られているようですね。

医師とて人の子、診断や処方箋を誤ることがあり、それに気づいた薬剤師が指摘すると(それも仕事)、医師としてのプライドが邪魔をしてトラブルになるという事もあるようです。

しかし、医師と対立しようとも、患者の命のため、(頭を下げても、悪者になっても)言うべきことは言わなければなりません。医師とは違い、どちらかと言えば裏方さん的な仕事ですが、責任は重大なのです。

そんなドラマを見ていたら、前述した吉岡里帆さんの(ケンカツ)を連想したのでした。ケースワーカーも、苦労の割には、なかなか日の目を見ない仕事です。

上司として田中圭さんが出ていることも、連想要因の一つかもしれません。ただし、薬剤師の田中圭さんは、敵か味方か、何を考えているのかよく分からない上司を好演されています。

追記

石原さとみさんのウエストバッグをつけた制服が可愛いし、それ以前に、彼女の立ち姿、その姿勢が(背筋が伸びて)美しいことを発見しました。

追記2

「私は普通の公務員になりたいのであって、ケースワーカーになるつもりはない」という方もあるかもしれません。

でも、市役所や区役所の普通の職員が、5年前後に一度経験する人事異動で、一部の人が強制的にケースワーカーの仕事をさせられるのが現実です。

昨日まで戸籍担当で婚姻届を受け付けていた人が、今日からケースワーカーになることもあるわけです。人事担当から指名されるのも、されないのも、運です。

もちろん事前に希望が聞いてもらえる場合が多いと思いますが、需要と供給等の理由で、希望どおりにならない場合がほとんどです。


@ 30℃を超えるようになったら、今年もキッチンに置いてある味噌が舐めたくなってきました。

体は正直ですね。


@ 『 山中教授の「コロナで10万人以上亡くなる」発言を検証 専門家「すでにピークアウト」 』

( 2020/7/22(水) 5:56配信「デイリー新潮」 )


(2020.7.21)

@ 最近、新聞をあまり読んでいません。

コロナ以前は3日に一度ぐらい喫茶店などに行き、(自宅の新聞を持っていき)まとめ読みし、ついでにブログの題材などを探していましたが、コロナ過になって、喫茶店などにあまり行かなくなって、又、行ってもぼ~っと長居することも無くなり、結果、(第1面以外)読んでいない新聞が溜まってきたのです。

そんな今日、溜まった一部を取り出したら、7/1(水)夕刊で、2面に谷川俊太郎さんの詩が載っているではありませんか(原則、毎月第一週に掲載とのこと)。6/30頃に詩の掲載が終わったと思ったのは、私の勘違いだったようです。大変失礼いたしました。


(2020.7.20)

@ オーラの青緑、青緑などという曖昧な表現!?ではなく、青とか緑とか言いきりたいと思い、何回も注視してみましたが、やはり、青とも緑ともつかない、微妙な色が渦巻いておりました。

そして白は、黒っぽい壁を背景にして、たとえば手を見ると、ぼ~っと白っぽく何十センチかの幅のオーラが光っているのです。

その白が、薄いグレーとか、薄い紫とか、白以外の、なにか別の薄い色ではないのかとも思いましたが、私のオーラの視力では、白と表現するのが一番自然だと思いました。


@ 日課なので、小雨に降られながらも、いつもの公園を散歩することがあります。

暖かい季節、晴れていれば爽やかな風が吹いて、親子づれが楽しく遊んでいるのに、

雨が降ると、誰もいなくなり、傘をさして散歩するような酔狂な人もおらず、自分一人が置いてきぼりになったような、寂しさを味わうのです。

それは心の弱い部分を情け容赦なく刺します。

そんな時、私も小室等さんの「雨が空から降れば」という歌を思い出すのです。

きっと作詞をされた別所実さんも、雨の日の公園という「場違いなところ」に来てしまった戸惑いの中で、あの詩を書かれたのでしょう。


@ 小さくても良いので、持ち運べる扇風機をと、サーキュレーターを買いました。

これは空気を循環させる道具であり、人が涼む扇風機ではないらしいのですが(ですから扇風機として使うと不都合もあるらしい)、それを承知の上で、短時間使用のために買ったのです。

さっそくDKの床に置いておくと、ミニサイズの「R2-D2」というか、「昔飼っていたペットの犬」が、食事を待ちきれなくてちょこんと座っているようでもあり、愛らしいです。

サイズをぐっと縮小すると「WEBカメラ」にも似たスタイルですね。

サーキュレーターは話さないけれど、スマートスピーカーというか、家庭用のロボットもアリかなと思った瞬間でした。


@ 「 大切な人を自殺で失った時、残された人たちに何が起きるか? 」

( 「アゴラ 言論プラットフォーム」 2020年07月20日06:00 田中 紀子 公益社団法人「ギャンブル依存症問題を考える会」代表 )

35年ぐらい前、友人が自殺しました。

私の心にも棘は刺さったままです。


(2020.7.19)

@ 『 一般論として、医療関係者が医学的終息派だったとしても、それは理解できます。

(もし失礼でしたらお許しください)しかし、前回までの新型コロナの波で、医療崩壊直前まで経験した現場の(兵士にも例えられた)医療関係者の方の中には、もしかしたら、戦士のトラウマのようなものが出来た方もいらっしゃるのではないでしょうか。

であるとしたら、いくら話し合っても、社会的終息派とは平行線である可能性があります。トラウマの苦悩は理屈ではないからです。

トラウマが外野の杞憂ならよいのですが、政府も、相手が医師だからと放置したら、あまりにも医師が気の毒だと思います。』

( 2020.7.13の抜粋再掲 )

追記

先日見たワイドショーのコメンテーター(医療関係者の偉い人)は、「医療従事者は春の新型コロナの治療でメンタルを病んでいる」との趣旨の話をしていました。やはり、そうだったのかと思いました。  


(2020.7.18)

@ 三浦春馬さんがお亡くなりになりました。三浦さんは私の好きな俳優さんの一人で、将来を楽しみにしていましたのに … ご冥福をお祈りします。

又、共演の経験が御有りになる俳優さんは、私以上にショックを受けておられるのではないでしょうか。早く元気になられますように。

追記

三浦春馬さんを初めて知ったのは2007年のTVドラマ「ハゲタカ」だと思っていました。しかし、それは西野(松田龍平さん)だったようです。(失礼ながら)キザでクールな若造の役が印象的でした。

そうすると、2013年の映画「永遠の0(ゼロ)」の佐伯健太郎(三浦春馬さん)が、私の中では、故人の映画の代表作になるのでしょう。

特攻隊員だった実の祖父・宮部久蔵(岡田准一さん)は、「英雄」だったのか、それとも「海軍一の臆病者」だったのかを、弁護士志望の佐伯健太郎(三浦春馬さん)が調べるお話です。

途中、かつての部下であり、今はヤクザの親分になった景浦(田中泯さん)が出てきますが、外回りの仕事を経験した事のある者にとっては、他人事とは思えない、ぶるっとするエピソードでありました。

やがて、現代の法律家を目指している佐伯健太郎(三浦春馬さん)は、過去に存在した、特攻隊を含めた諸々の歴史の中にあった「きれいごとを超越した美」を知ることになるのです。三浦さんは、学生っぽさを残した役柄を好演されていました。

そして、2019年のTVドラマ「TWO WEEKS」。しばらく拝見しないうちに、生まれ変わった三浦春馬さんがそこにいました。思慮深さの中にも、逞しさを感じさせる大人になっていたのです。このドラマの彼を見て、私はファンになりました。

追記2

景浦(田中泯さん)が、ヤクザの親分と知りつつ一人でやってきた佐伯健太郎(三浦春馬さん)に真相を話したのは、佐伯健太郎の勇気の中に、祖父・宮部久蔵に通じるものを見たからでしょうね。


(2020.7.17)

@ 『 すべての観光客がコロナ患者だと考えて迎え入れる――経済との両立、沖縄の医師が語る「腹の括り方」【#コロナとどう暮らす】 』

( 2020/7/17(金) 10:45配信 「Yahoo!ニュース 特集」 )


(2020.7.16)

@ 先日のワイドショーに、九州の観光に携わる偉い人が出演され、「地域限定での『Go To キャンペーン』には反対です」と話していました。

理由は、「東京の人が東京近郊の観光、九州の人が九州近郊の観光だけでは、人口の少ない九州は持たない(潤わない)」からだそうです。

「東京や大阪の人が、はるばる九州まで来てくれることが必要です」と訴えていました。

追記

私が総理なら、現在の新型コロナの波がピークアウトしてから、『Go To キャンペーン』をするでしょう。

たぶん一週間前後先には見えてくると思いますから。


(2020.7.15)

@ コロナ過で、コンサートをライブ配信するアーティストがいらっしゃいますが、そのような音源こそ、PAスピーカーで聴くのが良いと思います。それでこそ家庭がコンサート会場になるわけです。

私がいまジャズを鳴らしているベリンガーMS16も、小さいですがデスクトップにポン置きでそんな音がします。


@ 私のオーラの色は、自分で見えるのが白(皮膚から何十センチか離れた部分まで)、青緑(皮膚に近い部分)です。

オーラは誰でも同じ色ではありません。私の知人女性は(彼女も自分で見える)、自分はピンクだと言っていましたから


(2020.7.14)

@ どなたですか?、

「コロナパーティー」と、

「Go To キャンペーン」の違いが、

よく分からないとおっしゃるのは。


@ 『 新型コロナから生還も1億円超の医療費請求 米男性「マジかよ!」「生還者の罪悪感は間違いなく増す」 』

( 2020.06.15 16:30 「ABEMA TIMES」 )

ベーシックインカムに憧れている方もいらっしゃるかもしれませんが、もし日本がベーシックインカムになったとすると、基本的に、生活保護も、国民健康保険も、国民年金も無くなりますから、民間の保険・年金に入ったりして、自ら一億円超のお金を工面しなければなりません。

新型コロナでは、高齢者より若者の治療を優先すべきだとか、患者の選別が話題になりましたが、ベーシックインカムの世界では、年齢より健康保険(お金)の有無で選別される可能性もあります。


(2020.7.13)

@ 『 詐欺を見抜いたと思ったら大間違い、「しりとり型詐欺」とは? 』

( 2020/7/13(月) 19:10配信 「MONEY PLUS」 )


@ 『 田崎史郎氏、「GoToキャンペーン」は「やった方がいい。コロナと共生していく以外に方法がない」 』

( 2020年7月11日 9時13分スポーツ報知 )


@ 「店内でスマホの会話はご遠慮ください」、のプレートがある大テーブル席にご婦人が座り、マスクを外してコーヒーを飲み始めました。

テーブルの中央には透明な仕切り版がありますが、下部は10センチぐらいのすき間があり、咳などすればテーブルに沿ってこちら側に流れ込みます。

ご婦人はスマホを取り出して友人らしき人と話し始めました。

友人らしき人は「今どこにいるの?」と尋ね、「喫茶店!? 店内でスマホはダメじゃない!」と注意したようでしたが、ご婦人は「小さな声だから大丈夫」と返し、片手で口元をふさぎながら、5分ぐらい話し続けました。

スマホ禁止の席で、友人の忠告を無視し、マスクを外して手のひらで口を覆い、5分間しゃべり続けて対岸にいる私に飛沫を流し、さらに唾のついた手の平で、椅子の背をもって動かし、やっと帰っていったのです。

せめてマスクをしてから話すとか、状況を改善する方法はあったのに。


@ 偶然お邪魔したブログでこの言葉を見つけました。

「 恐るべき者は1万通りの蹴りを1度ずつ練習した者ではない。たった1つの蹴りを1万回練習した者だ。」

( 「狐の日記帳」さんのブログ 2020年07月09日 22時59分37秒 | サッカーに関する日記より 引用させていただきました。)

気功には「スワイショウ」の①と②があります。私は「気功革命」盛鶴延(著)にてそれを知り、手をブラブラしておりました。1回20分前後×2を何年間も。

公園でやっていると、通りがかりの親切なご婦人が、「手ばかりブラブラせず、他の体操もしたら?」と声をかけてくださったこともありました。

しかし「気功革命」には、「本に紹介してある体操を全部する必要はありません。どれか一つでも二つでも、継続することが大切です」みたいな事が書いてありましたから、あまり心配しませんでした。それでも、何種類かのお気に入りはできましたが。

ところで、そのスワイショウの①と②、やればやるほど、奥が深いのです。最初はパントマイム同様でしたが、やがて一振りずつに「気」が動くのが分かるようになります。

1秒1回、1分で60回、20分×2で2,400回、1か月72,000回、1年で864,000回、5年で4,320,000回。

少なくともこれ以上はやりました。

まだまだ道半ばどころか、道1割にも満たないのでしょうが。


@ 『 「ほめる教育」が子どもをダメにする理由とは 』

( 2020.3.30 4:50 「ダイヤモンド オンライン」 )

(ルーチンワークのように)私は両親から欠点ばかり指摘されて育ちましたから、今でも叱られるのが私に対する正当な評価だと感じます。

ですから、間違って褒められたら、逃げ出したいぐらい居心地が悪いのです。今、褒めている人がいたとしたら、そうでなくなるのは時間の問題だと感じます。

私が、ときに先輩・上司から厳しくされても壊れなかったのは、そのおかげかもしれません。


@ とかく不安をあおる事が多いワイドショーですが、先日のものは面白かったです。専門家三人が新型コロナについて持論を展開していました。

AさんBさんは「ウイルスからは誰も逃れられない」「インフルと比べて重大視しすぎだ」「ワクチンが使えるのはいつになるか分からない」「経済でも人は死ぬ」と主張しました。

Cさんは「医療をひっ迫させてはいけない」と主張していました。MCが「経済とのバランス」を問うてもCさんは持論を変えませんでした。

今にして思えば、極言すれば、「AさんBさんは社会的終息派であり、Cさんは医学的終息派」だったのだと思います。

政治は高い視点で考えますから、医学だけに拘るわけにはいきません。ですから、政治は社会的終息派だと思います。

追記

一般論として、医療関係者が医学的終息派だったとしても、それは理解できます。

(もし失礼でしたらお許しください)しかし、前回までの新型コロナの波で、医療崩壊直前まで経験した現場の(兵士にも例えられた)医療関係者の方の中には、もしかしたら、戦士のトラウマのようなものが出来た方もいらっしゃるのではないでしょうか。

であるとしたら、いくら話し合っても、社会的終息派とは平行線である可能性があります。トラウマの苦悩は理屈ではないからです。

トラウマが外野の杞憂ならよいのですが、政府も、相手が医師だからと放置したら、あまりにも医師が気の毒だと思います。


(2020.7.12)

@ 「 少し前ですが、5月10日にニューヨーク・タイムズの記事で、パンデミックの終息は歴史的に2種類あると読みました。社会的終息と医学的終息。社会的終息とは、世の中が行動制限や自粛に我慢できなくなり、ウイルスと共存することを選び、終わりを宣言すること。一方、医学的終息とは、ワクチンや治療薬でのウイルスの根絶や感染者の完治による終わりです。そしてなんと、歴史上のパンデミックのほとんどの終息が社会的なものなのだそうです。

新型コロナウイルス・パンデミックにおいて、日本では社会的終息を選択したようです。

参考:How Pandemics End<https://www.nytimes.com/2020/05/10/health/coronavirus-plague-pandemic-history.html> 」

( 2020/7/12(日) 21:02配信「telling,」 『日本社会が選んだのはコロナの「社会的終息」?ウイルスと共存するための潔癖な私の新たな習慣』 より抜粋 )

追記

「Go To キャンペーン」とは、事実上、政府の「新型コロナの社会的終息宣言」なのでしょうか。

TVドラマ「JIN-仁-」では、花魁が覗く万華鏡が動くのが、「節目」の記号として描かれていたようですが、覚悟の有る無しにかかわらず、まさに、私たちは歴史的節目を通過しようとしているのかもしれません。


(2020.7.11)

@ 『 山中伸弥氏の「コロナ10万人死亡説」は大丈夫か 』

( 「アゴラ」2020年07月11日 14:01 池田 信夫 )


@ 「 (インタビュー)専門家は確率を語れ 新型コロナ 西村秀一さん 」

( 「朝日新聞デジタル」2020年7月11日 5時00分 )


@ 定期的にお茶していた(旅行も好きな)友人と、コロナ過で会えなくなって半年になります。

メールでのやり取りはしていますが、彼はまだ、いえ、ますます怯えて自粛しているようです。

私より少し年上ですし、私としても万一のことを考えると強引には誘えないので、彼の心境の変化を待つしかありません。

政府も本気で「Go To キャンペーン」をするつもりなら、「感染者数の増加は心配ない」と、データをあげて、きちんと説明すべきだと思います。

ニュースやワイドショーが不安を煽るような報道ばかりしている現在だからこそ、政府の声が大切なのです。


@ これを書くのは少なくとも三回目ですが…

私たちは階段の「踊り場」にいます。

皆様は上るためにブログを書きますが、私は降りるために書くのです。

誰からも読まれなくなったとき、「やっと本当の私を理解してもらえたと、少し微笑み」、誰にも気づかれないで筆をおけたらと思っています。


(2020.7.10)

@ 世論 → 世論を読んだワイドショーのプロデューサー(ディレクター) → 世論・MC → 世論・コメンテーター → 世論に沿った結論(世論に反した結論になりそうなときは、MCが世論に沿ったものに誘導する) → 視聴者喜ぶ → 視聴率上がる。

そんな夢を見ました。

追記

ラジオはパーソナリティの裁量が大きいようですから、TVよりも個性的な話が聞けるのでしょうね。


(2020.7.9)

@ 今回の豪雨・河川氾濫などで被災された方々には、心からお見舞い申し上げます。


@ 先日のニュースで、土木工学の専門家の方が、河川氾濫について解説していらっしゃいました。

それによると、「古い規格で作られている河川堤防は、最近の集中豪雨には耐えらえない。解決策としては、スパコンで計算しなおして、新しい規格の堤防を作る必要がある」(抜粋)とのことです。

つまり、天気予報が専門の気象庁は「50年に一度の…」とか説明しますので、私たちは堤防決壊まで「豪雨のせい」だと勘違いしてしまいます。

でも実際は、「(古い規格)の堤防なので、(新基準の)日常的な豪雨でも決壊する」という事だと理解した方が正解に近いのではないでしょうか。

一言で言いなおせば、「雨のせいではなく、堤防のせい」なのです。


(2020.7.8)

@ 映画を観ていない方には分からないと思いますので付記します。

映画「のぼる小寺さん」のレビューで、私が「勝負Tシャツ」と「視線」にこだわったのは、映画の前にあった監督と工藤遥さんのご挨拶映像で、お二人がそれに触れられていたからです。私はそこに意味を感じましたので。


(2020.7.7)

@ TVの「鶴瓶の家族に乾杯」を観ると、ぶっつけ本番らしいので、ゲストの方の人柄がよく分かるような気がします。

本日再放送の吉岡里帆さんは、わりと「仕切り屋さん」みたいな感じで、TVドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」(ケンカツ)のヒロインを地で行くような、明るいしっかり者だという事が分かりました。(2020.7.6の再掲)

追記

再放送分は録画予約してありましたので、先ほど観ようと思いましたら、集中豪雨の特番が入っていました。番組変更になったようです。

観ずに書いたと誤解される方がいらっしゃるといけませんが、私は(1回目の)放送分を観ています。

保育園か、小学校かは忘れましたが、吉岡さんがそのような所を訪問され、よろこんで集まってきた子どもたちに振り回されるのではなく、まるで保母さんか先生のように、号令をかけ、皆をまとめて、いっしょにゲームのような遊びをしていました。

その即席の先生ぶりを見て、「仕切り屋さん」だと思ったのです。

そして、群衆を見ると無意識に仕切り係になったつもりになる公務員と同じだなぁとも。


(2020.7.6)

@ 「事件は会議室で起こっている」と言う人がいるようです。

理論通りに相場が動かないとき、「相場が間違っている」と言う人も。

私が会社ストレスを抱えていた時は、健診でストレステストをし、「ストレスは無い」と判断したお医者様もいらっしゃいました。


@ 最近は新型コロナ対策でフェイスシールドをかぶっている方がいらっしゃいます。

美女がかぶると、ただでさえ美しいお顔に、艶々とした光が加算されて、また格別です。

真空管アンプの音色を視覚化すると、概して、そのようなつやのある音になります。

あるいはCDプレーヤーのデジタル信号を光ファイバーでDACに送り込むと、同軸ケーブルで送るよりも、フェイスシールドに似た音になります。

これを「情報量の低下」とする意見もあります。同軸ケーブルの方が情報量が多いと。確かにフェイスシールドをするとお肌の細部までは見にくくなります。しかし、つやつやとした光は魅力的。どちらに価値を置くかという問題だと思います。

昔のオンキョーのCDプレーヤーには、内部配線の一部に光ファイバーを使い、同様な音を実現し、一部マニアの絶賛を浴びた物もありました。

個人的な感触では、光ファイバーの音はLPレコード(材質の固有音)に近いと思います。同軸ではCDに近くなります。


@ TVの「鶴瓶の家族に乾杯」を観ると、ぶっつけ本番らしいので、ゲストの方の人柄がよく分かるような気がします。

本日再放送の吉岡里帆さんは、わりと「仕切り屋さん」みたいな感じで、TVドラマ「健康で文化的な最低限度の生活」(ケンカツ)のヒロインを地で行くような、明るいしっかり者だという事が分かりました。


@ どこかにも書きましたが、(反撃された場合の覚悟が出来なくて)敵地攻撃まで出来なくとも、猛スピードで軌道を変えながら飛んで来る、従来の技術では迎撃困難な新型ミサイルにも、レーザーは陸・海・空・宇宙から対応できそうなので、ミサイル防衛の目玉として、研究開発を急ぐ必要があると思います。無人攻撃機も無人(偵察機)として使えます。


@ これは私の疑問です。

「新型コロナの封じ込め作戦に失敗し、パンデミックが起きてしまった現在、人類は集団免疫獲得を目指し、新型コロナと共存する道を選ぶことになった」。

ゆえに、

「集団免疫獲得のために、医療崩壊が起こらない範囲で、じわじわと感染者数の増加を目指す」。

「ダムが決壊するがごとくの爆発的感染が起きないよう、コントロールしながら毎日放水する必要がある」。

よって、

「(何かの理由でウイルスが自滅してしまうならともかく)現時点では、一定数の新規感染者は、危機ではなく既定路線であり、勝利へ一里塚である」。

現在の状況を私はこう思っていますが、マスコミを見ていると、「封じ込め作戦継続中」であるかのようなニュアンスを感じます。

私の理解が違っているのでしょうか。


@ 「 欧米のコロナは完全に終息モード。もちろん日本もね。」

( 「アゴラ」 永江 一石 2020年07月06日 06:00 )


(2020.7.5)

@ 「 安倍: 今後、更に必要な防衛能力は何か。

長島氏: レーザー兵器だ。3年程前、ワシントンのハドソン研究所にいるミサイル専門の研究者に聞いたが、無人機にレーザーを積み、赤外線センサーでミサイルを発射を探知し、ブースターの段階でレーザーで焼き切れば落とすことができる、と。狙いが動いていても赤外線で見てすぐレーザーで撃てるといったシステムが、2025年頃には出てくると思う。有人機が決死の覚悟で近接攻撃に行くというのではなく、日本はアメリカと共に無人機の研究開発などを強化するべきだ。 」

( 「BLOGOS」 安倍宏行 2020年07月05日 15:18 「日本は反撃能力持つ可能性十分にある」長島昭久衆議院議員 より抜粋 )


(2020.7.4) 

@ 先日、「敵基地攻撃能力」について語るTV番組で、ゲストの石破さんが、「無人攻撃機で、敵基地から打ち上げられて上昇を続けるミサイルに、ビーム攻撃する」(表現は正確ではありません)方法を、さりげなく「一つの見本」のような形で語っておられました。

「あっ、石破さんもレーザー光線好きだな」と、私は思いました。

ちなみに、「重力に逆らって上昇する時は、ミサイルにとって迎撃されやすい時」だそうです。


@ 映画「ランボー」のように、ときに軍隊で弓矢を使うのは、音が小さいからのようです。

しかし、小さいと言っても、リカーブ系では布団を布団叩きでバンバン叩くときのような「バン」、コンパウンド系では「ぷしゅ~」ではなく「プシュ」というかなり大きな音がします。コンパウンド系は映画などで観るサイレンサーを装着した拳銃の音に似ています。

銃に比べれば小さいでしょうが、本物の弓矢は意外なほど大きな音がするものです。

しかし、音色が火薬の破裂音ではないので、それこそ「何かを叩いた音・ぶつかった音」だと思われて、敵に分からないのかもしれませんね。

追記

以前にも書きましたが、アーチェリーはオモチャではありません。ネットで弓矢を買っても独学は難しく、危険で、射場でも門前払いされる可能性があります。講習会を受け、地元のクラブに所属して、先輩の助言を受けながら楽しむのが良い方法です。


(2020.7.3) 

@ これは私の想像ですが、いわゆる「感染経路不明」には、「どこで感染したのか思い当たらない」と、「思い当たる節はあるが言いたくない」が混ざっていると思います。

そして後者には「夜の街」が多いのかもしれません。

しかし、データを取らないと本当のところは分からない。それで東京都は重点調査対象地域として「夜の街」を選んだのでしょう。

そして調査をしたら、案の定「夜の街」関連の感染者が多かったようです。

だから都知事は、「都民には夜の街、夜の繁華街への外出は控えてほしい」「東京全体で休業というより、特定の地域や年代、業態に明確なメッセージを発していく。」「経済社会活動との両立を考えている」などと呼びかけたのでしょう。

つまり、都の当初の目論見を一言で言えば、「クラスター対策・パート2」だったように思います。「クラスター発生前にお店と客に警告を発する」という作戦。

しかし、調査段階で想定外に感染者数が増えてしまい、国民まで不安に陥ってしまったのです。

でも、想定外に感染者数が多かったというのは、(表現は適当ではないかもしれませんが)都としては金鉱を掘り当てたに等しく、「クラスター対策・パート2」としては一定の成功を収めたと言っても良いと思います。

追記

今春、「日本はPCR検査数が足りない」と世界から言われていました。国内世論の多くも「検査を増やしてほしい」と言っていました。

有識者の方々は「実際の感染者はもっと多いはず」と言っていましたし、中には「10倍ぐらい…」という人もいたように記憶しています。

現在、医療崩壊もギリギリ免れましたので、それらに押されてか国も検査数を増やしました。昨日のニュースではどこかの保健所長さんが「検査を増やす」と情熱的に話していました。

この背景の中、もし10倍の隠れ感染者がいるのなら、毎日100人どころか1,000人なっても驚いてはいけないのでしょう。

さらに、どなただったかお名前を失念しましたが、「もっと検査を増やして、隠れ感染者を発見し、隔離しなければならない」との説を唱える有識者の方もいらしたので、もしその方が、政府の新しいブレインの一員になられたなら、実態に変化はなくとも、感染者数だけは増えていくのでしょう。

そこまで積極的でなくとも、「もはや封じ込めは困難で、新型コロナとは共生していかざるを得ない」との意見もありました。

次の波がまだ来なくとも、時代の景色は「感染者数の増加」であって「減少ではない」と思います。

まとめると、今後も政府が全体を注視することは必須ですが、基本的には「医療に過度の負担がかからず『死者』が増えなければよい」のであって、感染者数にはあまり一喜一憂しないほうが良いのかもしれません。


(2020.7.2) 

@ 映画「ランボー ラスト・ブラッド」の本当の味は、60歳ぐらいから上の年代にしか分からないのかもしれません。

人には厄年があって、男は40歳ぐらいが人生の後半戦への軌道修正をする節目だとすると、60歳ぐらいは「最後の悪あがき」をする節目だと思います。

その「悪あがき」が目論見通りにならなかった(私も含めた、おそらく多くの)人たちは、一生懸命に生きても、トラウマだけは消えないのに、老いて色々なものを失っていくランボーの無念が、我がことのように心に沁みるのだと思います。


@ PCR検査数を増やし、感染者の多そうな場所も重点調査し、結果、感染者数が増えて緊急事態宣言を再発しても、当局を「マッチポンプ」と呼んではいけません。


@ 『 関東上空で大きな火球 破裂音?「聞こえた」投稿相次ぐ 』

( 2020/7/2(木) 4:33配信 「朝日新聞デジタル」 )

私も20年ぐらい前、仕事帰りに見たことがあります。

何気なく北の空を見上げた瞬間、それは音もなく流れました。

後日、当時良く聴いていたネットラジオ局にメール投稿しましたら、DJさんは、2/3ほどの別の話題は読んでくれましたが、1/3の「流れ星」の話題はカットされました。

「信じてもらえないのだな」「変なものを放送したら、リスナーの不安をあおると判断されたのだな」、そう思いました。


@ 新居の近くに旅行会社の支店があり、日曜日の朝にはツアーバスが止まっていました。

しかし、新型コロナが直撃します。

バスはいなくなりました。

でも、先日の日曜日、バスガイドさんとともに、何か月ぶりかにバスが出発するのを目撃したのです。

他人事とは言え、嬉しい出来事でした。

じっとしているのが苦痛なので、バス旅が苦手な私なのが残念ですが。


@ 先日、空いたカフェでランチをしましたら、端の席に、40歳ぐらいの日本人男性とブラジル人らしき男性が座っていました。

日本人男性はスマホでどこかへ電話をしたり(融通の利かない電話先に苦言を言ったり)、ブラジル人と穏やかに話したりしていました。ブラジル人は片言の日本語が話せました。聞くともなく聞いていると、友人ではなく事務的な話のようです。

私は、自信に満ちた日本人男性の、ラフであるけれど抑制のきいた身なりと繊細な対応。受け身で、言葉も少ない低姿勢のブラジル人との対比から、生活保護のケースワーカー!?と思ったのです。

実は、10年近く前にも別のカフェで似たような光景(その時は二人とも日本人)を見たことがあり、その時ケースワーカーの仕事かとな思った経験があるので、今回もそう思ったのです。

ケースワーカーは、休日でも救済しなければならない人が現れると現場へ直行することがあります。次のアクションのために、すぐ現場で話を聞く必要が出来た時には、やもうえず、緊急避難として、空いたカフェ等を使っても不思議ではないと思ったのです。

しかし一方では、「公務員がカフェでプライバシーの話をすることは無い」とも思っていましたから、気になりました。

そうこうしている内に、だんだんと輪郭が分かってきました。

ブラジル人は転職したいようでした。日本人は公務員ではなく会社員(転職関係の会社ではない)であり、なぜか、他社から他社(自社かもしれませんが)への転職の仲介・相談をしているようでした。

日本人がテレワークの最中にその仕事が入り、会社は遠いし、自宅では都合が悪いし、仕方なく近所のカフェでブラジル人と落ち合い転職の相談に乗っているのだと想像しました。

しかし、その日本人の仕事ぶりは、公務員のケースワーカーを連想するほど公務員的な、いや、下手な公務員以上の、上手な熱心さと指導的な匂いを漂わせていて、それが私には意外で、失礼ながら、尊敬に値すると感じました。

開店前から店の前で待っていても「おまたせしました」「いらっしゃいませ」の一言もない飲食店もある中、「お役目ご苦労様です」と頭を下げたくなるような会社員もいたことは、ほんとうに嬉しいことです。

しかし、あのような転職相談もあるのですね。


(2020.7.1) 

@ 「ジャズ言語説」という言葉を読んだことがあります。

ジャズを初めて聴いた人が「?」となるのは、その言語を知らずに会話を聴いたから!?。

幸いにも私が「ジャズ言語説」という言葉を知ったのは、(「門前の小僧習わぬ経を読む」)ジャズ好きになってからなので、素直に頷けましたが。

そのせいか、どうか分かりませんが、最近ネットラジオでジャズを良く聴くようになってからは、夜になるとジャズに飢え、これは「故郷の訛りが聞きたくなる気分」と同じなんだろうな、と思いました。

しかし、「ジャズ言語」も奥が深い。私など3歳児以下のレベルでしょうか。

( 「Mistletoe Music School Jazz Class」 ジャズ言語習得ステップ )

https://mistletoemusicschool.com/blog/first2/


@ 私は素人ですから真顔で信じてもらっては困りますが、疑問に思っていることを書きます。これは疑問点です。

ネットで「スペイン風邪」を見ると、一波~三波まであり、それぞれ特徴があったようです。簡単に言えば、一波は小さく弱毒、二波は大きく強毒、三波は小さく強毒のようでした。

ところで、「スペイン風邪」と「新型コロナ」がまったく同じだとは言いませんが、「新型コロナ」では、緊急事態宣言(解除)のNHKニュースで安倍さんが言った通り、又、ネットの記事では専門家会議内でも話されている通り(専門家会議内では、ニュースで言うところの二波を三波と呼び議論しているらしい)、すでに日本では、今年の春に中国から直接来た小さな波(一波)と、先日の欧米経由の大波(二波)がピークアウトしております。

つまり、日本に今度来るとしたら三波になるのです。

しかし、欧米と呼称の歩調を合わせるためなのか、三波を二波だとして、(ニュース等では)説明しているようです。

呼称が単なる記号なら、どちらでも構いません。

しかし二波だと言うと、「小さな三波を大きな二波として国民は恐れることになる」ので、「正しく恐れることにはならない」という弊害が生れているのではないでしょうか。

これは人々に余分な不安を与え、経済にも悪影響があるのではと思ったのです。


(2020.6.30)

@ 今日でポイント還元は終わりらしいですね。

昨年秋は引っ越しのため、カードで何十万円もの支払いをしました。ポイントも期待しながら。

しかし、住所変更に伴う手続きで忙殺され、それがやっと終わり映画館へ復帰したら、今度はコロナ過になり、風邪もひき、緊急事態宣言になり、自粛生活になり、やっと緊急事態宣言が解除され、勇気を出して映画館へ復帰し…。

目まぐるしい数か月が終わったら、ポイント還元の終了とか。

そう言えば、私の何十万円から発生した買い物ポイントはどうなっているのでしょうか。銀行系カードなのでサービスセンターへ聞かないと分かりません。貧しい身、一円でも回収したいですが、あまりジタバタする気力もないので、とりあえず映画館にでも行こうかと…。

それはそうと…

あるカレー店に、家探しをしていた昨年秋にはよく行っていました。

11時開店なのに、10:50頃に到着したので店外で待っていました。他に若い男性一人も待っているようでした。

店員が中で作業しているのが見えましたが、ガラス戸はロックされていました。

やがて11時になり、店員が入り口のロックを外しに来ましたが、外にいる我々に当然気づいているはずなのに、「おまたせしました!」の声もなく奥へ消えてしまいました。

とぼとぼと店内に入る二人。

しかし、あいかわらず2~3人の店員は無言でした。「いらっしゃませ」の声もないのです。社長の美談がニュースになったような店なのに。

その店には店長らしき若い人が少し遅れて入ってくることが多いです。しかしお局さんのような部下に、どちらが上司か分からないように扱いをされている、そう思われる光景にも出くわしました。

世の中そんなものです。


@ 朝日新聞に週一ぐらいのペースで、

谷川俊太郎さんの詩が掲載されていました。

私はそれを読むのが楽しみでした。

今はそれも終わってしまい、

もっと早くから読んでいればと。


@ コンビニでランチに総菜パンを買ったのですが、カウンターにマカデミアナッツチョコが置いてあり、思わずそれも買いたくなってしまいました、が買いませんでした。甘いものは控えているので。

少し心残り…。

でも夕方、ある方からマカデミアナッツの入ったお菓子のおすそ分けを頂いたのです。

そういう偶然て、嬉しいものですね。


(2020.6.28)

@ ミサイルによる「敵基地攻撃能力」が保有しても使えない能力なら、「レーザー兵器」の開発をした方が良いのでは。

陸・海・空・人工衛星からのミサイル迎撃にも、敵基地攻撃にも使えそうだから。


@ TVドラマなどで、よく子どもが「僕の気持ちをぜんぜん考えてない」みたいなセリフを大人(親など)に言うことがありますが、私はあれがいつも心に引っかかるのです。

私の子供の頃のことを考えると、大人が人に意見を言うとき、

①正しい意見。
②相手の気持ち。

で、自分と同格か目上には①②を適用しますが、目下に言うときには①のみでした。目下も②まで期待しませんので、傷つくことも少なかったわけです。

(わが家の場合)親が子どものご機嫌を取ることはなく、①のみで押し切られました。だから、今の子供たちが目上に向かって②を要求しているのを感じると、教育の失敗じゃないかと思うのです。

追記

これは軍隊の上下関係を模したものだったのかもしれないと思いました。私の子供の頃は、まだ街に、傷痍軍人が白装束で立っていた時代ですから。

「軍隊での上官には天皇陛下に接するように、部下には奴隷に接するように」。私に軍隊経験はありませんが、映画などで観る旧日本軍の姿からは、そう連想されますから。

子どもの頃にTVで観た、映画「二等兵物語」シリーズには泣けました。


@ 公務員の気持ちは民間人には分かりにくい部分があると思いますが、芸能人の気持ちも一般人には分からない部分があると想像します。

ですから一般人である自分の物差しで芸能人の気持ちを量ると、「ときに真逆の評価をする」のではないのかと、失礼に当たるのではないのかと、正直恐れる気持ちもあります。

しかし、芸能人も人の子。

コロナ過での大規模コンサートは、感染に対する責任問題で、心労は大変なのでしょうね。その勇気には私も敬意を表します。


@ 昔、顕微鏡(おもちゃに近いもの)を買い、戯れに、台所の流し台(タイル製)のたまり水を一滴覗いてみました。

そうしたら、数えきれないほどの正体不明の微生物がうごめいているのが見えたのです。

それ以来、顕微鏡を覗くのは止めました。


@ ①昔、国民年金は世帯主だけが加入していました。

②その後、配偶者が強制加入になり、

③続いて、二十歳以上の子供も強制加入になりました。

単純計算では、3人家族だとすると、市町村の事務量は(じわじわと)3倍になったわけです。しかし、容易には市町村の担当職員は増員されません。すると何が起こってくるのかと言えば、残業が常態化してしまうのです。

昔の年金係を知っている人の中には、たとえ管理職クラスでも、「あそこは楽だ」と今でも思っている人がいるので、それが問題を見えにくくしている要因の一つだとも思いますが。

というのが20年ぐらい前の風景です。何年か前に、「年金未納者への催告事務」が、市町村から社会保険事務所へ移管されたようですから、今はまた風景が違っているのでしょうが。


@ 子供の頃の私は「お使い・お手伝い」が嫌でした。

怠け者だったのでしょう。精神的負担に耐えられなかったのでしょう。でも、理由はそれだけではありません。

親から何か頼まれたときの気分を今でもよく覚えていますが(隠された)「罰」に感じられたのです。毎日のように叱られて親の目を気にしている場合、その後で求められる「お使い・お手伝い」は、反射的に「罰」に感じられるのです。

子供にも言い分があり、「罰」を与えられるようなことをしたつもりは無い自分は、「お使い・お手伝い」を求められると嫌な気分になるのです。この世には、「親がよろこぶから嬉しい」という子どもさんも、いらっしゃるのでしょうが。

対して、父が好きだったのが日本昔話「養老の滝」の世界観です。

(あそこには優しいお父さんが出てきますが…)
「養老の滝」を理想郷とする厳しい父と、現実の私がかみ合うはずがありません。


@ 先日、キーボードを買った話をしましたが、ついでにマウスも買いました。「iBUFFALO 有線IRLEDマウス 3ボタン ホワイト BSMRU21WH 」です。

マウスも消耗品ですし、買うときには使用感を確かめる必要もありますが、コロナ過の中ではあまり展示品に触りたくありませんので、今使っているお気に入りが生産完了にならないうちに確保したわけです。

現在、アマゾンさんでは黒色だけが二倍ぐらい高いです。私は白色を使っておりますが、本体の汚れは目立ちません。


@ 先日、夏になったので、しまってあった発熱の少ない「Behringer べリンガー MS16」(アンプ内蔵スピーカー)を鳴らし出したという話を書きました。

しかし記憶とは音色が違うのです。

もっと「ふんわり」していたはずなのに「クッキリ」しています。

以前はクラシック向きだったのがジャズ向きに、イギリスの音だったのがアメリカの音に、真空管アンプで言うと、2A3シングルの音が300Bシングルの音になったような。

気のせいかなとも思いましたが、一計を案じ、コンセントの差し込みを逆にして見ましたら、音が元に戻ったのです。

電灯線は交流だからどっち向きに差し込んでもOKのはずです。でも、現実問題として差し込みの向きが違えば音も違い、これは現在においてはオーディオの常識になっています。

その昔、初めてこの常識に本で触れた時、正直に申せば、(そこまで言うかと)病的に思い、嫌悪感さえ感じましたが、自分の耳で確認したら、ほんとうに音が違うことが分かり、私もその信者になりました。

しかし、ロープライスなこのスピーカーまで、その影響が音に出るとは思いませんでした。

ちなみに、私の好みは「ふんわり」した音です。


(2020.6.28)

@ いわゆる「長期間引きこもり」などで国民年金を払っていない人は、将来、年金がもらえるのかという問題ですが、

一言で言えば、「免除者は少しもらえますが、未納者はもらえません」。

免除と未納は似て非なるものですから、分からない方は、手遅れにならぬうちに、年金事務所等へお尋ねください。


@ 1年ぐらい前に本屋さんで立ち読みして、気に入ったのですが、当時は買っても読み通す気力が無かったので買いませんでした。

でも、今でもふと思い出します。タイトルは忘れてしまいましたが…。

それが、「樹木たちの知られざる生活」だったようです。

どこかで(この本とは無関係な記事で)「樹に話しかけるのは問題ありませんが、樹が話しかけてきたら受診してください」と書いてあるのを読んだことがありますが、この本は、ある意味、樹の言葉をつづった、凡人の常識を超えた良書なのです。この本を読めば樹の人間臭さ!?が分かります。

参考:( 井上 貴至 2020年06月28日 11:30 アゴラ「Society6.0」 )


@ NHK7時のニュースでも放送されていましたが、加藤登紀子さんオーチャードコンサートお疲れさまでした。


@ 私には「聴覚→視覚→(見えているから触れられる)触覚」の共感覚があると思っていますが、どのように見えるを言語化するのは困難です。それは「音色の変化に伴い刻々と変化する抽象画のようなもの」だからです。

しかし、アーチェリーをしていて思ったのですが、射場の前面上部に吊るしてある、誤射を防ぐ為のネットが風に揺らめく様子は、体が風を感じているのとほぼ同じ、頭をなぜるような、やさしい感触を、上手に視覚化していると思います。


@ 日経平均株価は、日経平均銘柄を一部入れ替えると、連続性が中断されます。

物差しが違えば、同じものでも違った答えが出るのです。

私もPCR検査数・検査対象の変化と感染者数の変化には相関関係があると思っていました。

数値の補正が必要だと思います。


(2020.6.27)

@ 最近、再放送のTVドラマ「奥様は、取り扱い注意」を観ています。綾瀬はるかさんがキレッキレのアクションを見せてくれるので面白いですが、共演する本田翼さんの三姉妹・末っ子的存在も魅力的。

その本田翼さんは、急性虫垂炎からの退院と誕生日という事で、存じませんでしたが、ご退院、そしてお誕生日おめでとうございます。


@ 半年前から使い始めたバッファローのキーボード(YDKBU11)。

安いうえに、10倍以上高価な職場で使っていたプロ用と比べても、あまりそん色のないキータッチに惚れて買ったのですが、ボタン「E」「A」の文字が消え、「K」の文字が一部欠けてしまいました(ボタンはついてます)。

そこに一番爪が触れるからでしょう。どのメーカーだったか、特殊処理で文字の消えないボタンを搭載した製品もあるので、そちらから選択した方が良かったと思いました。

でも、数文字欠けてもブラインドタッチだからまったく困らないし、キータッチに劣化はありません。

実は、コロナが流行りだした春に、予備として同じものをもう一台買ってしまいました。

なぜなら、キーボードを買うときは、キータッチを確かめるために、売り場で試し打ちをしなければなりません。コロナ過では、その試し打ちをしたくなかったので、試し打ちの必要のない同じ製品を、生産完了にならないうちに確保したのです。

キーボード二台使い倒すころには、世の中の状況も少しは変わっているでしょう。


@ 飲食店では外したマスクの置き場所に困ります。

私は折りたたんで胸のポケットに入れます。

試しにネットで調べてみても、ポケットに入れるのは無難な方法のようでした。

昨日もそのようにして胸のポケットにしまい、すき間に、「地下鉄の一日乗車券」(ほぼ名刺大)を突っ込んだのです。

一日乗車券など地下鉄の磁気切符は、折れ曲がると機械に通らず挟まってしまうので、胸のポケットに入れるのがいちばん無難です。

そして、飲食を済ませ、マスクを取り出そうとしましたら、後からマスクのゴムの部分に引っかかっていた一日乗車券が、ゴム鉄砲のように勢いよく飛び出し、角が目の下2センチほどの顔に刺さり、幅5ミリほど切れ、わずかですが血がにじんでしまいました。面の皮が厚くて良かった。

もし、眼球に当たっていたらと思うとゾッとしました。

皆様くれぐれもお気おつけください。

追記

直後に地下鉄のホームにある鏡で血がにじんでいることを発見した私は、地下鉄を待つその場で「手あて」をし、30秒間ぐらい「気」を与えましたら、今日はもう完治したようです。

夏場の傷は化膿して、ぐずぐずと治りにくいもの。小学校の時、夏休みに転んだ足の傷が、薬を塗ったのに、何日も治らなかったのを昨日のことのように覚えています。

しかし大人になり、気功を覚えてからは、切り傷、擦り傷なども、(西洋医学の手当てが出来る場合にはそれをした上で)気功の手当てをしています。そうするようになってからは、化膿することもなく、短期間で完治しています。これから多い、健康診断の血液採取の注射あとも。


(2020.6.26)

@ だいじょうぶ。あなたは、みどりさんですから。


@ 私は小学生の頃から「ドッジボール」が嫌いでした。

攻撃してくるボールをキャッチする勇気はないので、逃げ回っていると(なぜか逃げるのは上手でしたから)、いつの間にか一人になっているからです。

全身全霊で努力し、成功し、一人頂点に立った私を、敵は集中攻撃してくるのです。倒れるまで。勝者に対し、称賛するならともかく、こんな残酷な仕打ちがあるでしょうか。

それはともかく…

岩手県は新型コロナの感染者がゼロなのに、マスコミでは、なぜか「タブー」であるかのように触れません。

日本に「ファクターX」があるなら、その聖地が岩手県の可能性もあるはずなのに。

しかし、朝日新聞が記事を書いてくれたのでほっとしました。「ファクターX」は無さげですが。

「 (いま聞く)達増拓也さん 岩手県知事 コロナ感染者ゼロ、どうみますか 」

( 「朝日新聞デジタル」 2020年6月20日 16時30分 )


@ 「トリアージ」というものがあります。

非常時とはいえ一番大切な「命の選択」が合法化されているわけです。

「命の選択」が許されるのなら、遥かそれ以前の「何かを犠牲にする選択」が思考停止で排除される社会があるとしたら、如何なものかと思います。


(2020.6.25)

@ 買って半年のPCが最近やたらとフリーズするようになりました。

性能は悪くないはずなのに…。

それで一計を案じ、「お気に入り」の掃除というか、一部削除をしてみたら、元通りにサクサク動くようになりました。

しかし、「お気に入り」登録は特に多くはないはずなのにおかしいです。でも、ネットサーフィンをして目に留まったニュース記事等を、「後で読も!」と、とりあえず「お気に入り」にメモリーしていたのが主な原因でした。

メモリは8ギガですが、HDDはSSDで、そちらが500ギガぐらいしかないので、8ギガが満杯になった時の仮想メモリーが少ないのでしょうか。

ワードパッドとネットラジオを同時に開いているのも関係しているかもしれません。

自分でも言っていることが意味不明ですが、とりあえず「お気に入り」の掃除は買い替えたぐらいの変化がありました。


@ 「要領がよい」から連想する映画はこの二本です。


① VHS開発秘話を描いた、映画「陽はまた昇る」。

私もVHSの誕生から完了までを目撃した一人として(もちろんユーザーとして)、開発秘話からは教えられるものがありました。正確には覚えていませんが、どこかで、こんな話を読んだことがあります。

「 まず、目的とする性能の実現だけを目指し、金に糸目をつけずに開発します。これを『プロトタイプ』と言います。VHSの場合は当時50万円ぐらいになりました。当時の物価から考えると今より高額でしょう。

しかし、性能が良くても50万円では一家に一台にはなりません。だから、安い部品に交換したり、工程を省略したり、性能をできるだけ落とさずに、安くできる方法を、探るのです。これを『カット・アンド・トライ』と言います。『仕事の合理化』とも似ていますね。

そうやって、『性能は少々落ちたけど、許容範囲内だし、なにより、この値段なら買ってもらえる』という妥協点を見つけ、市販品として売り出すのです。

それと新技術の相乗効果で、最終的には数万円でも満足できる製品が売り出されることになりました。


② 植木等さんのサラリーマン作品、映画「日本一のホラ吹き男」。

こちらは、植木等さんの調子の良すぎるサラリーマンぶりが気持ちの良い作品です。たまたまこの作品を観たことがあるのでご紹介しましたが、映画「日本一…」シリーズは、寅さんシリーズ同様、どれでも期待を裏切らないのだと想像します。

「手八丁口八丁」と申しますか、上司や取引先、同僚や、女性に取り入るのが天才的にうまく、出世していくのです。又、口先だけのお調子者ではなく、尊敬できるほどの人間的中身もあり、仕事も人並み以上にできるのです。


昔から私は①が好きでした。在職中も日々の仕事を無意識の内にもそちらへ向けていたのかもしれません。しかし、上記のように、「合理化とは、何かを犠牲にすること」でもありますが、仕事の種類によっては「(建前上)犠牲は許されない」職場もあるのです。

例えば、政治家が「貧富の差は無くさなければならない」と言えば問題にはなりませんが、「資本主義社会に貧富の差は避けられない」と言えば非難を浴びるでしょう。

②については私に才能はありません。

20代の頃「あなたも生きるのが下手ね」と、友人だった先輩から言われました。その通りだと思います。あの頃は「俺の酒が飲めんのか!」という先輩の言葉が正義だった時代です。35歳まで禁酒していた私はどれほど先輩と衝突したことか。そして、先輩のその怒りが仕事にフィードバックしてくるのです。

「あなたも生きるのが下手ね」という言葉は、リアル社会だけでなくネットでも同じだと何年か前に感じました。それが証拠に、20年近くもお世話になっている「ぴあ映画生活」さんにおいても、わたしに苦言を言う方はいらしても、友だちは少ないのです。いや、(失礼ながら)もし友人を作ってネット上で交流していたら、交流にエネルギーを使ったら、レビューを書くエネルギーが枯渇すると、内心恐れています。

ここまで書いて気づきましたが、私が①が好きなのは、そんな自分の「省エネ」のためでもあったのかもしれません。

追記

若いころ、部品の設計図を見て、目から鱗だったことを覚えています。

例えば、家庭用のタンス。

表面はツルツルに仕上げてありますが、裏面は(多くは)ガサガサです。仕上げ工程が省略されているのです。理由は言わなくても分かりますね。

これはタンスだけでなく、他の多くの工業製品においても同じです。もし、裏面まで表面と同じ仕上げにする職人がいたとしたら、普通は「バカか!」と先輩・上司から叱られます(芸術的な超高級品は別かもしれませんが)。

それどころか、工業製品においては設計図の段階で、どれほどきれいに(あるいは正確に)仕上げるのかまで、指示されているのです。誤差は+-で、仕上げは△印の多い少ないで(今は表示方法の改正があるのかもしれませんが)。

それを守らなければ組んで製品にすることが出来ませんし、不必要な仕上げ・精度は製品の価格に反映し、競争相手に負けてしまうからです。

しかし前述したように、職種によっては(建前で)「精度向上は〇であるが、手抜きは×」な場合もあるのです。そこで仕事の改善・合理化をすることは逆風に会うことになります。

追記2

例えば自動車は数えきれないほどのパーツの集合体ですが、パーツの耐用年数はほぼ同じが良いのでは。10年なら10年と。

もし、どこか一部にだけ20年のパーツが使われていたとしたら、それは価格に反映しているはずなので、無駄だと言っても良いのでは。


(2020.6.24)

@ 『 (新型コロナ)新生活様式、カギは「ナッジ」? 「するな」より、選択を後押し 

…前略…

中部地方のある警察では宿直明けの休暇取得が推奨されつつ、「同僚に迷惑がかかる」と、休みをとる人がなかなか増えなかったという。そこで「宿直明けは休み」をデフォルトとし、休まないときは上司に申請する仕組みに変えたところ、休暇取得が進んだ。

…後略… 』

( 2020年6月23日 5時00分 「朝日新聞デジタル」 )


ナッジとは「選択の自由を残しつつ、望ましい方向に後押しする」ことだそうです。

たとえば仕事の会議でいろいろな議論をしたり、趣味の会話で質問をしたりしますが、「選択の自由」を語る人ばかりで、「望ましい方向に後押しする」人は少ないです。

多くはその概念すら乏しく、「望ましい方向」がうやむやになっています。

しかし、「望ましい方向」というベクトルこそが、未来志向の大切なファクターだと思います。


(2020.6.23)

@ 昔から、私のところに仕事を聞きに来る人も、ましてや人生相談に来る人もいないけれど、20代の頃、10歳離れた後輩女性から、仕事帰りに喫茶店で転職の話を聞かされたことがありました。今にして思えば、あれは最初で最後の「真剣な人生相談」だったのでしょう。

当時の私は、自分も転職したい気持ちがあり、いわゆる人生論的な本ばかり読んでいましたから、本の引用は出来ても、自分の言葉では彼女に何も話してはあげられませんでした。

当時から、それを情けなく思っていましたが、もし、おじさんになった今の私があの席に座っていたとしたら、彼女に何と言えたのでしょう。


(2020.6.22)

@ いつも私はワードパッドに原稿を書いてからネットにUPしているのですが、先ほど突然それがフリーズしてしまいました。あちこち触っても回復しないので再起動したらデータが飛んで…。

それはともかく、「同一周波数同時送受信方式を用いた無線システムの開発 Development of Full Duplex Radio System」というニュースが今朝ありました。

私も無線の隅っこの隅っこをかじったことがありますから、興味があってネットを覗いてみました。

ん~なんとなく言わんとしていることは分かるような気がしましたが、詳しくは分かりません。

 「 本課題に対して,今回,送受信間の空間アイソレーショ ンが80dB以上の並列配置デュアルアンテナと,信号処理に より自己干渉信号を抑圧する自己干渉キャンセラを組み合 わせ,DDD方式を採用した無線装置を試作した。」(本文より抜粋)

要するにスピーカでもマイクでもアンテナでも、複数並べると干渉するので、それを逆利用して指向性を強くしたのでしょうか。「並列配置デュアルアンテナ」とは。

そして、「自己干渉キャンセラ」とは送信信号の一部を逆位相にして受信信号に混ぜキャンセルするのでしょうか、たとえばオーディオ・アンプで言う「NFB」(ネガフィードバック)みたいなものでしょうか。

私はそんな妄想をしましたが、やっぱり分かりません。私のとんでも解釈は信じないでください。


@ 「 【ゴジラ】メーサー特選【メドレー】 」

( 「ニコニコ動画(く)」 )

https://www.nicovideo.jp/watch/sm20705160


(2020.6.21)

@ 映画「ブルージャスミン」のヒロインに似た女性を知っているという話をレビューに書きましたが、そう言えば、もう一人似た雰囲気の女性がいました。

その人は、ずっと若い独身の方です。ユーモアのセンスもある、とても良い方でした。

その人は、名前を聞けば誰でも知っているグローバル企業に勤めていて、当時、研究開発部門に抜擢され、「大学院で勉強しなおさないとついていけない」などと心配しておられました。

今、どうしておられるでしょう。


@ 40代になったころ、転勤で新しい仕事に就きました。

そこでは、日中受け付けた未完成書類を(忙しいし、お客さんを早く帰らせる必要上、最小限のことしか書かないので)、残業時間に完成させて、本社へ送るのが仕事になったのです。

しかし、自覚が無くても残業時間になると疲れていたのでしょう。又、不慣れな仕事だったせいもあって難しく感じられ、ぼ~っとして書類がなかなか完成できないのです。

しかたなく、翌朝一番に点検することにしたら、昨夜のことが嘘みたいに、サクサク理解できるではありませんか。

あの経験から、しみじみ「頭の仕事は朝やるべき」だと思いました。


@ 『 イージス・アショアが事実上の白紙撤回――「ミサイル迎撃は常に不利」米軍幹部が警告 』

( 2020/6/16(火) 4:32 高橋浩祐 | 国際ジャーナリスト )


(2020.6.20)

@ 「 Eagle flight from balloon 」

https://www.youtube.com/watch?v=40OuaAoqVTU&feature=emb_rel_end


@ ここ数日間、ひさしぶりに眼精疲労の感じが強くします。

映画も観たし、少々根を詰めてタイピングもしたし、最近、眼鏡が合わなくなってきたし、TVドラマも面白いし…。

でも、もしかしたら、原因は加齢も含めた複合的なもので、その中に「紫外線」も入っているかもしれないと思いました。

長年暮らした北向きの旧居と違い、新居は日当たり良好なので、夏至の強い紫外線を浴びる毎日なのです。

カーテンを少し閉めなければ。


(2020.6.19)

@ A市A区に住む人がA市の公務員になると、たぶん配属先は黙っていてもA区以外になるはずです。人事課で調整してくれるのです。

もし何かの事情でA区に配属になった場合、調査で顔見知りの隣家に行かなければならない状況にもなりかねません。そんな場合、やはり仕事がやりにくいので、住む町以外を担当するよう、係内で調整するはずです。

それも追いつかなかった場合には、同僚と調査表を一枚交換する(その家だけ同僚に担当してもらう)という事もあるでしょう。

公務員も人の子です。

追記

ちなみに、A区の公務員が一日じゅうA区を調査で回る場合、ランチも街で食べる事もあるわけですが、その場合には隣のB区のお店を選ぶこともあります。

もちろんA区のお店でも良いのですが、仕事がらみで何か因縁の有るお店の可能性もありますから、担当者によっては安心できるB区へ行くのです。

追記2

刑事ドラマで、よく飲食しながら事件捜査の話をしているシーンがありますが、あれはリアルなのでしょうか。私は「プライバシーへの配慮は?」と疑問を持っていました。

そうしたら、TVドラマ「健康で文化的な最低限度の生活(ケンカツ)」でも、生活保護のケースワーカーたちが、仕事帰りに飯屋で仕事の話をしているのです。よりによって、その店は自分が担当した生活保護受給者の働く店です。そこで別の受給者の問題を話し合うのです。

私の常識では、役所の職員がそのような「週刊誌的・具体的な話」を飲食店ですることは、ほぼありません。関係者がいたりして、話を盗み聞きされやすい環境ではなおさらで、そもそも、そのような店は避けることが多いです。それより、1時間ぐらいサービス残業してでもプライバシー漏洩の心配がない役所内で話を済ませ、その後、スッキリとした気分で飲食店に出かけます。

しかし、飲食店でも話題はたいてい仕事の話に戻ります。政治・経済の話など皆無と言っても良いです。仕事のことで頭がいっぱいなのです。でも、仕事の話と言っても、あまりプライバシーの心配がなく、専門用語が多く、素人が聞いても理解困難な「制度改善等の話」がほとんどです。

(ケンカツ)に脚色があることがわかりましたので刑事ドラマも同じなのでしょう。ちなみに(ケンカツ)は、少々の脚色があっても、全体的には稀有なリアルドラマだと思っています。


(2020.6.18)

@ アーチェリーで冬は「インドアシーズン」と呼ばれ、室内・室外とも、18mの距離から通称「三つ目」(直径20cm×3)と呼ばれる的を狙います。

なぜ「一つ目」でないのかと言えば、近距離では「継ぎ矢」が起こりやすいからです。奇跡のような継ぎ矢ですが、実はそんなに珍しくありません。

しかし、「一つ目」と違い、真正面だけを狙えないので、その微妙な角度によって、単純に狙っただけでは当たりにくくなり、「首をかしげるほど」難しいものです。

「三つ目」40cmバーティカル(クルーガー)

http://hasco-archery.shop-pro.jp/?pid=83600533#


(2020.6.17)

@ 私は軍事オタクではないのでこれは妄想にすぎませんが、陸上イージス計画を中止した背景には複数の理由が存在し、その一番大きなものは、「レーザー兵器に路線変更したい」というものではないでしょうか。

電車に例えて言いかえれば、発展途上国が新幹線を作ろうとして苦労している内に時代が変わったことを悟り、途中からリニアモーターカーに路線変更するようなものです。

そもそも陸上イージスは、昨今の北朝鮮や中国の脅威から日本を防衛するために計画されたと思いますが、その北朝鮮や中国は、超高速ミサイルなど新しい兵器の開発を急いでおり、日本が、これから何年もかかって、苦労の末に陸上イージスを作っても、その頃には時代遅れで迎撃できない可能性すらあるのではないでしょうか。


@ 『 宇宙ゴミ、レーザーで掃除 スカパー「シミ取りと同じ」 』

( 小川詩織 2020年6月11日 21時00分 「朝日新聞デジタル」 )


「 米海軍、太平洋で新型レーザー兵器の実験成功 無人機を破壊 」

( 2020.05.23 Sat posted at 14:30 JST 「CNN」)


(2020.6.16)

@ 「 喉元過ぎれば暑さを忘れる 」、

という諺はありません。


@ カフェに行きましたら、中年のご婦人が二人、大テーブルに横並びに座って話をしていました。30分間ぐらいマスクを外して。

5mぐらい離れた私の席まで声がよく聞こえました。カフェで話をすることは当然としても、「マスクをせずに話すのはマナー違反」だと思います。クラスター発生の危険があります。

帰りの地下鉄、4時ごろになり少し混んできました。20歳ぐらいの女性3人が乗り込んできて、帰宅時の解放感ゆえか、私の風上50センチのところで、地下鉄の騒音に負けないぐらいの大声で話し始めました。

強い風が彼女の方から来ます。

彼女たちはマスクをしていましたが、「地下鉄内での会話はマナー違反」と広報されていたような記憶です。


(2020.6.15)

@ 半世紀前のマドンナ。あの女性を芸能人に例えると誰に似ているでしょう。今となっては、私も雰囲気程度の記憶しかありませんし、すぐには誰に似ているのか思い浮かびませんでしたが、デビュー当時の山口百恵さんをベースに、もう少し丸い空気感を、そう、吉岡里帆さんをプラスしたような感じだったかもしれません。


@ いわゆる「アベノマスク」の袋には、住所や宛名を書いて配布すべきだった、とのご意見があるようです。一理ありますが、その場合、返戻分が発生して後処理が大変なので、そのバランスも考える必要があると思います。

もちろん今回の「アベノマスク」という企画に全く問題がなかったとは申しませんが。

以下参考です。

『 そうやって送付した納付書等ですが、たとえば区の規模では一回につき100件前後の返送があります。多くは「宛所に尋ね当たらず」「転居先不明」などのゴム印が押されています。

①戻ってきたら、まずは住民票のデータと照合します。タイムラグで転居している可能性があるからです。

②住民票のデータが動いていなければ、送付先として「特別の申し出」の有無を調べます。例えば「親の介護で実家に帰っているから、住民票の住所にはほとんどいない」とか、「自営業をしているが住民票の住所であるアパートよりも、店舗で寝泊まりすることが多い」とか、いろいろ事情のある人もいるのです。

③住所について「特別の申し出」が無ければ、申告書等、課税資料の住所を再確認してみます。

①②③で送付先の当てが見つかったら、とりあえずそこへ再送付します。

④再送付したものがまた戻ってきたり、再送付先が見つからなければ、電話番号を調べて本人へ連絡を取り再送付します。

⑤連絡先も見つからず、再送付もできなければ、「公示送達」とするか、場合によっては一旦課税取り消しをし、秋に実地調査(今は別の仕事が入っている)をして本人とコンタクトを取ってから再課税をします。

⑥その他、住所について「特別の申し出」のある人は、住民登録地とは別の住所でも課税になっていることがあります。いわゆる二重課税ですね。その場合は他市町村や本人と連絡を取り合って、どちらかを取り消さねばなりません。

⑦もちろん、無事本人の手元へ送付できた場合は、「何の税金だ」、「税額が高い」といった問い合わせが電話・窓口に殺到します。一週間前後はにぎやかになり、その後も収束するまでには、まだしばらくかかります。

⑧ 納期限までに納付がない時は督促状がでますが、その送付と返送で、また納付書等と同じような作業や住民からの反応があります。

( 上記は一例ですから、市町村によって違います。 ) 』
(2020.4.11の税務関係の追記を再掲)


@ 先日、カフェでランチをしていたら、黒いミニのワンピースを着た、すらりと長身の、モデルさんみたいな女性が入ってきました。彼女は1960年代アメリカ青春ドラマの登場人物みたいな金髪青年をつれていました。

「羨ましいカップルだな…」。

そう思っていたら、彼女は「外したマスクを二つ折りにして、耳にかけるゴムを二の腕に通してホールドした」のです。

二の腕に「白いリボン」を結んだみたいになりました。

最近はほとんど街に出ないので、それが流行りのおしゃれなホールド方法なのか、それとも彼女のオリジナルなのかは知りません。でも、外したマスクというものは扱いに困るものだけに、感心して真似してみたくなりましたが、さて…。


(2020.6.14)

@ お昼のワイドショーで「10万円支給が遅い理由」を説明していました。

偉い人が、「申請書と住民票の照合がアナログで時間がかかる」と説明し、同席者は「税金を取る時にはすぐ取るのに、支給は遅い。早くやれ!」みたいな発言をしました。つまり「市町村役場が仕事を怠けている」と誤解されても仕方のない説明になっていたのです。

しかし、以前にも述べた通り、又、新聞等でも報道されていますが、申請書の住所・氏名・生年月日が住民票と一致しない場合や、口座番号が正確ではない、あるいは二重申請など、「申請書の不備」のために確認が手間取っているわけです。


同様の例は過去にもあります。

いわゆる「消えた年金問題」でも、「年金事務所の怠慢だ」みたいな非難をする人がいますが、就・退職、結婚、離婚など人生の節目に、「年金手続きを適正にしていない住民」がいて、その為、未納が発生したり、年金データが断片化されたりして容易に名寄せできなくなっている事例が少なくないのです。

古い話は本人の記憶もあいまいになりますが、断片化すると申請書とデータに少しでも不一致があれば、原則として他人のデータと判断されますから、名寄せが困難になるのです。「消えた年金も問題」ですが、「他人の年金があなたに支給される」のも問題ですから。


@ もう5年ぐらいになるでしょうか、職場の仲間の一人と、毎月お茶しています。

2時間ぐらい、唾をかけあって話し合うのです。

しかし、新型コロナで2月から中止になってしまいました。

私は毎週映画館へ行きますし、友人は私より5歳ぐらい年上です。

私は感染の心配をしながらも、毎週「昼の街」へ遊びに出かけて感染リスクを更新し

友人も早く再開したがっていますが、年齢的に私よりも感染におびえてるようです。

いったい、いつからなら誘ってよいものか。

私もそうですが、友人もタイミングに困惑しているのだと思います。


(2020.6.13)

@ 私が新人時代に、質問すると、教育係の先輩は答えに必ず嫌味を付けて返し、質問しないで間違えると「なんで聞かなかった」と怒り…そんな逃げ場のない経験があります。

(毎晩泣いていました。)当然辞めたくなりましたが辞めませんでした。私はこの中で、仕事に対し「もっと考える」という事を訓練されたような気もします。

半世紀ぐらい経っているのに、あの日の苦しみと哀しみは昨日のことのように覚えています。先輩はそれを想像して後輩を指導すべきです。

でも、そんな先輩を恨む気持ちは、不思議なことに昔から皆無なのです。

今思えば、きっと新人の私は、その職場では「異質な存在」だったのでしょう。私はその異質に気づかぬばかりか、「この先輩は嫌いだ」「辞めたいな…」という負のオーラを出して仕事をしていたのだと思います。

おもしろくない先輩は、その不満を直接言う代わりに、間接的表現として「しっかり仕事をしろ」と叱咤したのだと思います。

ちなみに、仕事を覚えた私は反面教師となり、後輩・新人に親切に教えたつもりです。私でも負のオーラを出されたらどうしたか分かりませんが、幸いにも後輩・新人にそんな人はいませんでした。それに、皆さん、私よりはるかに優秀でしたから。

追記

仕事で疑問点があると、今の人は係で一番詳しい人に訊きに行きます。新人で誰に訊けばよいか分からない人は、「誰が詳しいですか?」と(あろうことか)隣席の人に訊く人もいます。

しかし昔の、いや、今でも私は、まず隣席の人に訊くのがマナーだと思っています。隣席の人を飛び越して、いきなり遠くの誰かに訊くのは、もちろん例外もありますが、基本的には「隣席の人に喧嘩を売ったも等しい行為」だと思います。

ですから、私が新人の頃も、苦手な教育係に必ず訊いていました。

しかし、トイレなどで教育係が席を外すこともあります。その瞬間を見計らったわけではありませんが、そんな時でも疑問点がわくことがあります。

その時は近くの誰かに訊くのですが、前席の柔和なTさんに訊きに行くと、Tさんは毎回「激怒したように後ろを振り返り」教育係をさがしたのです。

そして、教育係がいないことを確かめると、(拍子抜けしたように)私に親切に教えてくれました。

Tさんはなぜ激怒したように振り返ったのか。

当時からその異常とも思える行動に引っかかっておりましたが、今にして思えば、Tさんは「教育係が言う嫌味に、日ごろから不快感を持っていた」のだと思います。ただでさえイライラする繁忙期ですから。

Tさんの方が教育係より年上です。しかし、唐突には教育係に注意しにくいですから、そのタイミングを見計らっていたのかもしれません。

そして私がTさんに訊きに行った時を選び…「もっと親切に教えてやれよ、そうしないと、俺のところまで来るじゃないか!」と教育係に注意しようと思ったのかもしれません。

しかし、意を決して振り返ったら、教育係は席を外していました。

拍子抜けしたTさんは、私に親切に仕事を教えてくれたのです。

もし、当時の私が悪知恵を使い、教育係がいるときにTさんに訊きに行き、Tさんに教育係を注意してもらったら、以後どうなっていたでしょうか。

事態は表面的には好転した可能性もありますが、嫌みが陰湿化し、人目のつかない所へ移動しただけになる可能性もあります。バクチですね。

もっとも、当時はそんなこと考えもしませんでしたし、行う勇気もありませんでしたが。

追記2

学生時代は学校の先生が学生のご機嫌をとってくれたのかもしれません。

しかし、社会では上司・先輩のご機嫌は部下・後輩がとるものだと思います。

友だち親子ならぬ、友だち上司・先輩もあるかもしれませんが、誰でもそのポジションになれるわけではありません。

それは、「上司・先輩のご機嫌を取ることに成功した者だけが、たどり着ける境地」なのだと思います。

追記3

本文に『仕事に対し「もっと考える」という事を訓練されたような気もします。』と書きましたが、それを、もう少し詳しく書いてみます。

仕事で疑問点がわいた時に(例えば、何かの書類に不備があり、本人に訊かないと正解が分からない場合など)、①本人に訊く、②訊かずにA案にする、③訊かずにB案にする、④保留にする、の四択が考えられるとします。

その四択のメリット・デメリットを挙げ、総合的に判断する癖が新人時代からついたのです。もし、あの先輩がいなければ、新人には①しか思い浮かばないでしょう。実際、周囲の新人を観察していてもそうでした。


(2020.6.12)

@ 「プレミアムフライデー」はなぜ浸透しなかったのか。

「忙しい月末の金曜日に設定したお役所仕事」だったからではなく、「民間にやる気がなかった」からだと思います。

役所とて月末が忙しかったり、残業続きの繁忙期があったりしますから、毎月末の金曜日にキチンと休めるはずがありません。当然に交代で、あるいは繁忙期に休まない代わりに閑散期にまとめて休むなどを、考えているはずです。

しかし、民間の多くにはそんな工夫をするそぶりがありませんでした。「お役所仕事」「忙しい」「できっこない」で、多くは黙殺したのです。どなたかの口癖ではないですが、「できない理由ばかりを並べ立てた」のです。

それが証拠にアフターコロナには、「プレミアムフライデー」どころか、民間から自発的に週休3日制すら、生まれようとしているではありませんか。


@ もう半世紀近くも前のことですから、話しても良いでしょう。

繁忙期になると、職場にバイトの若い女性が何人も来ていましたが、その中の一人に、とても上品できれいな子がいたのです。

上司が朝礼の時に小さな声で言いました。

「あの娘(こ)のお父さんは偉い人だから、手を出しちゃいかんよ!」 「…えらいことになる」と。

私はその掟を守って何か月も過ごしました。

そんなある日、仕事でどうしても彼女に話しかける必要が出来たのです。

覚悟を決めて事務的な会話を30秒ぐらいしました。そして、立ち去ろうとしたら、後ろで彼女の隣席の女の子が、「〇〇さんやっと話しかけてくれたね」と言っているのが聞こえたのです。


@ 公務員には事務分掌や職務権限の区別があり、逸脱しての仕事はしません。又、住民も有資格者に仕事を頼みたいはずです。無責任な無資格者ではなく。

例えば、確定申告書を税理士資格のない市町村役場職員が受け付けることはできませんが、申告時期になると期間を区切って臨時に資格が与えられることがあります。

すると市町村の仕事に悪影響を与えない範囲で、必要な場合には受け付けることが可能になります。しかし、その期間の前後は(一日ずれても)言うまでもなく無資格者ですから、受け付けることは出来ません。

しかし、完成された確定申告書を受け取り、(郵便局のごとく)税務署へ回送するだけなら期間の前後でもOKです、当然のことながら、「ついでに中身を点検してほしい」という要望には応えられません。それは違法になります。

追記

少し前述しましたが、この時、市町村役場職員が考えていることは、「医療崩壊ならぬ事務崩壊の恐怖」です。

税務署が繁忙期なら、市町村役場も繁忙期だということです。

それなのに、確定申告書を手にした住人が、税務署よりも「敷居の低い」市町村役場へ流れてきたら、本来の受付場所である税務署ではなく、市町村役場へ押し寄せたら、市町村役場の事務崩壊につながりかねないという、その不条理を恐れているのです。

一旦広げた間口を狭めることは困難です。「去年は受け付けてくれたのに、今年はなぜいけないんだ!」となるからです。この事に無自覚でいると、毎年間口が広がっていき、収拾がつかなくなります。

ですから、一見非情に見えるかもしれませんが、住民サービスとのバランスの中で、綱渡りをしているのです。


@ 以前から、ステレオタイプというか、映画「箱入り息子の恋」の主人公のような公務員の描き方に、ひっかかりを感じておりました。

市町村役場職員のリアルは、私の知る限り、TVドラマ「健康で文化的な最低限度の生活(ケンカツ)」が一番です。ストーリーにドラマ的脚色があるのは、ある意味当然として、事務所内の空気感や人間模様は、就職希望者への教材的価値さえあると思います。

それはともかく、映画「ミス・シャーロック/Miss Sherlock」。

天才的な探偵とは、なぜ、いつもクールなのか。映画「シン・ゴジラ」に出てくる官僚やブレインたちのように。しかし、登場人物のほとんどが私のお気に入りの俳優さんですから、それだけでも楽しめました。

ちなみに探偵ものとしては、TVドラマ「ビブリア古書堂の事件手帖」(剛力彩芽さん主演)が一番好きです。あのヒロインはステレオタイプの天才ではありませんから。


@ 弓矢の怖さは、矢が敵から一直線に飛んでくるとは限らない事です。

「弓なり」という言葉がありますが、遠くの敵の矢は放物線を描き、空から降ってくるのです。

そして、長さ1mの矢が、点にしか見えない。


空手の蹴りの怖さは、蹴りが敵(の顔方向)から一直線に飛んでこない事、なのかもしれないと、この動画を見て思いました。

矢とは逆に、地から噴き出してくるのです。

そして、膝から上と、膝から下のスピードがまったく違い、それがフェイント効果も生み、「あっ!」と思った時には手遅れになっているのです。

「 Rina Takeda(武田梨奈)」2020/6/9の動画

https://twitter.com/TakedaRina


@ 『 現役医師の提言「日本のコロナウイルスは終わった。さあ旅にでよう」 』

( 2020/6/11(木) 18:15配信 「プレジデントオンライン」 )


(2020.6.11)

@ たとえば「ハッピーアワー」とか「モーニングサービス」には、時間制限があります。

少し遅刻して、「どうしてダメなんだ!」と大声を上げたら、いえ、昨今は質問しただけでも「クレーマー」とされかねない雰囲気です。

法律で動いている役所にも、年齢制限、日時による制限は、古今東西あちこちにあります。一日のことで得をしたり、損したり、それも万円単位で違ってくることは珍しくありません。その線引きは、法律によりますから、当然に民間よりも厳格です。

100年に一度の、あるいは第三次世界大戦ですから、「ほんとうに必要とあらば役所は(何らかの)ケアをする必要があります」が、血税を支給するわけですから、もし「一日のことで損した」というだけの理由なら、要求はいかがなものかと思います。

追記

ちなみに扶養控除の判定日は12月31日です。大晦日に生まれたら、一日で一年分の扶養控除が取れます。しかし、翌、元日生まれは取れません。


@ なぜかギアナ高地に惹かれます。


@ 在職中の酒席では、皆、ほぼ仕事の話しかしませんでした。プライベートの話も出たのでしょうが、ほとんど記憶に残らず、覚えているのは仕事の話ばかりです。

政治経済の話も、酒席でその話題は「ダサい」との共通認識があったのかもしれません。口にした人の記憶はありません。

しかし、それを意識したのは、仕事をリタイアしたあとです。

リタイアした者同士では政治経済・プライベートが話題になりますが、まだ在職中の者と飲むと、やはり彼らは仕事の話しかしないからです。

そして、彼らの政治経済情報のほとんどはTVと新聞から得たものです。ネットで情報を得ている人は少ないし、そもそも「TVと新聞に載らない情報など胡散臭い」という気持ちもあるかもしれません。だから「胡散臭い奴」にならないために、それは口にしないのです。

さらに彼らの弁護をするならば、仕事が忙しすぎて、「どうやってこの一週間を乗り切ろうか」みたいなことが頭の中の大半を占めているから、しかたないのです。

もし、「仕事の話しかしない」のが日本のスタンダードだとしたら、為政者にとってこんなに都合の良いことはないのかもと、ふと思いましたが。


(2020.6.9)

@ …だから、タイマーなんですね。


@ ずっと考えていたけれど、「アジサイみたいな一皿」、と言うのはどうでしょう。

色はアジサイではないけれど、全体のイメージはアジサイなのです。


@ 将棋の試合、横にタイマーみたいなものが置いてあり、「何分かの制限時間内に一手打たないと失格になる」のだろうと、ぼんやり思っていましたが、そうではないのですね。おはずかしい。

ちなみに、アーチェリーは秒殺の世界で、その射は失格になります。

じっくり狙いたいという人もいるでしょうが、じっくり狙っても、瞬間に生きても、得点はあまり変わらない。それどころか狙いすぎることの弊害もあるとの説もあり、私も試したことがありましたが、狙いすぎても確かに効果はありませんでした。

要するに、才能の無い人が時間稼ぎしても意味がないのです。

私の場合はサイト(照準器)を取り外しても、得点に大きな変化がないので、問題外の下手なのでしょうが。

参考

「アーチェリー時計 - a-rchery」

https://www.a-rchery.com/watch.htm


(2020.6.8)

@ 邪気を払うには手を洗っても良いらしい。「なぜ足を洗う」というのかは知らないが。


@ 着物とは秩序なのかもしれない。


(2020.6.7)

@ さすが、クッションが十字架になっています。


@ 「雲?」、 いえ「蜘蛛」です。


@ LPの音溝のような月夜の海に…。


@ 『 宇宙人ジョーンズ「手を洗おう...」 BOSS新CMでサントリー「想像を超える反響」 』

( 2020年05月27日19時54分「J-CAST ニュース」 )

https://www.j-cast.com/2020/05/27386780.html?p=all

…泣ける。


@ アマゾンさんの「Behringer べリンガー MS16」(アンプ内蔵スピーカー)のページ上部に、「もっとお得な商品があります」として「べリンガー C-2」というマイクが載っていました。

スピーカーを見ているのにマイクを薦められても…。

そう言えば、昔 オーディオショップにスピーカーを見に行ったら、プリアンプを薦められ、困惑した経験がありました。

コンピュータも人間も、考えることは同じようです。

それはともかく、熱中症になりそうな昨今なのでオーディオの衣替えをしました。「Behringer べリンガー MS16」に戻したのです。

この内臓アンプは、音色から想像するに、発熱の少ないデジタルアンプのようですから、夏にはピッタリ。

しばらくこのスピーカーを使っていなかったのは、デジタルアンプ特有の硬質感がわずかに感じられ、それが水に濡れたようなシンフォニー再生にはマイナスに働く気がしたからです。かといって、アンプだけ交換することは出来ないのですから。

しかし、背に腹は代えられないというか…。

改めて聴いてみて、硬質感はピアノ再生にはとてもリアルでよろしいし、細かな音はデジタルアンプの得意技ですし、クラシック音楽もそんなに悪くありません。

なにより涼しさが一番。

9月末までは、これで通そうかと。


@ 初めてサウナに入った日、冷水があまりに冷たく感じられ、腰までしか入れなかったら、しばらく腰痛になってしまいました。

それ以来、サウナ後の冷水には、必ず首まで入るようにしています。


@  映画「シン・ゴジラ」上映館が177館に増えています。

やはり戦後はゴジラから。


@ 今朝(2020.6.7)朝刊を見て衝撃が走りました。

朝日新聞の付録で週一回ついてくる「GLOBE」という冊子のタイトルに、「コロナのいる日常 Abnormal→New normal?」と書いてあったからです。

それは、ひそかに「宇宙人ジョーンズ」はいるかもしれないと思っていても、ある日の朝刊に「宇宙人ジョーンズのいる日常」と書いてあるようなものだからです。


@ 「 生き物として生きる以上、中と外をきっちり分けることなんでできないの。 」

中村桂子

( 2020.6.7「朝日新聞」1面 「折々のことば」鷲田清一 より抜粋 )

(2020.6.6)

@ 定年退職後に犬を飼いたくなっても、毎日散歩に連れて行かなくてはいけないので、平均寿命というか、健康寿命を考えると、軽々しくは飼えないのです。

そんなわけで、犬が飼えない私の知人は、毎日の散歩で出会う他人様のワンちゃんと仲良くしているのだそうです。

そうすると、犬にも人の好みがあるらしく、半分ぐらいは素直に喜んでくれるけれど、あとの半分には警戒されるのだとか。

私も散歩で知り合った方のワンちゃんをナデナデしたことがありますが、驚きました。

私はもの心ついた時から30代まで犬と生活しました。だから犬の感触は良く知っていますが、他人様の犬は硬直していたのです。

「あっ、ナデさせてくれても、まだ警戒しているのだな」と思いました。

犬の気持ちも、いろいろ難しいようです。


@『「新しい生活様式」が招く文化・人間破壊 和田秀樹氏が警鐘を鳴らす 』

( 2020/6/6(土) 5:58配信 「デイリー新潮」 )


(2020.6.5)

@ 新型コロナがひと息つき、ほとんど自粛が解除された今、(仕事の改革はともかく)趣味の世界では回帰したいと思うはずです。

月に一度、友人と喫茶するのが楽しみだった人はそれを、

月に2~3回、会社帰りに居酒屋へ寄るのが生きがいだった人はそれを、

週に1~2回、映画館へ行くのが散歩コースだった人はそれを、

月に1~2回、夜の街へ行くのが好きだった人はそれを、

それぞれ、大なり小なり新型コロナに感染するリスクが増えるのでしょうが、「回帰して初めて自粛が終わったと思う」ので、どうしても、そこへ行きたくなるのです。

行ってから、「(…空虚だな)そろそろ潮時かな…」と卒業を決断する可能性もありますが、とりあえずは回帰しないではいられないのです。


(2020.6.4)

@ 「 耳に刺さった矢、助けを求める家人 ボーガンで家族襲う突然の事件に住宅街騒然 」

( 2020/6/4(木) 14:50配信 神戸新聞NEXT )

この事件で使われたのはボーガンという事ですので、ときどき「矢ガモ」事件でも使われるものです。

アーチェリーの弓(リカーブやコンパウンドなど)や和弓とは違いますので誤解の無いようにお願いします。弓ではありませんが、過去には合法アマチュア無線と不法CB無線が混同され、合法アマチュア無線家が白い目で見られた例もありますから念を押しておきます。

記事に「アーチェリーなどのように安全が確保された場所で使うのが一般的という。」と書かれていますが、私が知る限り、ボーガンはアーチェリーや和弓の射場では練習させてもらえません。門前払いになります。

追記

改めて読んでみると、「アーチェリーなどのように安全が確保された場所で使うのが一般的という。」は、「安全が確保された場所で使うのが一般的という。」という意味であり、「アーチェリー場で使える。」と書いたつもりは無いのでしょう。これは読解力の問題なのかもしれません。

ちなみに、伝統的に「貴族のたしなみ」と言っても良いし、「オリンピックスポーツ」であるアーチェリーや、「誇るべき日本文化」である弓道と違い、日本でのボーガンの必要性を私は知りません。

しかし、殺傷能力のある道具としては、野球のバットや包丁などの方が、どこにでもあり、だれでも説明なしに使えるので危険です。ボーガンなどという小難しく回りくどい方法をとる必要はなかったわけです。

追記2

ボーガンがアーチェリーや和弓の射場では練習させてもらえないのは、「弓矢が違うと的台が痛む」ことの他に、剣道場でカンフーの練習を、柔道場でレスリングの練習をさせてもらえない(たぶん)のと同じ理由なのでしょう。


@ 映画館のイスの話です。

その昔、入れ替え制ではなかった頃、映画で立ち見は当たり前でした。それも、ラッシュの満員電車のような状態で2時間観るわけです。

やがて定員入れ替え制になり、座席指定になりました。立ち見は無くなったのです。

そのせいかどうかは知りませんが、映画館の周囲に在った廊下が一部つぶされ、座席になったことろもあります。切れ目なく連続する座席も出てきました。一言で言えば「ぎっしり座席になった」のです。

「立ち見が無くなったから損しないために座席数を増やした」。もし、映画館からそんな説明があれば納得せざるを得ないわけですが、あの「ぎっしり座席」は苦手です。

それが、新型コロナの昨今、ソーシャルディスタンスで周囲を空ける座り方になりました。あれは、物から人間への回帰みたいで、良いことだと思います。映画館側にとっては減収で頭が痛いかもしれませんが。


@ 映画館へ行く数日前には、2か月ぶりに床屋へ行って来ました(どなたかも心配されていましたので)。

10分カットのお店に行きましたが、理容師さんは、1時間以上休憩なしでカットを続けた後(当然、私も、ソーシャルディスタンスで立って待っていました)、非情にもランチタイムに食い込んだ状態で私を受け持って下さいました。

しかし、まるで朝一番のお客さんを迎えるように細やかな気配りで応対して下さったのです。

私の常識では、疲労と空腹で神経が苛立っていてもおかしくないのに、そんなところはみじんも感じさせませんでした。

これは理容師さんのプロ根性の賜物でしょう。

でも、あえてもう一つ申し上げるなら、新型コロナで客足が途絶え、廃業に追い込まれる業種もある中、「忙しい悲鳴」、「働ける喜び」という贅沢を味わっておられたのかもしれないと思ったのです。


(2020.6.3)

@ オリジナル版のTV「東京ラブストーリー」は夏目漱石の「坊つちゃん」だと、以前妄想したことがありましたが、どこに書いたか、すぐには探せません。もう消したかも。

追記

大雑把な記憶では、夏目漱石の「坊つちゃん」の主人公・坊つちゃんの舞台と、「東京ラブストーリー」の永尾 完治の出身は四国です。

「東京ラブストーリー」では坊つちゃんの人格を二分し、永尾 完治と赤名リカとして登場させたのではないでしょうか。

これは遠くからやってきた主人公二人が、四国ではなく東京で混乱しながらも生活し、やがて去っていく物語なのでしょう。


(2020.6.1)

@ 市・県民税の特別徴収(給与天引き)の話です。

これは、前年1~12月までの所得にかかる市・県民税を12等分し、今年の6月~来年5月までかかって、給与から天引きするものです。

会社から提出された給与支払報告書などから、役所で税額明細を作り、会社へ送ります。

会社では明細通りの税額を各人の給与から徴収し、全員分まとめて振り込んでもらいます。

しかし、明細があるのに毎月の税額が一致しないことが多々あります。

例えば3,400円少なく振り込まれたとします。

会社の従業員が10名で明細に3,400円の者がいれば、その人の分が関係していると推測できます。多分退職して連絡のタイムラグがあるのでしょう。

しかし、従業員が100名以上にもなると推測は容易ではありません(大企業になると500人、1000人というところもあります)。

例えば、そんな大きな会社で、14,700円減額になる人と、11,300円増額になる人の二人が関係し、3,400円減額になっている場合もあります。

誤還付したら、面倒なことになります。

税額変更、就・退職によって、このようなパズルが意図せずに起こるのです。

解明するには、会社の経理担当者と役所の納税担当者が会議室に集まり、共同で書類をめくりながら考える必要があります。

しかし、現実問題としてそんな手間はかけられません。ですから、作業のほぼすべては電話で行われるのです。

税務・納税の知識だけでなく、推理力、(こんがらかった話でも)電話で要領よく伝え、聴きとるスキル(と言うほどのものでもありませんが)も必要になります。「私、電話苦手…」などと言ってられません。新卒ですぐにこの仕事が出来る人は尊敬します。

1500万円のご還付とは違う事例ですが、点検・還付という仕事も容易ではないので書きました。


ちなみに、1500万円の件は、記事を読む限り、単純な桁間違いのようですね。端数処理の誤りで「0」を一つ多くしてしまったのでしょう。

「0」を一つ多くして(あるいは少なくして)しまう桁間違いは、ダメージが大きいので、点検でも最優先事項にすべきだと思います。逆に言えば点検量が膨大な場合には、ダメージが少ない事項は省略することも選択肢として考えて良いかもしれませんが、桁違いの点検だけは残す必要があると思います。

『 市のミスで「1500万円」も過大還付、すでに使った場合は「返さなくていい」ってホント? 』

( 2020/5/28(木) 13:43配信 「弁護士ドットコム」 )


@ 私がオーディオに興味を持った少年時代、手の届きそうな安いステレオには高音をカットするトーンコントロールしかありませんでした。しかし、それは穏やかな音が好きな大人向け。

シャリシャリ、ドンドンという刺激的な音を好む少年には、低音と高音が独立して上下できるトーンコントロールが憧れの的だったのです。

そんな時代に現れたのがビクターの「SEA」という高級トーンコントロールのついたステレオです。周波数帯域をいくつにも分割し音量の上下が出来るのです。好みの音色に調整できます。

学校の音楽室にはありましたが。お父さんがオーディオマニアならともかく、少年がオモチャになど、とても買ってもらえる品ではありませんでした。

これは、その「SEA」を胸キュン的に思い出させる製品で、今は、一般に「グラフィックイコライザー」(グライコ)と呼ばれているものです。

さらに、真空管が使ってあるところがミソです。真空管の味わいも付加できるのです。作ったのは日本の超一流オーディオメーカー「ラックスマン」ですから、音色や信頼性は問題ないはずです。

トーンコントロールを使うと、「余分な回路を挟むので、音質劣化がある」という人もいます。趣味の世界ですからその御意見も尊重します。

しかし、CDプレーヤーとメインアンプを直結しても音楽が聴けるのに、大なり小なり音質劣化があるのを承知で、途中に(ものによっては100万円もするような)プリアンプを挟むのがマニアの常識なのは、「音質劣化=個性的な音色の付加」でもあるからです。

真空管を使ったグライコは、「真空管の音色の付加+五つの周波数でのトーンコントロール」を可能にした、マニア心をくすぐる製品なのです。

「 MOOK真空管グラフィックイコライザーを試す 」

https://stereo.jp/?p=4735


(2020.5.31)

@ 数日前のNHKラジオで、「九州に第2波が来たようだ」という話をしていました。

そこではアナウンサーが専門家の意見を聞いたのですが、専門家は「(苦笑いで)まあ~心配ないでしょう」的なニュアンスだったのにたいし、アナウンサーは「(真顔で)注意が必要ですね」みたいなニュアンスで結んでいました。


@ 私の父は学がありません(私も似たようなものですが)。そのせいかもしれませんが、たまに私が自宅で試験勉強すると、父は「学校で一日中勉強しているのに、なぜ家で勉強するんだ。それは学校で遊んでいたからだ」と言い、学校以外で勉強する者を軽蔑していました。


(2020.5.29)

@ 映画「シン・ゴジラ」、

全国112館で再上映開始。

数館なら分かるけれど、112館とは如何に。

やはり、コロナの襲来なのでしょうか。

これも戦後ですから。

私も大画面・大音量でゴジラに近接したい。(2020.5.27の再掲)

追記

いつのまにか147館に増えています。


@ なんと映画「ハンターキラー 潜航せよ」も全国34館で上映しているようです。

これは「コロナを忘れさせてくれる」にはピッタリ。

なるべく前列で、全身ビリビリの、爆音上映を浴びたい。


@ 昨日、一枚の広告ハガキが届きました。

かつて行ったことのある隣県の温泉宿です。数年前に上皇ご夫妻がお泊りになった宿でもあります。

私が宿泊後、1~2年ほどこのようなハガキが届きましたが、新型コロナの影響か、また送られてきたのです。

期間は6月いっぱい。なんと、「さくらんぼ狩り」が付いてのプランだそうです。

そのせいか、私が行ったオフシーズンよりも少々お高いようです。

良い空気の中で、温泉に入りたい。今は本当にそう思いますが、途中の交通とかがネックで、今一つ決断が出来ません。

まずは映画、映画館です。あそこをクリアできれば、さらなる勇気も湧こうというものですが。


@ 数年前のこと、付録が魅力な限定版の雑誌を確実に手に入れたいと思い、東京のあるお店に「ネット予約」を入れました。「受け付けました」と返信が来ました。

しかし、発売時期になっても送られてこないのです。

近所の本屋さんには現物が数冊並び始めました。「ここでも買えそうだな」と思いましたが、予約してあるので送られてくるのを待ちました。

しかし来ません。

しびれを切らして「まだですか?」と催促メールをしたら、「すでに完売で在庫はありません」みたいな(意味不明な)返信が来たのです。想像するに、「受け付けたのに、点検せず、私の分だけ発送をもらしてしまった」ようです。

誰でも間違いはあります。だから、それを責めるつもりはありません。しかし、それなら素直に詫びを入れ、(地方でも本屋さんに並んでいるぐらいですから)一つぐらい買えるはずなので、少し遅れてもいいから調達して送ってくれるのが誠意だと思うのです。

でも、「めんどうだ、遠くの客の一人ぐらい、どうでもよい…」の体で、きっと責任を煙に巻いたまま、私は切り捨てられたのだと思いました。その方面では昔から名の知られた店なのに、(その信用を買ったのに)やはり世の中そんなものなのでしょう。

喧嘩するのも不愉快なので、すぐ地元の本屋さんで買いました。予約した義理でじっと待っていたら(予約したのに)買い損ねるところでした。

なぜ、今さらこの話を持ち出したかというと、1か月ぐらい前、アマゾンさんを通して、中国の業者さんから100枚マスクを買ったからです。そうしたら、指定日を過ぎてもなかなか送られてきませんでした。

過去の経験から「アマゾンさんならその内に送ってくるだろう」とほかって置きましたら、業者さんから中国語とその翻訳メールが届き、「遅れて申し訳ありません。まず100枚、後日さらに100枚、合計200枚送ります。内100枚は遅延のお詫びです」みたいな事が書いてありました。

そして、メール通りすぐ100枚送付されてきました(後の100枚もいずれ送られてくると信じます)。この件は中国に対するイメージUPになりました。失礼ながら「中間にアマゾンさんが入っているから」かもしれませんが、二つの事例には考えさせられるものがありました。そう言えば、「マスクの倍返し」は中国の得意技かもしれませんね。

『 中国から日本へ、マスクの「倍返し」が相次ぐ=中国ネット「こういう交流こそ大事」 』 

( 2020年3月27日(金)11時30分「Record China」 )

追記

もし東京のお店から、「どこかで調達して送る」旨の返信があれば、私は「その気持ちだけで十分です。近所の店にありましたから、そちらで買います」と言ったでしょう。

このやり取りは「必要な挨拶」みたいなものだと思います。お店側が一方的に省略して良いとは思いません。

追記2

料金の件ですが、雑誌の方は代引きですから、送られてこなくても大丈夫。

マスクはアマゾンさんを通してのカード払いです。100枚分しか決裁していないので、200枚分は落ちないはず。

「遅延のお詫び」を邪推すると、「送られてこないと、アマゾンさんへメールして、騒がなかったことへの、業者さんからの感謝」の意味もあったのかもしれないと、今になって思うのです。


(2020.5.28)

@ 2020.5.27の巨大ショッピングモールへ行った話の続きです。

いつものようにパンとコーヒーを買ったのに、館内のテーブルとイスが撤去されており、わずかに残った物には「この店で買った人専用」の表示があって座れませんでした。

しかたなく、屋外の花壇のへりに座って食べたのです。幸いにも曇天で、そんなに暑くもありませんでしたから。

で、帰宅した翌朝のこと。

ふと気がつくと、上唇だけが「たらこ状態」に腫れていたのです。痛くはありませんが、ゴリラのように。

昔から、ごくまれに唇が腫れることはありましたが、この際ネットで理由を調べてみましたら、「紫外線」が理由に上がっていました。マスクは館内だけに使用しましたから、3か月に及ぶ自粛生活明けの5月、どうやら日焼けしたようです。

往復1時間かけてショッピングモールへ徒歩で行き、ランチも30分日光浴し、帰りにはホームセンターでお買い物。久しぶりの冒険には、それなりの疲労もあったのでしょう。

幸い、一日たった今日、唇も元に戻りつつあります。


@ 『 引きこもり当事者の「10万円コロナ給付金」受け取りを邪魔する家庭の闇 』
( 2020/5/28 6:01配信 「ダイヤモンド・オンライン」)

『 事業者支援の原資に県職員の「10万円」 広島県が検討 』
( 2020年4月21日 21時00分 「朝日新聞デジタル」 )

知人に引きこもりの子どもを持つ親御さんがいますが、子どもは就職前に引きこもりになり、ろくに働いた経験がないので「稼ぐことの大変さ、お金の貴重さ」が分からないのです。

ただし暇だけはあるので、知らぬ間に親の口座からネットショッピングで大金を使い込みました。

その後も、引きこもりが治らないまま、あっという間に10年が過ぎ、扶養料、そして子どもの将来の生活設計、そういうことを考えると、親御さん自身の生活、人生設計にも大きな影を落としているのです。

法律的に考えれば10万円は子どものものでしょう。しかし、親御さんの心情としては、複雑なのではないでしょうか。


(2020.5.27)

@ TVの情報番組で、ワンちゃんを紹介していました。彼(たぶん)は、奥さまが「掃除機をかける」と、すぐに自分も「音の出るボール」を持ちだして遊ぶのだそうです。理由は分からないとのこと。

私は、奥さまが「掃除機をかける」ことを「音の出るオモチャで遊んでいる」と認識し(ワンちゃんに掃除をするなどと言う習慣はなさそうだから)、記号論を使って自分も「音の出るオモチャ」を持ち出すのだと思いました。そしてお付き合いで遊んでくれているのだと。

たかが犬と、小ばかにしてはいけませんでした。

彼は「とても高級な概念」をもっている可能性があります。「すごい切れ者」なのかもしれないのです。

ここは犬語翻訳機「バウリンガル」(2002年 イグノーベル平和賞受賞)をバージョンアップしていただき、「愛犬といっしょに映画鑑賞」できたら素晴らしいかもしれません。

彼なら私の気づかない「映画の記号」を読み取り、たとえば「ゴジラしっぽと、無人在来線爆弾という“しっぽ”、その秘められた相関関係」ぐらいは、楽に語ってくれるかもしれないから。(2016.10.6の記事再掲)

つい、半年前だと思っていましたら、これを書いてからもう3年半ぐらいになりました。早いものです。


@ 映画「シン・ゴジラ」、

全国112館で再上映開始。

数館なら分かるけれど、112館とは如何に。

やはり、コロナの襲来なのでしょうか。

これも戦後ですから。

私も大画面・大音量でゴジラに近接したい。


@ 半世紀前ですからもう書いても良いでしょう。親戚に自殺した人がいます。私が小学生ぐらいの頃でした。

人見知りの激しい私ですから、その親戚ともあまり親しくはありませんでしたし、亡くなったそこのご主人の顔も知りません。でも、ある日青ざめた母から「自宅で自殺しているのが発見された」という話を聞いて、ショックを受けた覚えがあります。

人の死というものは、それ自体衝撃的なものですが、自殺というと、さらに輪をかけて、残された者・親戚縁者の末席にいる子供にまで、心に刺さるものなのです。

その時の気持ちを思い出すと、まず亡くなった本人の無念・哀しみ、そして、たぶん流れていたであろう、その家庭の寒々とした空気です(世間知らずの子供心にはそう思えたのです)。さらに逆説的ですが、それを防げなかった家族の無念・哀しみが続きました。

「人聞きが悪い」という言葉がありますが、周囲の者は、そう怯えるので、これは今まで封印してきた話です。

何を申し上げたいのかと言えば、すでに述べたように、自殺者は末席にいる者にまで心に傷を残していくという事です。


@ 久しぶりに巨大ショッピングモールへ行きました。

感染予防対策でレジ前にビニルシートとか、

本当に2メーター離れたところに並ばされるとか、

カフェなのにイス・テーブルの撤去、

5人掛けのベンチシートの「中央3つが×」になって両サイドの2人しか座れないとか、

男子トイレも一つおきに×になっており半分しか使えない、

店舗でも入場制限中の張り紙とか、

近代的な建物に似合わない「バラック」のような状態に、ふと、戦後の焼け野原の、バラック(闇市)を思い出したのです。ドラマでの記憶しかありませんが。

そういう意味でも、今は、第三次世界大戦の戦後なのでしょう。人々の心も荒んでいるはずです。なにか、バイアスがかかっているはずです。

追記

たくさんのイステーブルが撤去されているのに、わずかに残った物には「この店で買った人専用」の表示が。


@ 往年の映画評論家・淀川さんは、私の記憶では、「どんな映画でもほめる」という批評をしていたようです。それは「相手の良い面を見てあげる」に通じる思想だったと思います。

そして現代、「日本の映画評論は甘い」という声もあるようです。私は良く知りませんが、「ロッテン・トマト」の批評は辛口で良いという人もいます。

さらにアカデミー賞を受賞した韓国映画「パラサイト 半地下の家族」の授賞式では、監督が「韓国民の映画に対する厳しい批評に鍛えられたおかげだ」という旨のスピーチをしたことを覚えています。

一方、このぴあ映画生活のレビュー投稿欄には「個人・作品に対する誹謗中傷はご遠慮ください」と書いてあります。

何をもって、「辛口の批評」と「誹謗中傷」を分けるのか。もちろん私の中でも「これは誹謗中傷だ」と思える事例もありますが。

しかし、Amazonさんの商品レビューで「★一つ」などの低評価を読むのはつらいという若いユーザーもいるようです。

昨今は、商店でも客が突っ込んだ質問しただけで「クレーマー」あつかいされる雰囲気もあります。

公務員の言動は昔に比べ上品になっているのに、公務員バッシングはひどくなっている。

他殺も自殺も人を殺めるという点で同じ悪であるという事を言う人はあまりいません。

だれかの予定調和を乱す言動は、すべて誹謗中傷になるのでしょうか。

さらに、その線引きが、価値観の違う老若男女では違うような気もします。


@ 自宅の窓から幹線道路が見えます。さまざまな車が一日中走っています。

ぼんやり眺めていて、私は普通自動車よりトラックが好きなことに気がつきました。昔はかっこいいスポーツカーだったのに。

そして、「なぜ」と自問自答したら、「働きたいから」と分かりました(金は欲しいですが、金が欲しいからではありません)。

在職中の私にとって普通自動車は仕事場ではありませんでした。でも、ワゴン車は仕事場だったのです。年に1~2回、書庫の整理をし、ダンボール箱の書類を焼却場や溶解場へ運びました。肉体労働ですが、窓口当番・電話番をするよりもはるかに好きでした(逆が好きな人もいますから、世の中上手くできています)。

荷物を積んだら、助手席に座って、しばしのドライブを楽しむ。そして、帰り道には「おつかれさま」の喫茶店。

懐かしい思い出です。


(2020.5.26)

@ ラジオの「声質」の話です。

スタジオで(私にだけ)語りかけているような、線が太く、温かみのあるラジオのパーソナリティーの声。

でも、ラジオのリモート(自宅で収録)では、ライブな部屋だと、少し離れて話しているような、あるいは電話のような、線が細く、クールな(事務連絡)的音声になります。

それでも良いという方もいらっしゃるのでしょうが、私はスタジオが良いです。

リモートでも部屋に吸音材を吊るしたりして、あるていど音響特性をスタジオに近づけることができるのかもしれませんが、ラジオのリモートというものは、知らぬうちにファンが離れてしまう危険性もはらんでいるような気がします。


@ ①新聞にあったアーチェリーの記事をご紹介しようと思ってネットを見たら、②関係のない動画を見つけて呆然としてしまいました。ですから②を先にご紹介することにして、私が感じた感動+違和感を書くために検索したら、③の記事を見つけて、やはり違和感を感じているのは私だけではないのだと安心しました。


① 「(月刊TOKYO2020)ブレない構え、足で射る狩人 右足に弓、左足は地面に 50メートル先の的照準 」

( 2020年5月24日 5時00分 「朝日新聞デジタル」 )


② 「 飛んでくる矢を射る男 」

( 2015年1月27日 21時0分 「ギズモード・ジャパン」 )


③ 「 飛んでくる矢を射る男の動画ここがおかしいぞ。プロが検証 」

〈 source:GeekDad(satomi)〉

追記

私はアーチェリーを10年ぐらいやりました。一回2~3時間、週に2~3回のペースです。その間、数えきれないほどの仲間の練習風景も見てきました。

何事にも天才はいるのだと思います。簡単に見える弓矢も、私のような凡人が努力しても天才には追い付けません。しかし、その境地に天才は片手間で到達してしまうのです。

ですから、彼のような天才も実在するのかもしれませんが、(失礼ながら)彼は現在アーチェリーで教えられている基本を無視しているように見えます。はたしてそれで当たるのか。特撮の可能性はないのか。

感動とともに疑念もわきました。そんな時、一瞬写った「的」が心にひっかかったのです。(一般的な話)練習中の的には穴が開きますから、それを見るだけで持ち主の実力が分かろうというものです。

上級者は9~10点に穴が集中し、やがて、そこだけ大きな穴が開いてしまいます。

初心者は0~10点に穴が分散され、集束が見られません。

彼のような天才なら前者が普通でしょう。しかし、彼の的は後者に近かったのです。

これから導き出されるのは、(大変失礼ながら)「何回も繰り返して、偶然成功したものだけを編集したのではないか」という仮説です。

実際は、お弟子さんが練習して初心者みたいな的にしてしまったのかもしれません。しかし、編集説を言いたくなるほど、天才的な技だという事で、この邪推をご容赦ください。

追記2

彼の技が本物で、「自分もマネしたい」という人が現れたとしても、私の知る限り日本には練習させてくれる射場はありません。射場でも野山でも、強行すれば警察沙汰を覚悟せねばなりません。

それどころか、正統派の射の練習をしたくても、「グリーンバッチ」という、いわゆる実力証明書を持っていない人は門前払いになる事すらあるぐらいなのです。

アーチェリーの矢は厚さ5ミリの鉄板を貫通すると言われています。拳銃並みの殺傷能力があります。そんな危険な道具を、まるで曲芸師のように扱う射法の練習をしたいというのは、(失礼ながら)周囲の者にとっては重大な命の危険にさらされるも同然で、容易に受け入れられることではありません。

射場での練習者は、他の練習者と管理者から、安全性を担保するために、つねに監視されていると言っても良いでしょう。和弓では一挙手一投足が問題になりますが、アーチェリーでも似たようなものです。(我流などで)基本が出来ていない者はすぐ見破られ、終始警戒され、場合によっては退場させられます。

もし、人身事故が起きれば、警察沙汰、新聞沙汰になるだけでなく、射場が閉鎖され、多くの練習者に迷惑をかけるだけでなく、損害賠償請求が行われる可能性もあります。

追記3

では本題の①についてお話します。

新聞の「リカーブより的中精度が高いコンパウンドでは一つのミスが命取りになりかねない。」が妙に引っかかったのです。コンパウンドの方が難しいと感じさせるような記述です。

でも、私は極言すれば「アーチェリーとはリリースである」と思います。「リカーブの練習とは。詰まるところリリースの練習である」と言っても過言ではないと思います。

そのリリースを、指ではなくリリーサーという道具で行うコンパウンドは、リリースの悩みから解放され、狙うこと集中できる(相対的に比重が多くなる)のです。

でも、リリースの困難を背負っているリカーブの方が弓矢として難しく、ミスを起こしやすい、たくさんの要素があるのです。

ですから、リカーブの方が簡単であるかのような、新聞の記述に?を感じたわけです。

もちろん、弓矢として、どちらが高級であるとか、そんな話をしているのではありませんし、障害者の方にとっては、どちらも十分に難しい弓であると思います。

追記4

「障害者にとってのスポーツとは何か」を語るときには、これを思い出します。

『 それは第二次世界大戦後まもない話です。1948年イギリス、ロンドン郊外にあるストーク・マンデビル病院で、責任者のルートヴィヒ・グットマン医師が脊椎損傷者の生きがい作り、仲間作り、社会参加等のために、車椅子アーチェリーを取り入れ、めざましい効果を上げました。それが世界中に広がり、やがて現在まで続くパラリンピックの始まりになったとされています。

考えても見てください。昨日まで元気で飛びまわれた人が、怪我や病気で車椅子生活者になるのです。その衝撃と喪失感から、一気に生気を失ってしまう人も多いでしょう。実際、寿命にも影響したようです。それがスポーツをすることで健常者と同じように元気を取り戻すことができたのです。

彼らにとってスポーツとは、健常者にとってのスポーツとは少々意味合いが違い、ある意味、生きるための特効薬でもあったのです。健常者もこの事実は知っておいた方が良いと思います。多くの人に訪れる定年退職という喪失感(俗に「退職ショック」とも呼ばれる)も、なにか適当なスポーツを始めることで乗り越えることが出来るかもしれませんから。 』

( 映画「最強の二人」 2012/9/7 13:50 by さくらんぼ 本文より抜粋転記 )


(2020.5.25)

@ 『 給付金10万円「早くてびっくり」秘訣は“徹夜作戦”? オンライン申請では住所不一致などトラブルも

作業にあたっているのは保育士 市の職員“総力戦” 』

( 2020/5/25(月) 19:19配信「メ〜テレ(名古屋テレビ)」 )

保育士さんに応援していただくのは異例だと思いますが、縦割りにこだわらず、有事には総力戦で良いと思います。


@ 彼の目線(も)最高。 


@ 『 全国興行生活衛生同業組合連合会(映画館の組合)による「映画館における新型コロナウイルス感染拡大予防ガイドライン」 。ソーシャルディスタンスなど映画館が運営上で気をつけるべきことについて記載されています。映画館に行く人は目を通しておくと良いかもしれません。 

https://zenkoren.or.jp/news-pdf/0514_COVID-19_guideline.pdf…    』

( 午前10:37 2020年5月25日 中井 圭さんのツイッターより )


@ 東京とか北海道とか、一部でも解除が行われていないと、自分の地方だけが解除されてもあまり喜べませんが、全国解除されそうですから嬉しいことです。

2か月ぶりに床屋へ行きましたら、満員で店外まで人が待っていました。いつもは閑古鳥が鳴いているお店なのですが…ここまできたら、もう、1~2週間延ばしましょうか。


@ 『 板挟みで「心がおかしくなりそう」 給付金窓口で矢面に立つ派遣社員の叫び 』

〈 毎日新聞2020年5月23日 07時30分(最終更新 5月23日 07時30分) 〉

本当にごくろうさまです。

しかし、程度の差こそあれ、「板挟み」こそ役所の窓口の日常風景です。

避難所運営を思い出すまでもなく、職員は法律と住民の要望の間に挟まれて仕事をしているからです。


@ 「 助成金申請、ハローワークで断り続出 国の通知伝わらず 」

( 朝日新聞社 2020/05/24 20:29 )

通常、国からの連絡は、国 → 県 → 市 → 区(係の上司) → 係の担当者へと流れます。

今回のようなルーチンではない仕事は、随時指示の変更がありますから、毎日のようにファックス(あるいはメール)で連絡が流れてきます。1週間で5回も10回もあっても不思議ではありません。

たくさん流れてくるので、チェックをしていても、忙しさに紛れて、読んだのか読まないのか、混乱が起きることもありえます。

又、係の担当者は、係の回覧板で読む場合が多いです。通常、回覧板は窓口には置きません。奥にある個人の机に置きますから、窓口が忙しい時にはどうしても読むのが遅れます。さらに、休んでいたり、出張したりすると、全員が読み終わるのに何日もかかることも、少なくありません。

緊急性のあるものについては、朝礼で係長が口頭説明すべきだと思います。


@ 『 ガラガラだけど「これで満席」 ある劇場の“問いかけ”に反響 』

( 2020年5月18日 11:12 「沖縄タイムス+プラス ニュース」 )

年初には一週間に二回映画館へ行っていた私は、3か月間の自粛生活で24本の映画を観そこなった計算になります(2月に風邪を引いたので個人的には3か月です)。

早く、安心して映画館へ行きたい。その光ももうすぐ。そう思っていましたが、この写真を見て考えさせられました。

① これで経営が成り立つのか。

② もし、座席を一つおき、あるいは二つおきにしか空けない劇場があったとしたら、2メーター離れていないわけですから、支配人は安全性をどう説明されるのか。

③ 「映画館はライブハウスとは違い、静かに映画を観る場所だから比較的安全性が高い」との説明を聞いたことがありますが、劇場内の飲食は今後どうするのか。

( 「3密を避けるために窓を開けると、風下にいる人がかえって危険になる」という話もありますが、映画館もエアコンで空気の流れがあり、風上の人が飲食をする場合、特に危険ではないのか。

若いころ、事務所でのタバコは当然でした。部屋の奥がぼんやり霞んでいたほど空気が汚染されていました(映画館のタバコも常識でした。座席に灰皿がついていたぐらいですから)。中には事務所窓口でパイプをふかしつつ仕事をする人もいましたが誰も咎めない世界です。

そんな中、隣席の人もスモーカーで春と秋が辛かったです。窓を解放するので、風に乗って濃いタバコの煙が鼻先を刺激するからです。窓を閉め切る夏と冬は、煙は上昇するので直撃が少なく、煙るほどの空気の悪さでも楽でした。風邪をひいて喉が痛い時を除いては。だから「風下の問題」は理解できるのです。)

④ 何席ごとにするにせよ、写真のように実働する座席数を減らすと、相対的に同一座席に座る回数が増えるのではないのか。

従来から思っていましたが、座席のひじ掛け(手のひらが触れる部分)は電車のつり革並みに汚染されているのではないのか。マンガ喫茶などでは客が一人帰るたびにテーブルとシートをアルコール消毒している光景を見ましたが、映画館ではどうなっているのか。客は、そこに触った手で飲食し、両手で顔をおおい、あごをなぜ、涙をぬぐうのです。

⑤ 映画館に限らず、飲食店などでも座席数を減らす店があるようですが、仮に座席を半分に減らせば売り上げも半分になるのではないのか。写真のように減らせば85パーセント減になるのでは。すると値上げは視野に入るのか。

苦言を言うなと思われるかもしれませんが、映画館を愛すがゆえに、最近そんな心配が浮かぶようになりました。

ちなみに、私が行っていた映画は比較的マイナーな作品が多く、しかも、ほとんど平日に行くので、写真のようなガラガラ状態に近いほど空いていることも少なくなかったです。


(2020.5.24)

@ 「 持続化給付金の対象拡大 経産省が中小企業・フリーランスへの追加支援策 」

〈 毎日新聞2020年5月22日 20時58分(最終更新 5月22日 22時27分) 〉

そのように書かれた法定調書、給与支払報告書、申告書等が提出されるから、役所の(現場)もそれを信じているだけで、従来から「事業所得」「雑所得」「給与所得」の区別には一抹の曖昧さ(あるいは分かりにくさ)がありました。

ですから、「起こる可能性のあることは、いつか実際に起こる。」と言うマーフィーの法則どおり、このトラブルは起こったと言えるのかもしれません。


@ 先日ネットで見かけたのですが、アマゾンさんなどの商品評価で「低評価を見るのがつらい、傷つく」みたいな若者がいるようですね。

私など最低の評価をした人のコメントを読んで、営業妨害的悪意が感じられるのか、ほんとうに商品に憤慨しているのか(商品が悪いのか)を見極めようと試みるのが、コメントを読む楽しみの一つだと思っていましたから、意外でした。

これはオーディオ評論を若いころから読み続けたせいかもしれません。オーディオ評論では全製品「最高に良い」か「とても良い」ぐらいの違いしかないので、行間に込められた感情で判断するしかないわけです。

言いかえれば、「良いも悪いも、何も信じず、信じるに足りる材料を探す」とでも言いましょうか。


@ 私は子どもの頃、父から「お前は生まれた時、猿にそっくりだった」と事あるごとに言われました。

兄弟の顔については言及しませんでしたから、私の顔だけが猿だったのでしょう。それを聞いていた兄弟は、私のことを「猿」と呼ぶようになりました。別に気にしませんでした。父から洗脳されていましたから、違和感を感じなかったのです。

以前もお話しした通り、父は(昔の田舎、貧しい家庭の育ちで、幼いころに両親にも死に別れ)そのせいか、小学校もろくに通っておらず、文盲とは言いませんが、それに近い学力しかありませんでした。

そんな父は、猿みたいな顔をした私をみて、無意識に安心したのだと思います。猿なら自分を辱める心配はないだろうと。

しかし、私とて義務教育を受ければ、すぐに父よりも学力が上になりました。それを知った父は「猿」ではなくなった私に、何かにつけて「ダメ出し」することで支配下に置こうと思ったのです。

しかし、それは無駄な事でした。愛すべき対象を失った父は、私が20代の頃に(鼻が短く、顔が黒い)猿みたいな顔の小型犬を買ってきました。本物の猿を買いたがっていましたが、母が反対したからです。父は猿みたいな犬を溺愛しました。

「猿みたいな顔の私」「文盲に近い父」「私に対するダメ出し」「猿を買うことに母が反対」「猿みたいな顔の犬」

これらが一つの線で結ばれたのは(気づいたのは)、私がおじさんになってからです。

なぜ、今この話を持ち出したかと言えば、人気TVドラマ「まだ結婚できない男」で、猿顔のパグ犬と相思相愛である主人公が、ヒロイン宅を訪れるときには決まってバナナを手土産にする不思議なシーンを観たからです。彼も又、「ヒロインを猿のように自分の支配下に置きたい」と思っていたのかもしれません。だとすれば、あれは「ひそやかなホラー」です。

追記

私は勉強が苦手で、大志もなく、両親は勉強しろと言っていましたから少し違いますが、「文盲の親と、子供の教育問題」は、NHK朝ドラなどでは繰り返し描かれてきた世界観です。昔の貧しい農家の生まれで、両親は読み書きができず、娘が大志を抱いていても「女に学問は不要だ」と学校に通うことを許してもらえないという。


@ ステレオの片チャンネルの音だけを聴いたことがありますか。

音量が小さいだけでなく、影の薄い音です。

その影の薄い音が空間で合成され、一人前の音に変化するのです。

つまり、二本のスピーカーとリスナー、この三者が最適化されて、初めて完結するわけです。

これって、めんどうで、不便なことだと思いませんか。

もし、モノラルなら一本のスピーカーから完結された音が吐き出されますから、ステレオほどにはリスニングポイントが限定されないのです。

マニアには「モノラル命」の人が今でもいます。

それでもステレオ全盛期である理由には、「メーカーが二倍の利益を上げたいからだ」という都市伝説があります。


@ 今から半世紀前、トランジスタラジオやカセットテープレコーダーで音楽を聴いていた私は(10センチ程度のフルレンジスピーカー内臓)、初めてコンポのスピーカーを買いました。評判の良かった25cm2ウエイです。

そうしたら、低音や高音が出る代わりに中音域が少なく感じられ、欲求不満になり、かといって簡単に買い替えることもできず、何が原因かもわからず、道に迷ってしまったのです。

これ、もし10センチフルレンジの音が気に入っていて、さらに低音と高音をプラスしたいのなら、10センチ2ウエイか、10センチスコーカーを使った3ウエイスピーカーを買わなければいけません。30cm3ウエイなら良い選択です。

私がそうでしたが、10センチフルレンジでは出ないような突き抜けるような高音が欲しい、低音も欲しい、しかし安く上げたいからと25cm2ウエイなど買ったら、(例外が無いとは申しませんが)中音域が少なく感じられます。主に「指向性」の問題だと思われますが、大口径2ウエイは特性上はフラットでも、聴感上は中音域が少ないのです。

誤解を恐れずに言えば、そんな大口径2ウエイはおじさん用です。おじさん世代になると、25cm2ウエイの方が音に深みがあって、だんだん心地よく思えてくるものです。それを若者が買ってしまうことが悲劇の始まりだったのです。

この問題、先ほどネットを覗いてみたら、半世紀たった今でも、「初心者の悩みの一つ」であることが分かったので書いておきます。

追記

濃い中音域は小口径フルレンジが最高です。

おなじスピーカーを使って実験したことがあります。

①小口径フルレンジ一発。
②小口径フルレンジにコンデンサー個の簡易ネットワークでツイーターを加える。
③小口径フルレンジにコンデンサーとコイル・抵抗器などを使った標準タイプのネットワークでツイーターを繋げる。

結果

一番中音域が濃く太いのが①です。

低音が十分出ている場合には②も良い選択です。しかし、中音域の線が細くなることもあります。

いちばん無難な(あるいは退屈な)音が③になります。

市販製品は無難な③が多いのでしょう。

しかし、マニアの自作には①か②がよろしいかと。


(2020.5.23)

@ 仕事をリタイアした時、アルコール量が減りました。飲みたくないのです。

その時思ったのは、「仕事のストレスから解放されたからだな」という事です。

在職中は毎日の晩酌が楽しかったし、特に週末は、食中とナイトキャップに飲んで、深夜、ふと気がつくとTVだけが鳴っているみたいな、堕落した世界にいましたが。

でも、今は稚拙なブログ書きで疲労し、夕方になると、おちょこ二杯分の水割り焼酎が欲しい毎日です。

「そんなもん飲んだ内に入らん」と言う方もいらっしゃいますが。


@ 『 紗倉まなインタビュー「どうして生産性のない、無意味で放漫な性を求めてしまうのか」《AV女優と純文学》

AV女優の延長上に「内情も出す」書く行為があった

…中略…

ただの金太郎飴から、少しでも色合いの豊かな金太郎飴になりたい――。そう思ってAV業界で日々もまれ、いろんなことに気づけたからこそ、何かを書きたいという気持ちも強くなっていったんです。AV女優はやっぱり私の原点で、その延長上に「自分の内情も出す」という書く行為があったんですよね。

…後略… 』

( 2020/03/15「週刊文春デジタル」より抜粋 )


最近の芦田 愛菜さんがまとっている空気感と似たようなものを、以前、紗倉まなさんのインタビューシーンから感じたことがあります。お二人とも芸能界の住人というよりも、(どちらかと言えば)役所の職員に近いような感じを受けました。

そういう意味からも、お二人が本を出しておられると聞いても(失礼ながら)違和感はありませんでした。もっとも職員とて容易に出版などできませんが。

それに、何の話題だったか忘れましたが、以前、「書く行為は自分の心に触れることだ」と言った人をご紹介したことがありましたが、それも思い出しました。

『AV女優の延長上に「内情も出す」書く行為があった』という言葉は、TVドラマ「ハケンの品格」のヒロインの口癖でもある「それが何か?」的な感じがして納得です。


(2020.5.22)

@ 納豆は大粒が好きで、パック入りの物をランチに食べていました。

でも、ためしに夕食でも食べてみたら、気のせいかお腹の調子も良くなったのです。

それいらい一日二食の納豆生活です。

納豆って、食べるときに糸が顔にくっついたりしますね。さすがにお豆が髪につくことはないと思いますが。


@ 「 アダム・ハラシェヴィチ/ショパン:夜想曲集 ~ノクターン~  」

1~2年前に本屋さんで370円+税で買ったCDが、JBL STAGE A120で良い音で鳴っているのでご紹介しようと思ったら、アマゾンさんでは信じがたいお値段になっていました。

追記

昔のSPレコードの時代、蓄音機の振動版は金属でした。ですから音楽には金属の固有音が乗ったのです。しかし、金属の固有音は風鈴などで分かる通り、下手に鳴らさなければ美しいと人は感じます。

オーディオ全盛期にはSP時代からの伝統を受け継いだような、金属の固有音を生かしたスピーカーが多くありました。ツイーターに金属振動版を使ったり、スコーカーのセンタードームに金属を使ったりで、金属の固有音を音楽に乗せることが出来たのです。

人類にとって幸せな時代でした。

しかし、浅知恵!?がついてくると、「何にでも金属の固有音が乗るのはけしからん」という主張が生まれたらしく、時代は固有音を消し去る方向へ流れたのです。

すると金属「命」な人には、スピーカーの音がつまらなくなりやすいです。ですから、往年のオーディオファンの中には、昔の音を懐かしむ者もいます。

そんな中、(誤解を恐れずに言えば)JBLのスピーカーの多くには金属の固有音の美しさがまだ生きています。それが今回のピアノを魅力的に聞かせたのです。リアルかどうかは別問題として。


@ 『 10月の国勢調査、対面配布・回収取りやめへ 原則、郵送かネット 「延期も視野」 』 

〈 「毎日新聞」2020年4月25日 18時24分(最終更新 4月25日 18時24分 〉

今年は国勢調査の年です。それも10年に1度の大規模調査。私は昔の話しか知りませんから…今は色々制度も変わったのでしょうね。

少し昔話をします。国勢調査は国の仕事ですが、10万円支給事務と同じく、市町村役場が動きます。もう少し詳しく言うと、アルバイトの調査員何人かを指導員一人(市町村役場の色々な係の職員)が束ねます。その指導員を束ねるのが統計選挙係(選挙事務をする係)です。集めたデータは最終的に国へ送ります。

住民が記入する調査票は完ぺきなものばかりではありません。ですから、昔は回収時に調査員が玄関先でチェックしていました(今はプライバシー意識の高まりでそれも叶わなくなったようです)。

すると指導員が(その分)チェックせざるを得ないわけです。普通、指導員は残業で行いますが、昔は自宅に持ち帰ってチェックをしたり、自宅から住民宅へ電話もしていました。今でいうテレワークですね。今はきっと電話は無理でしょう。逆説的ですが、電話が無理になったことで(調査不可になり)仕事が楽になった可能性もあります。

期限が来ると指導員は調査表を統計選挙係へ提出します。すると統計選挙係でさらにチェックが入り、問題があれば調査員へ差し戻しもありました。これが怖い。

全部済めば、アルバイトにも指導員にも、いくらかの手当が支給されました。指導員は調査員のお宅を訪問し、御礼とともにお金を渡して、印鑑をもらいます。ホッとする時期です。

指導員をまったくやらない人もいるでしょうが、定年までに1~2回以上経験する人も多いと思います。新型コロナの昨今は、「プライバシー問題+ネット申請+感染予防」など、課題が多いようですね。市町村役場にとっては(いろいろ)受難の年かもしれません。延期されたら、それもまた問題かもしれませんが。

追記

調査員から受け取るとき、その場では中身を詳細には点検しません。誤解の無い様に申し上げますが、それは点検が簡単なことではないからです。

後ほど残業で何時間もかけ、一枚一枚たんねんに点検し、電話をかけられなくとも、役所内部にある書類で参考になるものがあれば、それを利用し、できるだけ国が求める最低限度の調査条件はクリアーすべく努力しています。


(2020.5.21)

@ アフターコロナをにらんで、フリーランスの方も色々な企画を練っておられると思います。

同様にトランプさんもアフターコロナを警戒しているようです。

先日のワイドショーを観て感じたのですが、日本が「アビガン」(効き目に疑問符があるようですが)を世界中に無償供与することで影響力を増したいと思っているように、「新型コロナのワクチンを解発した国が世界を制す」と言われているようです。

もし最初に中国が良く効くワクチン開発に成功したら、(今のWHOだけでなく)世界は中国に頭が上がらなくなる可能性があるのです。

何としてもそれだけは阻止したいアメリカは、WHOと中国を相手に露骨なまでの「新型コロナの断罪文書」を送りつけました。まるで裁判です。

新型コロナの襲来は第三次世界大戦だと言われていますが、比喩ではなく、すでに米中の戦いが始まっているようで、この先のエスカレートが心配です。トランプさんの単なる選挙対策だとの見方もありますが、はたしてどうでしょうか。


@ 『 民間にオンライン申請する場合、民間には突合すべき住民登録データがありません。申請情報が顧客名簿のデータになるのでしょう。

しかし、役所にオンライン申請する場合には、役所には住民登録データがありますから、突合作業が必要で、これは市・県民税の申告でも同じです。

一般に、個人を特定するには「住所・氏名・生年月日」が完全一致する必要があります。これは印鑑証明書の申請用紙の記入事項と同じはずです。完全一致しない場合は原則として別人扱いになります。当然に印鑑証明書も発行されませんので、「お使い」で役所に行き、辛い経験をさえた方もいらっしゃると思います。

しかし、世の中には、住所が1番地違う、氏名が誤字・俗字のようだ、生年月日が1日違う、みたいな申請書が意外に多いのです。

その多くはコンピュータでは審査不可ですので、人間が判定することになります。

つまり、①リアルタイムで人間が全件審査するのか、②後日まとめてコンピュータが不一致リストを吐き出してから、それのみ人間が審査して再入力するかが必要になります。

①は処理が遅いでしょうが、②も何日も遅れます。私の知る限り税務事務などは②です。』(2020.5.14の再掲)

追記

住民登録データは戸籍とも連動していますから、今度は住民登録データと申請書を連動させることで、その後の転居や、婚姻・死亡などの身分事項の異動も自動的に反映できる事になります。又、重複受付も防ぐことが出来、係ごとに住所・氏名などの誤記が生じることも無くなります。ここに住民が役所に期待している「事務の正確性」の土台が実現するわけです。

しかし上記の①②は、「原則として別人」を「役所の責任で同一人物に決定する事務」なので「責任は重い」のです。

例えば②では、職員一人あたり数百件を数時間で処理しなければなりません。それが何回もあります。コンピュータに反映されない過去・現在のデータと、職員の経験・人としての常識を総動員して、瞬時に判定していきます。

決定に足りる確たる証拠がないものも多く、「常識的にはこの人だろう」と総合的に判断せざるをえない場合には、微かな罪の意識が芽生える事さえあります。

それに耐えられず、慎重になりすぎると、(たとえば税務では)住民登録がない人として課税することになり、住民登録上のその人は不申告者扱いになりますので、後日二重課税など、トラブルになりかねないわけです。また、住民登録のない課税者を増やすことは、前述した「住民が役所に期待する事務の正確性」を壊すことにもなり、極力さけなければなりません。

プライバシーとオレオレ詐欺のこのご時世、電話で調査するのには限界がありますし、多くは文書で行うほどの時間的余裕もありません。疲労とモヤモヤ感の後味の良くない仕事です。


(2020.5.20)

@ ありがとうございます。


@ 『 30年ぶりに更新された陸上自衛隊の新小銃「HOWA5.56」 』

( 2020/03/28「ホビージャパン」 )

https://hobbyjapan.co.jp/armsweb/report/1310.html

刻印されている「ア・タ・レ」。


@ 新型コロナのご時世、「公園でのシャボン玉は、まるでBC兵器だ」と以前書きましたが、今日も親子づれがシャボン玉を飛ばしていました。

15メーターぐらい離れて横切ろうとする私の方へ、2つ~3つのシャボン玉が飛んできましたので、よけましたが、大丈夫だと思った瞬間、一つが肩のあたりで破裂し、飛沫が顔と目にかかりました。

慌てて水飲み場へ行き、水道で顔と目を洗いましたが、後の祭りです。

1~2週間の後に、もし私がいなくなったら、そのシャボン玉を思い出してください。

映画「 若おかみは小学生!」の追記Ⅲではありませんが、やはり不要な心配は災いを呼び込むのです。


@ 引っ越しをするとき、「壊してしまう旧家をメモリーしておきたい」とカメラを取り出しましたが、どうも調子がよくありません。

数千円のものでしたから、修理よりも買い替えと思いました。

でも、私が(今は持っていない)スマホを買えば、カメラが付いてくるし…。

そう考えると、結局どちらも変えないまま半年が過ぎました。

旧家のメモリーは、カメラをだましだまし撮影してありますが、そのままほかってありますので、カメラが壊れたらデータを取り出すのに苦労しそうです。

と言いますか、データの取り出し方の説明書などを引っ越しで紛失したきらいがあります。

街の写真屋さんで印刷してもらおうとも思いましたが、新型コロナで、足がすくんでいます。


(2020.5.19)

@ 『 10万円給付なぜ遅い? 四条畷市長が明かした8000文字noteに反響...「ひどい」「本当にお疲れ様です」 』

( 2020/5/19(火) 21:25配信 「J-CASTニュース」 )


@ 「 暗証番号再設定で1日13万件 10万円給付で窓口殺到 」

( 2020/5/19(火) 18:18配信 「産経新聞」 )


@ 「 高松市、オンライン申請中止へ 10万円給付金、入力不備多く 」

( 2020/5/19(火) 10:49配信 「共同通信」 )


(2020.5.18)

@ 「 ”給付金もらえない” 事業者支給要件に差 所在地か居住地か 」

( 2020/5/18(月) 10:27配信 「長崎新聞社」 )

「どちらの市町村でももらえない」は、ありえないはずです。最終的にはどちらかでもらえるはずですが(重複支給も防ぐ必要があります)、これは制度設計をするときに国が決めておかなければならないことだと思います。

ちなみに個人事業主で、住民登録地がA区、事業所所在地がB区の場合、A区では普通に住民税が課税されますが、B区でも均等割のみが課税になります(地方税法第24条第1項第2号、地方税法294条第1項第2号)。

このような地方税が何十年も前から存在しますから、給付金でも想定する必要があります。

追記

B区の均等割ですが、B区ではまず事業所へ申告書を送り、不申告ならばA区から申告書のコピーを取り寄せ、最終的には職権でも課税できます。

また普通のサラリーマンでも住民登録地と実際の居所が違う例が少なくないので、課税もれや重複課税がないよう、連絡調整は恒例化しています。

戸籍事務でも、婚姻届、出生届、死亡届など、どこか一か所の役所でしか届出できなければ不便なので、添付書類など一定の条件を満たせば、複数の役所で届出可能になっています。

追記2

制度設計が自治体任せの場合、「自治体には地方税の経験があり、自治体間の連絡調整が必須になることは予想できるはず」なので、すみやかに動くべきです。


(2020/5/17)

@ 『 マスク部分だけ白く…夏場の「マスク日焼け」、どうすれば防げる? 肌荒れ対策は? 』

( 2020/5/17(日) 14:10配信 「オトナンサー」 )

男も日焼けを気にする時代になりそうですね。


@ 『 東京の3月のコロナ死者、発表の10倍以上?「超過死亡」を検証する 』

( 2020/5/17(日) 8:01配信 「現代ビジネス」 )

私は2月に風邪をひき、それをきっかけに、毎日のように街へ出かける生活から、3か月間の巣ごもり生活に入りました。カレンダーで風邪を引いた日を再確認してみましたら2月15日でした。3日間寝込み自力で治しましたが、体調が完全に戻るまでには1か月ぐらいかかりました。

味覚異常はなかったので新型コロナではないと思います。もし新型コロナなら、これで免疫が出来たのかもしれませんが、そんなに人生甘くはなでしょう。

しかし、2月後半から3月後半は新型コロナも猛威を振るっていたようですね。


@ 『 「年寄りは後回しか」10万円給付の窓口混乱 業務時間短縮でマイナンバー取得に手間も 』

( 2020/5/16(土) 19:57配信 「京都新聞」 )

昨年秋、引っ越し手続きのついでに、マイナンバーカードもつくりましたが、転居届の数倍手間がかかりました。

あの煩雑を思い出すとき、10万円支給にマイナンバーを活用するのはしかたないにせよ、それは「すでにカードを取得して(使える)人に限定すべき」だと思いました。

新たなカード交付や、暗証番号の再設定は、本題である10万円支給の混乱を避けるため、一時中止すべきだと。

簡単なことです。国が「一時中止」とTVで宣言すれば良いのです。市町村窓口では「申し訳ないですが、国が受付中止しているからできません」で押し通せます。ダメなものはダメなのですから。

ここまで考えてふと気づきました。

国は、市町村窓口の混乱より、10万円払うのだから、「この機に乗じて少しでもマイナンバーカードの取得率を上げたい」と思っているのではないのかと。


@ 災害が起きて避難所が開設されると、避難民の中に「新型コロナの発病者と思われる者、感染が疑わしい者、健康な者」が混在すると思われます。クラスターの発生を防ぐ為に、従来とは違った次元の避難所運営が必要になります。

しかし、避難所を管理するのは保健所職員でもなければ医師でもありません。日頃は住民票や税務などを行っている市町村役場職員です。医療に関しては素人なのです。

従来、彼らは自らも被災していながら住民に奉仕しているのに、避難民の欲求不満のはけ口になり、罵倒されるか無視されるかの扱いを受けました。そのためメンタルを病む者も少なくなかったのです。

新型コロナの登場で、避難所運営がさらに困難になることが予想されます。そんな中、災害の恐怖と、感染の恐怖に震え上がった避難民たちの口撃にさらされるだけでなく、自らも感染のリスクが高まる中で仕事するであろう市町村役場職員には、医療従事者並みとは申しませんが、正当な評価がなされることを望みます。


@ 緊急事態宣言の解除を受けて、店舗の営業時間延長がなされ、シャッターで閉鎖されていた地下街も通行できるようになりました。

しかし、政府は自ら緊急事態宣言を解除しておきながら、人出が増えてきたと困惑し、不要不急の外出を控えるよう発信しています。

県の緊急事態宣言が継続していることは何分の一しかニュースになりません。

為政者は国民に間違ったシグナルを送ったような気もします。「解除=不要不急の外出OKだと理解し、人出が増える」のは誰でも予測できたことだと思います。「事件は会議室で起きている」と考えている人なら、そう思わないかもしれませんが。


(2020.5.16)

@ パラレルワールド。


@ 若いころ通勤途中にある音楽喫茶のコーヒーチケットを買ったことがあります。2月に一度ぐらい帰り道に寄っていましたら、ある日、チケットが無くなっていたのです。

驚いて店員に尋ねると、「チケットの有効期間は一年ですから廃棄しました」との返事。そんな有効期間、初めて聞きました。まだ何枚も残っていたはずなのに…。

時は流れて新型コロナの今、そのあおりを受けてか、ある喫茶店が休業になりました。数か月前にチケットを買ったばかりで、まだ何枚も残っていたのに。

お店の張り紙では、隣町の本店ならチケットが使えるとか。しかし、コーヒーチケットというものは、頻繁に通えるお店だから買う物だと思います。マイカーもないのに、「隣町で使え」と言われても…。

商習慣は知りませんが、使えるだけでなく返金にも応じてほしいと思います。苦しいお店を応援することとは分けて考えたいと思います。


@ 「一流の人物と話をしてみたい」と思うのは、古今東西、一流の人物に共通した気持ちのようです。

しかし、「一流の人物が作った製品を使うことも、一流の思想に触れることになる」のです。

と、大上段に構えてみましたが、オーディオの話です。

一流エンジニア渾身の作である、JBL、エレクトロボイス、タンノイ等のスピーカーを聴けば、その音にも、彼らの思想が見えるというお話です。時にそれには何十年もの格闘が必要です。


(2020.5.14)

@ すでに提出済みの申請書(申告書)を「書き間違えた」として役所に連絡を入れても、役所は(まだファイリングしていない)膨大な書類の中から、その一枚を探すことは困難なので、「訂正分を出してほしい」と言うのが普通でしょう。

(軽微な事項の場合)担当者の責任で職権訂正することが出来たとしても、担当者は電話を受けて職権訂正する旨の書類を一枚書いて残しておく必要があり、結局、「担当者が申請書を代書する」のに近い事務量になるのです。そして、ほとんどの場合、その数は一件では済まないはずなので、担当者は警戒するわけです。

追記
 
もう少し詳しくお話します。

①電算入力前の申請書なら、そこに電話で訂正依頼があった旨記して、訂正しておけば良いのです。簡単であり、電話をかけた方はそれを期待しているのだと思います。しかし、前述したようにファイリングがすんでいない膨大な書類の中から目的の一枚を探すのは困難であり非効率です。

②電算入力後のデータを訂正する場合には、申請書の再提出分を入力するか、担当者が職権訂正書を書いて入力するかになります。データを訂正するわけですから、「後日問題にならないように、誰が見ても分かるように、経過を残しておく必要」があります。この恐れからも「職権より訂正分の提出依頼が良い」のです。

追記2

例えば、市・県民税を課税するための電算プログラムは複雑で、普通の職員にとってはまるでブラックボックスです。

そこにマニュアルに従っての入力、あるいはコンピュータが吐き出す各種リストの処理を何度も繰り返し、半年近く格闘すると、最終的に正しい納税通知書が印刷されるのです。ブラックボックスのイメージが薄らぐのは2~3回(2~3年)繰り返し、体感上納得できてからです。しかし全体像がつかめてくると、「その修正は今じゃなくて、1か月先のあの時期にするのがベター」などと、分かってくるようになります。
 
( もちろん職員は「全行程アナログ手作業で、申告受付から、課税台帳作成、住民票との突合、税額計算、納税通知書作成」まで行えます。

しかし、「A.I.が出した社会問題の答えに、途中経過がわからぬ人間が不信感を抱く」のにも似て、あるいは「巧妙に何重にも伏線(各種入力)が張りめぐらされた映画のよう」でもあるため、「ブラックボックスの中で正確に課税事務が行われているのか否か」は、プログラム作成者ではない職員にとっては、すぐには信用できないわけです。 )

その巨大なデータの流れ、それはイメージとして電車のようにも感じられます。電車は時間厳守で規則通りに動きます。遅れてきた人がいても待ってはくれません。「次の電車にお乗りください」と言われます。それと同じで、データの訂正は「訂正分を書いて次の電車に載せてください」とお願いするのが自然な流れなのです。


@ そうならば、映画「レ・ミゼラブル」と映画「日の名残り」は、ある意味、対照的な世界観を描いていたのかもしれませんね。

主人公の生き方、〇×で極言するならば、映画「レ・ミゼラブル」が〇、映画「日の名残り」が×です。


@ 民間にオンライン申請する場合、民間には突合すべき住民登録データがありません。申請情報が顧客名簿のデータになるのでしょう。

しかし、役所にオンライン申請する場合には、役所には住民登録データがありますから、突合作業が必要で、これは市・県民税の申告でも同じです。

一般に、個人を特定するには「住所・氏名・生年月日」が完全一致する必要があります。これは印鑑証明書の申請用紙の記入事項と同じはずです。完全一致しない場合は原則として別人扱いになります。当然に印鑑証明書も発行されませんので、「お使い」で役所に行き、辛い経験をさえた方もいらっしゃると思います。

しかし、世の中には、住所が1番地違う、氏名が誤字・俗字のようだ、生年月日が1日違う、みたいな申請書が意外に多いのです。

その多くはコンピュータでは審査不可ですので、人間が判定することになります。

つまり、①リアルタイムで人間が全件審査するのか、②後日まとめてコンピュータが不一致リストを吐き出してから、それのみ人間が審査して再入力するかが必要になります。

①は処理が遅いでしょうが、②も何日も遅れます。私の知る限り税務事務などは②です。

追記

「住民登録データと完全一致しない申請はエラーとして受け付けない」プログラムも考えられるでしょうが、それは、たくさん電話がかかってくるクレームになりかねませんから、安易にはできないのでしょう。

追記2

例えば恒久的な税務用の電算システムなら、お金と時間をかけて完成度の高いものを設計することが出来ます。その分マニュアルも複雑になりますが。

でも、例えば(使い捨てだとは言いませんが、恒久的ではなさそうな)緊急の電算システムなどは、やはりバラックと言いますか、基本部分だけのシステムになるのでしょうね。


@ [ 1人で15回の例も…10万円オンライン申請、不安で何度も手続き? 

… 中略 … 

同じ人物から重ねて申請された場合、自治体は「どの申請が正しいのか」を確かめなければならない。本人確認を含めて申請者と直接やりとりしなければならないが、「電話だと『詐欺ではないか』と不審がられるため、書面で問い合わせせざるを得ない」(伊丹市)といい、多くの自治体が確認文書を郵送する方針。

… 後略 … ]

給与支払報告書や申告書も複数枚提出があることがあります。訂正分であるならば目立つように「訂正分」と書いておかないと、機械的に合算され、税額が二倍になることすらあります。ほとんどはチェックされて照会になりますが。


@ 『 営業する店に「バカ」と張り紙…「自粛警察」の暴走、罪に問われる可能性も 』

( 2020/5/14(木) 8:35配信 「弁護士ドットコム」 )

自粛警察な人は、本物の警察官や役人になればよいのです。そうすればOFFタイムに仕事などする気になりませんから。


@ 『 > 収容所のドイツ兵リーダーは、壁に皇帝のパネルを飾り、皇帝を心の支えとして生きていました。ですから皇帝がオランダへ亡命したと知った時、彼は失意のあまり自殺を図ります。

> 他のドイツ兵達はリーダーを心の支えとしていましたが、自殺を図ったと知るや、魂の抜け殻の様になってしまいました。


当時のドイツ皇帝と言えば、日本の天皇陛下のような存在ではないでしょうか。そのお方が不意に他国へ亡命してしまったら、残された国民の失意はどれほど大きいものか。家庭で言えば子どもを残したまま両親が家出してしまうようなものでしょう。映画「誰も知らない」みたいに。ドイツの皇帝制度が終わってしまったのも分かろうというものです。

それに比べると、日本の天皇制が長く続いているのは世界に誇るべきことだと改めて思いますし、「玉音放送」や、映画「終戦のエンペラー」、映画「太陽」で描かれている、終戦当時の凛とした昭和天皇のお姿と、国民を思うお言葉が、あらためて有難く思えるのです。 』

( 映画「バルトの楽園〈がくえん〉追記Ⅲ 2017/7/6 9:19byさくらんぼ より )


(2020.5.13)

@ 「 なぜ天皇はコロナ禍にビデオメッセージを発しないのか、皇室記者の考え 」

( 2020/5/13(水) 7:40配信 「現代ビジネス」 )

安倍首相が緊急事態宣言の延長の記者会見をされたとき、(失礼でしたらお許しください)私はふと「首相は天皇陛下の分も演じておられる」と感じました。

後になって考えると、それは誤解だったのでしょう。安倍首相の雰囲気は個性であり、天皇陛下を演じたものではないはずです。しかし、その個性ゆえに、少し救われた感がありました。私も心の隅で天皇陛下のお言葉を待っていましたから。

追記

新型コロナウイルスとの戦いは、どうやら年単位になりそうです。それでも完全に撲滅することは出来ず、ワクチンや治療薬とともに、人類はウイルスと共存していかなければならない可能性すら出てきました。

平成のように、天皇皇后両陛下が日本中を旅され、国民とふれあうという行事が出来るのは、感染リスクを考えると何年先からになるのでしょう。しかし両陛下の安全のため、寂しくてもそれは致し方ないことだと国民は承知していると思います。

だからこそ、感染者のグラフが日増しに伸びていった、不安感極まりない緊急事態宣言下が、ビデオでのお言葉にふさわしいタイミングだったと思うのです。


@ 先日「BOSE101MM」スピーカー等の話をしました。その続きです。

「BOSE101MM」の内部にはスピーカーだけでなく音質補正用の部品も入っており、その一つが「電球」のようなものです。

大音量(大電力)が入ると、電球のフィラメントが過熱され、加熱されると電気抵抗が増え、結果、音量が下がる。つまりスピーカーの破損防止目的のようなのです。ライブ会場で使うPAスピーカーならではの保護回路でもあるわけです。

①ところが、結果的にそれは音量のピークを抑えるリミッターの役目もするようで、自動的に音量の平均化が行われ(ダイナミックレンジを小さくする)、小さな音も聞き取りやすくなり、音に厚みが感じられるというメリットが生まれるのです。

②もしPAではなく家庭用のスピーカーで、夜間など小音量でクラシックのシンフォニーを聴こうとすると、ピアニシモが聴こえない。ピアニシモが聴こえるように音量を上げると、今度はフォルティシモが煩い。そんな状態になりやすいです。

でも、PAスピーカーと交換するだけで、音量が平均化され、聴きやすくなる(可能性)があるのです。

少なくともわが家で、PAの「エレクトロボイス S40B」と、家庭用の「JBL STAGE A120」を比較試聴したところ、(電球の有無は確認していませんが)「エレクトロボイス S40B」の方に①の傾向が見られました。それに対して、「JBL STAGE A120」には②の傾向がみられたのです。

このように、PAと家庭用を小音量再生の視点から見たレビューはあまり読みませんのでお知らせしておきます。

オーディオの常識では、「ダイナミックレンジは大きい方がハイファイである」とされています。ライブがそうだからでしょう。でも、「小さな音で音楽を聴くという環境」は、それ自体ライブとはかけ離れていますから、そこに常識を持ち込んでも無理があるわけです。


(2020.5.12)

@ 昨年でしたか、「女性はいらない」との病院の声を忖度して、入学試験で女性に不利になるように操作した大学がありました。

あれも今思えば、広義の「医療崩壊」を防ぐ為の、病院と大学の苦渋の決断だったのだと思います。

今回の「PCR検査・抑制問題」と同じだとは申しませんが、連想させる材料はありました。


(2020.5.11)

@ 「 コロナ治療、人工呼吸器の使用控える動き 」

( 2020/5/11(月) 14:32配信 「ウォール・ストリート・ジャーナル日本版」 )


@ 『 ロックダウンは無駄だった? 「外出禁止は感染拡大の抑制と相関がない」研究結果 』

( 2020/5/8(金) 18:27配信 「ニューズウィーク日本版」)


@ 『 「37.5度以上」削除 PCR相談目安改定 幅広い受診促す 』

〔 2020/5/8 21:43 (2020/5/8 22:27更新)日本経済新聞 〕

今日のお昼のワイドショーの話です。

「37.5度以上」問題、厚生労働大臣が「厚労省は当初から目安だと説明していた」という趣旨の弁明をしたので、コメンテイターは、「目安という表現を使っても基準だと思われてしまうから問題だ」という趣旨の反論をしていました。

この経過について、私には少々違った思いがあります。

役人というものは法律で仕事をしていますから、条文・マニュアル等については一言一句読み取ろうとします。

例えば税金の滞納者について、一定の条件がそろえば、「差し押さえできる」のか、「差し押さえしなければならない」のか、それによって仕事の進行が違ってくるわけです。

同様に、目安なのか厳格な基準なのか、それを見落とすなど、ましてや組織で動いているのに、ありえないと言っても良いでしょう。

その時の文書がTVに映りましたが、最上部のタイトルに大きな文字で「目安」と書かれていましたから、全文を読まなくとも「目安」だと、普通の役人なら一瞬で理解するわけです。

では、なぜ、「目安」が「厳格な基準」と解釈されてしまったのか。

それは医療崩壊防止のための方策だという厚労省の裏事情まで理解していたからでしょう。そして、同士でもある病院の悲鳴が聞こえてきたからでしょう。その中間に挟まれ、それらを忖度し、あえて「お国のために鬼になった」のだと想像します。さらに、自分たちの仕事量がぎりぎりであったことも、それを裏打ちしていたのだと思います。


(2020.5.10)

@ 半世紀以上前から、プリメインアンプの裏には何十個もの端子がありまして、「IN」「OUT」のオンパレードです。

でも、一つ置きに利用するのが使いやすいです。使わない端子には専用キャップをはめてホコリが付かないようにするのがオーディオマニアのたしなみです。


@ 「 Life was like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get. 」

( 映画「フォレスト・ガンプ」より )


@ ふと思ったのですが、オリンピックの入場券。

ソーシャルディスタンスで座席を一つおきにすると、定員が半分になるのでは。

切符の抽選はどうなるのでしょう。中止になるならどうでも良い話かもしれませんが。


@ 「10万円返上せよ」とか、「給与を返上せよ」とか、「ボーナス返上せよ」とか、そんなご意見と自粛警察の違いが、コロナ疲れのせいか、よく分からなくなってきました。


(2020.5.9)

@ 安倍さんと同じぐらいの65歳の人が、「平均寿命まであと15年か…」と若者を羨ましいと思っているのに、15歳の若者が、平均寿命まであと65年も残っている若者が、人生に絶望して自殺するのは、どう考えても若気の至りだと思います。

特に、新型コロナな昨今、多くの人が病気で命を落とし、多くの人が病気と闘っているのに。


@ 公務員のテレワークはなぜ進まないのか。それは(昔から揶揄されているように)「遅れず、休まず、働かず」と言って、出勤すること自体が仕事だからだ。

そんな(本気で「時代遅れ」と言いたい)冗談はともかく、公務員のテレワークなど考えたこともありませんでした。

しかし新型コロナな昨今、3密解消のためにはテレワークも有効なので、少し考えてみました。そして、ネット上での意見も参考に拝見すると、やはり公務員の多くが否定的な見解を述べており、内容も頷けるものがほとんどでした。

代表的な否定理由を3つあげると、

①公務員の仕事は住民情報などプライバシーの塊なので、役所外持ち出し禁止。

②自宅では専用回線ではなくインターネットで送受信することになると思われるので、ウイルス感染などで、さらに情報漏洩の心配が大きなる。

③ 申請書(申告書)などが紙ベース中心なので、紙の書類が無いと仕事にならない場合が多い。画像として取り込むこともあるが、小さなPC画面では複数の書類を同時に見て判断することが困難なので、現場では画像を印刷して使うことすらある。

もちろん①②③以外の仕事もありますから、そちらは比較的早くテレワーク化できるしょうが。全体から見れば少ないのかもしれません。

将来的には、規則の改正や、事務改善などで、①②③も自宅で出来るようになるのかもしれませんが。

追記

他にも、法律で仕事をしている公務員には、公式事務マニュアル(法令編と電算操作編)と自分で作る先例集、六法全書など法令集とその解説書などの参考書が必要で、役所にはおいてありますが、テレワークとなると自宅にも必要になるわけです。それらがオンラインで見られるようになると良いです。

でも、自分で作る先例集には実際の申請書等のコピーが使われている場合が多いので(珍しい事例は保管しておくので)、自宅持ち込みは出来ません。

追記2

市・県民税係は、例えば10月~11月にかけて所得調査をします。3月15日の申告期限以降、不申告者等、問題のある人に対して、書類を送ったり、電話をかけたりしていますが、それでも解決しなかった人に対して、まとめて秋に調査するわけです。

係員がいっせいに外出してはいけませんので、窓口担当、昼休み窓口担当、電話番を残し、交代で外に出るのです。外に出られるの人数は毎日1/3ぐらいでしょうか。もちろん自分の仕事が回るなら、中にいても構いません。そこは自由です。

テレワークを思うとき所得調査が頭に浮かびます。あのような形で(持ち帰り可能な仕事を)テレワーク可能なら、異を唱える職員は少ないと思います。

週に2日程度、通勤ラッシュも、窓口対応も、電話番もなく、好きな音楽でもかけながら、自宅で静かに仕事ができるなら、それは良いものかもしれませんから(お客さんの多いシーズンはテレワークが出来ないかもしれませんが)。

役所が完全週休二日制なった時、いきなり完全週休二日ではなく、土曜日に交代で休むところから始まりました。

同様にテレワークも、いきなり通年ではなく、「この週なら出来る。この仕事なら出来る」などと細かく仕事内容を分類し、大規模な法改正・システム改修をしなくとも可能なものから、まずはスタートしていけば良いと思います。

追記3

3月15日期限の申告書で6月の第1期までに賦課事務を行います。6月に発送すると質問が殺到します。それが落ち着くと不申告者などに書類や電話で照会します。

夏の間は緊急の用事がない限り外出調査には適さないシーズンであることは言うまでもありません。それに、お盆休みの無い役所はパラパラと交代で夏休みをとるので、なおさらです。

冬の12月になると年末調整説明会や新年度税制改正の勉強など、新年度課税の準備に入り、1月になると給与支払報告書が提出され、残業だらけの申告シーズンに突入します。

ですから、秋の10~11月に調査というのは、心地よいシーズンだという理由だけではなく、事務の流れとしても自然なのです。


@ 今朝のNHKラジオ「いきもの いろいろ」で、「ハダカデバネズミ」という驚異の動物を紹介していました。

雄ネズミの寿命は3年ぐらいですが、女王ネズミは30年ぐらい生きるのです。なぜそんなに長寿かと言うと、病気になると修復遺伝子を出して直すからだそうです。ガンになるとガンの修復遺伝子が出るのです。その遺伝子が尽きると寿命になります。

この説明を聞いてびっくりしました。

気功の本で私が学んだ「元気」と「外気」の概念に似ているからです。

人にはそれぞれ持って生まれた「元気」という「気」があり、それが尽きた時が寿命だという考え方です。そして、気功で「外気」を取り入れると、「元気」の消耗を延ばすことが出来ると言います。


(2020.5.8)

@ 色に補色があるなら、味にも補色があるのでしょうか。

コーヒーブラウンの補色はグリーンに近いようです。

グリーンのコーヒーカップで飲むコーヒーの味は、ホワイトカップで飲むコーヒーとは違うのではないでしょうか。

薄茶色のビールを飲むときに、グリーンボトルのハイネケンをラッパ飲みすると、美味しいように。


@ アーチェリーの的は、日本では幅約90cmの古畳に貼ります。

土日などの混雑している時には、畳一枚に一人が練習しています。

しかし、ソーシャルディスタンスを取るなら、畳2枚に一人にしなければならず、射場の定員が半分になり、一度に20人練習できる射場では、たぶん10人になるわけです。

もともとマイナーなスポーツですから射場の数は少なく、面積を取るので都会では建設しにくいのに、定員が半分になると、時間交代制になりかねず、練習量が減ってしまいます。


@ 「 助けた人は陽性かも…ある青年を襲った感染の脅威 」

( 2020/5/7(木) 10:44配信 「西日本新聞」 )

数か月前のこと、散歩していたらジョギング中の人が転んだのです。

近くだったからほかっておくわけにもいかず、「大丈夫ですか」と声をかけたら「大丈夫です!」と返事が来ました。

ところが、その返事に込められた気合が「近づくな!」に聞こえたのです。「お心遣いすみません…」ではなく。

ずっと、その違和感が胸に刺さっておりましたが、最近の新型コロナ事情を考えると、翻訳できそうな気がしました。感染の心配まで考えると、近づいても、近づかれても問題かもしれないのです。

私は、ジョギング転倒によらず、病気で公園で倒れている人や、血を流すケガ人に遭遇したことがありますが、新型コロナ時代には、かけ寄って介抱したら、さらには助けを求めて人を集めたら、感染リスクがあるわけです。

放置して救急車を呼べばよいかもしれませんが、到着までの間、手当てによって生死が分かれることがあるかもしれません。しかし、放置せざるを得ない世の中になるのでしょうか。

迷子の子供を見つけても、話しかけたり、手を引いて交番へ連れて行ってはいけない。子どもは放置して110番し、警察官に来てもらわないと誘拐犯にされる可能性があるのと同じように。


(2020.5.7)

@ 欧米では「第2波が心配だ」と言っていますが、日本でもその流れか「第2波に注意せよ」という人がいます。

しかし、先日の「緊急事態宣言延長」の記者会見で、安倍さんは「中国から直接入ってきたのが第1波、欧米経由で入ってきたのが第2波で、われわれ両方とも制圧しつつある」みたいな話をしていました。

日本の次の脅威は(多分これから冬になる南半球からやってくる)第3波なのです。

呼び方は統一しておいた方が良いと思います。


(2020.5.6)

@ (今はどうか知りませんが)私の知る限り、役所あったのは大型コピー機にファックス機能が付いているものでした。それが課に一台。トレンディドラマなどでよくヒロインが操作しているものに似ています。家庭用の小型製品ではありません。

電話番号はメモリー済みですから、職員はワンタッチ・コピーの感覚でファックスをします。だから古いという感覚はありません。最新型コピー機の感覚です。

電子メールはインターネットに繋ぐことになりますから、ウイルスや情報漏洩の心配があるのでしょう、昔から役所は接続に消極的です。ですから同一市町村の役所間は専用回線で結びます。それ以外は電話かファックスになります。インターネット環境のあるPCでも、原則としてインターネットへの接続は禁止されていたと思います。可能なのは天気予報とニュースぐらいでしょうか。


@ 『 【写真特集】都市封鎖下の生活を支える不可欠な存在 「第二線」で働く人々  』

( 2020年5月5日 11:53「AFPBB News」 )


@ 映画「刑事物語」をしていたころの武田鉄矢さんと、武田梨奈さんの空手対決を見たかったです。

いや、今でも良いかもしれません。

鉄矢さんが師で、梨奈さんがお弟子さんという設定はどうでしょうか。映画「刑事物語」の主人公・(刑事)片山元、その二代目は女性であっても良いと思います。


ちなみに、こちらは空手の武田梨奈さんと、アーチェリーのパク・スンヒョンさん。

「 Rina Takeda, Action training of the movie "KG KARATE GIRL" 」

https://twitter.com/TakedaRina

「 Park Sung Hyun 」

https://www.youtube.com/watch?v=rIeBGcaETYw


@ NHK朝のラジオ「にっぽんの歌こころの歌」に出てくる森下絵理香アナウンサーが、良い意味で素人っぽく心地よいです。

「ラジオ深夜便」からの昔の歌がかかるのですが、その歌と同じぐらい、語り口が魅力的。


@ 「 感染者495人分の氏名などを誤って掲載 愛知県のHP 」

( 2020年5月5日 15時23分「朝日新聞デジタル」 )

自治体が広報紙(誌)などに情報を載せる場合、担当職員(新人の場合もあります)が書いた原稿を、上司の決裁をとってから印刷に回します。この際、上司から修正を求められることもあるわけです。

今はどうか知りませんが、昔はこんなこともありました。

税務署が広報紙に載せてほしいと原稿を自治体へ持ってきました。当然、税務署内で担当者と上司の決裁が済んでいるはずです。

自治体ではその原稿を税務課の新人担当者が推敲し、上司がまた修正し、新人担当者が清書して、初めて自治体広報紙の原稿となったのです(その後、広報担当課でも、再度、担当者と上司の決裁があったはずです)。

結果、税務署内の担当者が最初に書いたものとは、違うものになっていたはずです。100字程度の毎年の恒例行事のご案内なのに、手間をかけすぎの感がしますが、基本的に役所仕事というものはそれぐらい慎重なものです。

しかし、デジタル時代の昨今、WEBへの書き込みから送信ボタンを押すまで、おそらく新人担当者に任せきりなのでしょう。上司は「これを載せといて」と決済済み原稿を渡して終わりなのかもしれません。でも「送信ボタンは、最後に上司が電子決済として押す」ぐらいの慎重さがあっても良いと思うのです。一般職員と上司とではアクセス権限が違いますから。

忙しいのは分かっていますが、送信後のWEBを閲覧しての最終チェックを、本人すらしなかったというのは、気のゆるみがあったと言われても仕方がありません。

追記

私の個人情報が流失したことが過去に3回ぐらいあります。1回はプライバシー保護の概念に乏しい知人から、後2回は民間組織からです。自覚のなかった知人には注意しました。民間組織からはそれぞれ詫び状が届きました。幸いどちらも実害はないように思いますが、決して気持ちの良いものではありません。


@ 裕木奈江さんの「 布マスク干し子with海のお友達 」。

初めて見ましたが、おもしろすぎるので、ご紹介します。

もし私が商売をしていたら、客寄せディスプレイに店頭で流したいぐらい。

https://aidn.jp/wowa/86410250


(2020.5.5)

@ かつて日本は第二次世界大戦の加害者として断罪されましたが、こんどは中国が、第三次世界大戦の加害者として、世界から断罪されるのでしょうか。


@ 『 コロナでわかった、やっぱり日本は公務員を「減らしすぎ」だ 』

( 2020/5/5(火) 7:01配信 「現代ビジネス」 )


@ 「競売」を、役所では「けいばい」と読むことが、民間では「きょうばい」と読むことが多いようです。さらに、読み方で意味まで違ってくるようです。


@ めんどうな引っ越しが終わった開放感もあって、昨年末から今年の2月後半まで、私は遊びほけていました。

①週に2~3回映画館へ、その他の日は街を散策してランチを楽しんでいたのです。それ以前の数か月は引っ越し準備で毎日で出歩いていましたから、体力的には似たような負荷です。

ところで、新型コロナの自粛要請。

(延長になりましたが)仮に5月7日に全面解除となった場合、私は即①の生活に戻るでしょうか。

新型コロナは終息しておらず、ワクチンや治療薬の準備も出来ていない現在、おじさんの私が即①の生活に戻ることはリスクが大きいと思います。

まずは、週一回ぐらいのランチ街散策から始め、やがて週一回ぐらいの映画館通いを追加して…(逆かも)

当面、後の5日間は近所の散歩(ときおり喫茶店)程度で、しばらくは様子見をする自発的(半)自粛生活になるでしょう。いかに「自由にしてOK!」と政府から言われようと、新型コロナに感染してしまえば大変ですから、現時点で昔みたいに遊びほけることは出来ません。

では、「経済を回すために若者を中心に自粛解除され、無職の老人は自粛継続」という政策が仮に行われたとしたらどうなるでしょう。

無職の老人が賑わいの戻った街を見て(ワイドショーなどでも喜びが報道されるはずですし)、いつまでもじっとしていられるでしょうか。元気なら、しばらくすれば、恐る恐るでも街へ出始めるはずです。「私、仕事があるんで…」という顔をして。

つまり、「自粛の全面解除」と「老人だけ自粛」というプランは、どちらを選択しても、実際には老人にそんなに大きな違いはないのではないのかと、ぼんやり思うのですが。

( もちろん「老人だけ自粛」には不快感が伴うと思います。だから避けた方が賢明だと思いますが。 )

追記

以前、外勤のことを話したので、内勤のことを話します。

私の会社にも窓口がありました。やはり一番担当したのは若かった頃です。毎日300人前後のお客さんが押し寄せ、3人体制で対応していました。

特に冬場は咳をするお客さんが多く、「頭上から唾のシャワーを浴びつつ受付をしている」も同然でした。あの頃も布製のマスクはありましたが、今のようなマスク習慣はなく、誰もしません。

それでも、ほとんど風邪はひきませんでした。「繁忙期は休めない」という「気合」も免疫力に貢献していたと思っています。子どもの頃を除けば、風邪をひきやすくなったと感じたのは、やはり還暦を迎えた頃からです。

「『遊びほける』など、けしからん奴だ!」というご意見もあるかもしれません。でも、むかしは新型コロナこそありませんでしたが、雨の日も風の日も、往復二時間かけて出勤し、うち一時間はラッシュの地下鉄でした。さらにシャワーを浴び続けた経験もありますから、仕事を卒業させてもらってもバチは当たらないと思っています。


(2020.5.4)

@ 新型コロナで、どこかの国では「集中治療室に入るのに年齢制限を設けている」と聞きます。つまり、一定年齢以上の高齢者は延命の可能性が低いので入れないのです。

日本で同様の制度が生れる可能性は大変低いと思います。ご承知の通り、為政者も国民も私権の制限を著しく嫌う日本です。その最たるものの一つである年齢制限は為政者の視野に入っていないと思います。又、100歳の人にでも若い子孫がいるかもしれませんので、選挙で不利になることも考えるでしょう。

しかし、医療現場での選別は起こりえます。人工呼吸器が一つしかないのに、重篤患者が二人いれば、医師は嫌でもどちらかを選択しなければなりません。

その場で「総合的に判断」してトリアージを行うのはしかたないでしょう。ケガ人も病人も同じだと思います。しかし、その過程は外部からはよく見えません。グレーゾーンだと言われればそうかもしれませんが、バイトでも出来そうな「機械的判断」よりも、「総合的に判断」の方が本人や遺族は救われるのだと思います。もちろん医療従事者の方には大変なご負担をおかけしますが。

そして恐れるべきは、「このままでは桁違いの死者が出る」などと、政治家や官僚に間違ったバイアスをかける学者の存在かもしれません。そのバイアスのために為政者が過ちを犯す可能性が否定できないからです。


@ 「 東芝、工場に週休3日制導入へ…出勤者減で感染リスク抑制  」

( 2020/05/04 13:39 「読売新聞オンライン」 )

私は「プレミアムフライデー」(月末が忙しい会社は他の週にすればよい。)

→ 「金曜半ドン」(3時に帰るぐらいなら半ドンを目指せばよい。)

→ 「月1回の週休3日制」(往復2時間かけて3時間の仕事をするぐらいなら休日にすればよい。)

のシナリオを望んでいましたが、新型コロナが途中を飛ばしてしまうのでしょうか。


(2020.6.6)

@ 定年退職後に犬を飼いたくなっても、毎日散歩に連れて行かなくてはいけないので、平均寿命というか、健康寿命を考えると、軽々しくは飼えないのです。

そんなわけで、犬が飼えない私の知人は、毎日の散歩で出会う他人様のワンちゃんと仲良くしているのだそうです。

そうすると、犬にも人の好みがあるらしく、半分ぐらいは素直に喜んでくれるけれど、あとの半分には警戒されるのだとか。

私も散歩で知り合った方のワンちゃんをナデナデしたことがありますが、驚きました。

私はもの心ついた時から30代まで犬と生活しました。だから犬の感触は良く知っていますが、他人様の犬は硬直していたのです。

「あっ、ナデさせてくれても、まだ警戒しているのだな」と思いました。

犬の気持ちも、いろいろ難しいようです。


@『「新しい生活様式」が招く文化・人間破壊 和田秀樹氏が警鐘を鳴らす 』

( 2020/6/6(土) 5:58配信 「デイリー新潮」 )


(2020.6.5)

@ 新型コロナがひと息つき、ほとんど自粛が解除された今、(仕事の改革はともかく)趣味の世界では回帰したいと思うはずです。

月に一度、友人と喫茶するのが楽しみだった人はそれを、

月に2~3回、会社帰りに居酒屋へ寄るのが生きがいだった人はそれを、

週に1~2回、映画館へ行くのが散歩コースだった人はそれを、

月に1~2回、夜の街へ行くのが好きだった人はそれを、

それぞれ、大なり小なり新型コロナに感染するリスクが増えるのでしょうが、「回帰して初めて自粛が終わったと思う」ので、どうしても、そこへ行きたくなるのです。

行ってから、「(…空虚だな)そろそろ潮時かな…」と卒業を決断する可能性もありますが、とりあえずは回帰しないではいられないのです。


(2020.6.4)

@ 「 耳に刺さった矢、助けを求める家人 ボーガンで家族襲う突然の事件に住宅街騒然 」

( 2020/6/4(木) 14:50配信 神戸新聞NEXT )

この事件で使われたのはボーガンという事ですので、ときどき「矢ガモ」事件でも使われるものです。

アーチェリーの弓(リカーブやコンパウンドなど)や和弓とは違いますので誤解の無いようにお願いします。弓ではありませんが、過去には合法アマチュア無線と不法CB無線が混同され、合法アマチュア無線家が白い目で見られた例もありますから念を押しておきます。

記事に「アーチェリーなどのように安全が確保された場所で使うのが一般的という。」と書かれていますが、私が知る限り、ボーガンはアーチェリーや和弓の射場では練習させてもらえません。門前払いになります。

追記

改めて読んでみると、「アーチェリーなどのように安全が確保された場所で使うのが一般的という。」は、「安全が確保された場所で使うのが一般的という。」という意味であり、「アーチェリー場で使える。」と書いたつもりは無いのでしょう。これは読解力の問題なのかもしれません。

ちなみに、伝統的に「貴族のたしなみ」と言っても良いし、「オリンピックスポーツ」であるアーチェリーや、「誇るべき日本文化」である弓道と違い、日本でのボーガンの必要性を私は知りません。

しかし、殺傷能力のある道具としては、野球のバットや包丁などの方が、どこにでもあり、だれでも説明なしに使えるので危険です。ボーガンなどという小難しく回りくどい方法をとる必要はなかったわけです。

追記2

ボーガンがアーチェリーや和弓の射場では練習させてもらえないのは、「弓矢が違うと的台が痛む」ことの他に、剣道場でカンフーの練習を、柔道場でレスリングの練習をさせてもらえない(たぶん)のと同じ理由なのでしょう。


@ 映画館のイスの話です。

その昔、入れ替え制ではなかった頃、映画で立ち見は当たり前でした。それも、ラッシュの満員電車のような状態で2時間観るわけです。

やがて定員入れ替え制になり、座席指定になりました。立ち見は無くなったのです。

そのせいかどうかは知りませんが、映画館の周囲に在った廊下が一部つぶされ、座席になったことろもあります。切れ目なく連続する座席も出てきました。一言で言えば「ぎっしり座席になった」のです。

「立ち見が無くなったから損しないために座席数を増やした」。もし、映画館からそんな説明があれば納得せざるを得ないわけですが、あの「ぎっしり座席」は苦手です。

それが、新型コロナの昨今、ソーシャルディスタンスで周囲を空ける座り方になりました。あれは、物から人間への回帰みたいで、良いことだと思います。映画館側にとっては減収で頭が痛いかもしれませんが。


@ 映画館へ行く数日前には、2か月ぶりに床屋へ行って来ました(どなたかも心配されていましたので)。

10分カットのお店に行きましたが、理容師さんは、1時間以上休憩なしでカットを続けた後(当然、私も、ソーシャルディスタンスで立って待っていました)、非情にもランチタイムに食い込んだ状態で私を受け持って下さいました。

しかし、まるで朝一番のお客さんを迎えるように細やかな気配りで応対して下さったのです。

私の常識では、疲労と空腹で神経が苛立っていてもおかしくないのに、そんなところはみじんも感じさせませんでした。

これは理容師さんのプロ根性の賜物でしょう。

でも、あえてもう一つ申し上げるなら、新型コロナで客足が途絶え、廃業に追い込まれる業種もある中、「忙しい悲鳴」、「働ける喜び」という贅沢を味わっておられたのかもしれないと思ったのです。


(2020.6.3)

@ オリジナル版のTV「東京ラブストーリー」は夏目漱石の「坊つちゃん」だと、以前妄想したことがありましたが、どこに書いたか、すぐには探せません。もう消したかも。

追記

大雑把な記憶では、夏目漱石の「坊つちゃん」の主人公・坊つちゃんの舞台と、「東京ラブストーリー」の永尾 完治の出身は四国です。

「東京ラブストーリー」では坊つちゃんの人格を二分し、永尾 完治と赤名リカとして登場させたのではないでしょうか。

これは遠くからやってきた主人公二人が、四国ではなく東京で混乱しながらも生活し、やがて去っていく物語なのでしょう。


(2020.6.1)

@ 市・県民税の特別徴収(給与天引き)の話です。

これは、前年1~12月までの所得にかかる市・県民税を12等分し、今年の6月~来年5月までかかって、給与から天引きするものです。

会社から提出された給与支払報告書などから、役所で税額明細を作り、会社へ送ります。

会社では明細通りの税額を各人の給与から徴収し、全員分まとめて振り込んでもらいます。

しかし、明細があるのに毎月の税額が一致しないことが多々あります。

例えば3,400円少なく振り込まれたとします。

会社の従業員が10名で明細に3,400円の者がいれば、その人の分が関係していると推測できます。多分退職して連絡のタイムラグがあるのでしょう。

しかし、従業員が100名以上にもなると推測は容易ではありません(大企業になると500人、1000人というところもあります)。

例えば、そんな大きな会社で、14,700円減額になる人と、11,300円増額になる人の二人が関係し、3,400円減額になっている場合もあります。

誤還付したら、面倒なことになります。

税額変更、就・退職によって、このようなパズルが意図せずに起こるのです。

解明するには、会社の経理担当者と役所の納税担当者が会議室に集まり、共同で書類をめくりながら考える必要があります。

しかし、現実問題としてそんな手間はかけられません。ですから、作業のほぼすべては電話で行われるのです。

税務・納税の知識だけでなく、推理力、(こんがらかった話でも)電話で要領よく伝え、聴きとるスキル(と言うほどのものでもありませんが)も必要になります。「私、電話苦手…」などと言ってられません。新卒ですぐにこの仕事が出来る人は尊敬します。

1500万円のご還付とは違う事例ですが、点検・還付という仕事も容易ではないので書きました。


ちなみに、1500万円の件は、記事を読む限り、単純な桁間違いのようですね。端数処理の誤りで「0」を一つ多くしてしまったのでしょう。

「0」を一つ多くして(あるいは少なくして)しまう桁間違いは、ダメージが大きいので、点検でも最優先事項にすべきだと思います。逆に言えば点検量が膨大な場合には、ダメージが少ない事項は省略することも選択肢として考えて良いかもしれませんが、桁違いの点検だけは残す必要があると思います。

『 市のミスで「1500万円」も過大還付、すでに使った場合は「返さなくていい」ってホント? 』

( 2020/5/28(木) 13:43配信 「弁護士ドットコム」 )


@ 私がオーディオに興味を持った少年時代、手の届きそうな安いステレオには高音をカットするトーンコントロールしかありませんでした。しかし、それは穏やかな音が好きな大人向け。

シャリシャリ、ドンドンという刺激的な音を好む少年には、低音と高音が独立して上下できるトーンコントロールが憧れの的だったのです。

そんな時代に現れたのがビクターの「SEA」という高級トーンコントロールのついたステレオです。周波数帯域をいくつにも分割し音量の上下が出来るのです。好みの音色に調整できます。

学校の音楽室にはありましたが。お父さんがオーディオマニアならともかく、少年がオモチャになど、とても買ってもらえる品ではありませんでした。

これは、その「SEA」を胸キュン的に思い出させる製品で、今は、一般に「グラフィックイコライザー」(グライコ)と呼ばれているものです。

さらに、真空管が使ってあるところがミソです。真空管の味わいも付加できるのです。作ったのは日本の超一流オーディオメーカー「ラックスマン」ですから、音色や信頼性は問題ないはずです。

トーンコントロールを使うと、「余分な回路を挟むので、音質劣化がある」という人もいます。趣味の世界ですからその御意見も尊重します。

しかし、CDプレーヤーとメインアンプを直結しても音楽が聴けるのに、大なり小なり音質劣化があるのを承知で、途中に(ものによっては100万円もするような)プリアンプを挟むのがマニアの常識なのは、「音質劣化=個性的な音色の付加」でもあるからです。

真空管を使ったグライコは、「真空管の音色の付加+五つの周波数でのトーンコントロール」を可能にした、マニア心をくすぐる製品なのです。

「 MOOK真空管グラフィックイコライザーを試す 」

https://stereo.jp/?p=4735

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