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弓道から学んだ気づきの習慣

何年経っても上達しなかった弓道、そしていつもDランクだった仕事の評価

「人生の目的は、人が決めるものではなくて自分で気づくもの」

私は一人の師と出会い、師のくれた言葉の深さから人生を豊かにしていく術を知った。

13年前、たまたま目にした町のお知らせチラシの弓道教室。
それまで弓道を観たことも道具に触れた事もない全くの初心者。
大人になってからはじめた弓道だった。

周りの人たちは学生時代に弓道経験がある人ばかり、上達の差は歴然だった。
私は健康に役立つと思い趣味で遊びの弓道を続ける事にした。

ちょうど同じ頃私は食品メーカーの営業の仕事をはじめたばかり。
慣れない仕事と初心者弓道は同時進行して行く。

趣味の弓道を始めて2〜3年経ったある日
道場の机にあった一冊の弓道誌を見つけた。

そこには「全日本弓道選手権大会」
その大会が弓道の最高峰だという。
的に中てることが1番大切な事ではない。
人格を磨く事が弓道の本質 それを表現する大会だと書かれていた。
的に中てる本数を競うのではなく、磨かれた人格の表現が観ている人の心に響くような品格を競うという
日本で唯一の採点制のこの大会。

磨かれた人格の表現とはどういう事なんだろう?
私が知ってる弓道は、的に中てる事が1番大事、大会でも昇段審査でも「まず中てなきゃ!」と教えてもらってきた。

「全日本弓道選手権大会」
私はまだ知らないその世界 弓道の本質
というものを知りたくなってしまった。

入社2年目の私は半期に一度、会社の偉い人や上司と評価面談をする。
AからEの評価で私はいつもDランク。
その度にもう少し頑張って数字上げてください。と言われる。
毎月目標数字を与えられて先輩たちと比較された。この時の私は何のためにこの商品を売るのか全くわかっていなかった。わからないまま商談しても相手に伝わるはずはない。いつもDランクの理由は私の中にあることにまだ気づいていなかった。

仕事も弓道も大苦戦していたそんな時
私は一人の師と出会う。

訪ねて行った道場で、稽古の最初にもらったのはこんな言葉だった。

「あなた どんな気持ちで弓引いてるの?今どんな気持ちで足踏みしたの?」
師からの問い。

私は初めて自分の心と向き合った。

どんな気持ちで?

私は今まで弓を引く事にどんな気持ちも持った事はなかった。正しく弓を引くために必要な動作 射法八節もその最初の動作 足踏みにも
何も思わずただ形だけやる。何の心も寄せていない。
そしてただただ先の事が不安。
そんな気持ちで弓を引いている自分に気がついた。

弓道とは闘う相手のいない武道

故に自分自身の心と静かに向き合う。

的は自分の心を映す鏡
虚栄や不安といった揺らぐ心と対峙し続ける。

周りの環境 周りの人、ましてや道具のせいにはできない
責任も答えもすべては自分の中にある。

師から学んだこと

人生でも弓道でも、大切な場面では素の自分が出る。どんなに取り繕ってその時だけかっこよくやろうとしても、結局いつもどおりの自分が出てしまう。
だから普段の稽古こそが大切なのだということ。

いつもの自分を磨いておけば、晴れの舞台でも
いつもどおりでいい。
いつも以上のことをしようとすれば平常心は崩れる。

そこから私はいつもの日常を大切にする習慣を身につけていった。
それはとても小さなことから始まった。

使ったものは元の場所に戻す。
茶碗やコップを置く時は一呼吸つけてちょっと丁寧に置いてみた。
弓の道具は毎日お手入れしてみた。

当たり前は当たり前じゃないことに気づいてきた。

仕事で商談する前は得意先のお店の人に喜んでるもらえる提案を準備して行くようになった。
商談に向かう社用車には「いつもありがとね」
と言いながら洗車後の拭き上げをしている。

そうしているうちに
「次もあなたからお願いしたい。いつもいい売り場を提案してくれてありがとう」
と先方から言われるようになった。
いつの間にかDランクからAランクに上がっていた。

いつもの稽古の最後の一手

私はこんな気持ちで弓を引いている。
明日もし何かが起こってもう二度と弓を引けなくなったとしてもこの一手(2本の矢)は後悔しない一手にしよう。
そのような覚悟を持って放たれた矢は必ずまっすぐ素直に的を貫通する。

趣味で遊びだった弓道は
情熱と感動を伴う遊びに変わっていった。
目の前のことや目の前の人を大切にするようになった。
そうしたら いつも大切にされているのは自分の方だったことに気づいた。

いつもを磨くと人生はキラめく

弓道がくれたもの 

それは人生をもキラめかせる

気づきの習慣

弓道家 蒼弓ひより

#スポーツがくれたもの

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