#仲間と作る本~母の愛~

「あんたの育て方を間違えた・・・」


私が高校生のときに母が言った言葉だ。

言われた瞬間ガツンと頭を殴られたような衝撃と、

手足が冷たくなるのがわかった。


私は幼少期から反抗期がなかったらしい。

思えばいつも両親の顔色を伺って、

怒られないように、褒めてもらえるように過ごしていた。


そんな性格が災いしたのか、

地元の高校に進学した私は

ある時学校に行けなくなってしまった。


どうしても教室に入ると具合が悪くなってしまう。

あの狭い部屋にぎゅうぎゅうに人が押し込まれてる。

そう考えたら、いてもたってもいられない。


授業を途中で何度も抜けて保健室に駆け込むようになり、

次第に学校も休みがちになった。


そしてとうとう私は自分の部屋から出られなくなり、

ベッドからほとんど起き上がれなくなってしまった。


学校に行かなければ・・・

でも自分の身体がいうことを聞かない。


そうやって何日も学校を休む私をみて、

母が悩んでいたのは薄々気づいていた。


知り合いに相談して、教えてもらった病院に連れて行ってくれたり、

私が少しでも学校に通えるように先生に取り計らってくれたり、

晩ご飯は妹や弟より、私の好物を作ってくれた。


疲れ切っていたんだろう。

そんなとき母に冒頭の言葉を言われたのだ。


もう家にも学校にも居場所がなくなった。


当時は毎日朝目が覚めなかったらいいのに、

と思っていた。


どんどん家族がギスギスしていく。


きっと当時は私を中心に、

家族みんながそれぞれ悩みを抱えていたんだと思う。


その頃の私は自分のことで精いっぱいで、

母や家族のことまで気を回すことが出来なかった。


ただ私は母に愛されていない。

そう思っていた。



そうして高校を中退し、病院に通いつつ通信制の高校を卒業して

仕事を始め、交友も広がり、

彼氏もでき、自分の世界が広がった。


何とか自分を取り戻すことが出来た。






子供の頃、親というのは完璧な存在だった。

母の言うことは絶対に正しいと思っていた。


でも成長して大人になって、いろんな人と関わるうちに

自分の親は決して完璧ではないと気づいた。


親も人間だから当然といえば当然だ。




私が結婚して、夫の転勤で県外に引っ越すときは

家族総出で新幹線のホームまで見送ってくれた。


涙でいっぱいの顔を私に見られないように、

努めて不愛想に振舞う母。


そこでやっと気づいた。


私は愛されていたんだ。


母は私のことが嫌いなわけではなかったのだ。


発車した新幹線の中でぼろぼろ涙が止まらなかった。



大人になった私から見ると、

母は不器用で弱い人間だ。


素直じゃない母。


心の底では家族に対する愛情をしっかり持っている。


でも人間だから、

時には言い方を間違ってしまうこともあるのだ。


この世でたった一人の母親。


私が母のちょっとした言葉の取り違いにこだわっていたら、

永遠に分かり合えないままだ。


今ではそんな不器用な母を愛しく思ったりする心の余裕もできた。



実家を出て離れて暮らすようになって、

つくづく親の存在をありがたいと思う。


県外にいた時は、毎月ダンボールいっぱいの食料やら

日用品を送ってくれた。


それこっちでも買えるじゃん!

みたいな物も入っていて、思わず笑ってしまう。


このダンボールは不器用な母の愛だ。


いつも箱を開けて、笑っては泣いていた。


地元に戻って来てからは、

母と妹とランチに行って他愛もない会話をするのが好きだ。


話題は主に今はまっているダイエット法やドラマの話。

母も私も、気分は大学生の妹と変わらない。


そんな何でもない会話ができるようになって良かった。

私が壊してしまうところだった。


これまでたくさん心配かけた分、

これからはちゃんと幸せになろう。

そして母を家族を幸せにしていこう。


いつもそばにいてくれてありがとう。

母の子供に生まれてよかった。


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この話は拓さん主催の「仲間と作る本」のひとつのエピソードとして書かせていただきました。

今回これを書くにあたり自分の中でも気づきがあり、この場を設けてくれた拓さんに感謝いたします。




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