脳と身体の連携プレイ。
昨日の朝起きたら、久しぶりに喉に軽い痛みがあった。
懐かしい痛みだわ ずっと前に 忘れていた
少し迷って、ジムの予約をキャンセルした。そういえばこの1週間は一日も休まずにトレーニングに励んでいたので、疲労かもしれない。
喉の痛みのほかは、特に身体に不調は感じなかったけれど、やっぱり身体が「休ませろやー」と訴えてきたのかも。
大事を取ってキャンセル連絡をして、予定していた集中力を要する仕事も今日は諦めることにして、いくつかのメールに返信して、いま書き下ろしで書き進んでいる章の断片を少しつなげたり。
お昼前に少し横になると30分ほどうとうとしていた。
わたしは昼寝が絶望的にできない。
ちょっとうとうと、すっきり。そういう技を持っている人のことがいつも羨ましい。わたしの脳は朝起きると、夜に寝床に就くまで一瞬たりとも眠ろうとしない。あくびすら出ない。
一度覚醒したら、睡眠導入剤の力を借りて、気絶するように眠らされるまで回転を緩めてくれないのだ。
それなのに、昨日は本当に久しぶりにうとうとまでいかないけれど、「うと」くらいしてくれて、目が覚めたときに小さく感動していた。
これは身体のおかげなんじゃないかな。
今月に入ってほとんど毎日結構な運動量をこなしていて、身体が休みたがって、脳が「あいよ。ちょっとだけね」みたいに反応してくれたのだろう。
わたしの身体と脳が、すかさず連携プレイしてくれるような良好な関係を築いてくれていることに、感謝したい。
午後になると喉の痛みはますます強くなったので、ダメ元で喘息や肺炎を見てもらっているかかりつけ医のいるクリニックにアクセスすると、奇跡的に夕方ひと枠空いていた。
ダッシュで駆けこみ、舌を出して「あー」と喉を見せると、「扁桃炎やね。あなたの場合はこれが進むと気管支や肺にいくので、いま治しておきましょう」と数種の薬を処方してくれた。
夜になると唾を飲み込むのも痛くなり、6時には夕食を食べて薬を飲み、8時半頃には布団に潜りこんだ。
12時頃に目が覚めたので、ヴィダインゼリーをちゅうちゅう吸い込んで、食後の薬を飲み、再び布団へ。
3時頃にまた目が覚めたので、麦門冬湯をお湯に溶かしてそろりそろりと喉に流し込んで、三度目の正直的にまた布団へ。
6時頃に目が覚めると、なんと喉の痛みが激減していた。
いがいがと違和感はあっても、潮干狩りであさりを掘るように探さなければ、痛みはもう表面上は姿を見せていない。
かわりに、少し痰が絡むような、軽く鼻がぐずつくような。
これって風邪の進行のパターンでいくと、通常3〜4日かかる症状の変化なのでは?
なんて進行が早いんだ。
わたしの身体は、回復しようと、もう次の段階へ移行しているではないか。
こんなこと、今までなかった。いつもぐずぐず長引いて、気管支喘息や、挙げ句、肺炎にまでなっていたというわたしなのに。
今までとなにが違うのだろうか。
思い当たるのは、基礎体力を上げるために、この2カ月ほどかなり熱心にトレーニングに通っていることだ。
「体力」って、正直なところずっとよくわからない。
ジャンプ力とか握力とかではない、「体力」。
普段からしょっちゅう使う言葉なのに、その実かなり曖昧だ。
総合的な身体力みたいな感じだろうか。
持久力みたいな。
かりに「体力」として、そういうものが少しずつついてきているのかもしれない。
そして、扁桃炎で「一暴れしてやるぜ」的なウイルス(扁桃炎はウイルス性です)が、敵陣を配置する準備をしているところを先回りして撃退する初動作戦で、もしかしたら長丁場になったかもしれない争いの芽を摘んでくれたのかな。
優秀な軍師、わたしのなかに現る。
身体のそんな動きを受けてか、頭のほうも作戦をかえてきた。
これまでのわたしなら、喉の痛みがましになった途端、例えば今朝などは、すかさずごりごりと終日予定を詰め込んで、なんなら午後にはジムにだって飛んでいってたところだけど、「だめだめ!まだ慣らし運転でいきましょう」と、わたしにすかさずブレーキをかけてくれた。
そんなふうに自分をセーブできる自分。
今まで、いた?
いなかった!
もう、まぢ、褒めてあげたい。
今日も焦らず、根を詰めないでできる仕事を、休み休みします。
この投稿もゆるゆるしてますよね。
休むことがいちばん苦手なわたしだけど、大病(メンタル的な)とリハビリを経て、ちょっと大人になった気がする。大人になるもなにも50も過ぎてもう大人じゃんと思いながら。
年を取るって素敵じゃないけど、悪くない。