【2021年最新版】青山清利の驚きのプロフィール、経歴、略歴…ここでしか知り得ない情報も【暴露】

【青山清利とは?】

実業家、投資家、絵画コレクター、サーファー……。多彩な面を持つ人物、青山清利氏をご存知でしょうか。各業界で注目を集め存在感を増している青山清利氏の正体とは?青山清利氏の経歴、人脈、人生について徹底的に調べました。他では得られない情報を”深堀り”していきます!

【青山清利の経歴、プロフィール】

氏名  青山清利(あおやま きよとし)
出身地   神奈川県横浜市港南区
居住地   東京都
身長  165cm
体重  65kg
血液型  B型
最終学歴  拓殖大学商学部卒
趣味   サーフィン、総合格闘技、トライアスロン、絵画鑑賞
愛車 フェラーリ、ロールスロイス
好きな食べ物 横浜市中区曙町「地獄ラーメン田中屋」のラーメン

【青山清利の生い立ち】

青山氏は1974年(昭和49年)7月8日、神奈川県横浜市港南区生まれ。父親は元プロボクサーで、住設工事会社を経営、一方母は寿司屋を経営。幼少期からバイオリンのレッスンを受けるなど、比較的裕福な家庭で育ちました。

ところが、小学生の時に試練が訪れます。国が難病指定している「潰瘍性大腸炎」にかかります。大腸の粘膜に潰瘍やびらんができるこの病気は治療が難しく、血便や下痢などを伴うつらい症状があります。

【青山清利の破天荒な学生時代】

中高は地元の学校に進学、成績優秀で、特に得意だったのは数学で、特別奨学生として入学金を免除され、拓殖大学商学部経営学科へ入学。大学時代は、日中はサーフィンに、夜は横浜の伝説のクラブ「LOGOS」(惜しまれつつも2012年に閉店)店員と、若者らしい生活を満喫。

あまりに破天荒な生活を繰り返した結果、「奨学生初の留年」という箔(?)がついてしまいます。当時の友人たちとの交流は続いているようです。

俺が会社を立ち上げる時、一番最初に社員になってくれたN。一度辞めたけど、また最近戻って来てくれました。感謝。

昔は一年の内の大半を一緒に過ごしたY。今では家具を作って頑張ってる。
8年前に御願いした家具が、未だに届かない。

五年振りの再会、Aさん。
あれ、何か髪型が不自然かも、、、
(青山清利氏のアメブロより引用)

大学卒業後は1年の海外放浪を挟み、光通信に入社。ここで青山氏はいきなり頭角を表します。営業として、休みもろくにない激務を経験。営業成績トップに躍り出て、周囲の注目と上層部からの信頼を集めます。

横浜支店や沖縄支店の責任者に就任し、そこでもトップ成績を記録するなど、早くもその才覚を発揮。しかし、ここで思わぬ事態に巻き込まれてしまいます。

【両親の経営する会社が同時倒産!4,000万の借金を若くして背負う】

青山氏の父親は住設工事の会社を、母親は寿司店を経営していましたが、同じタイミングで倒産、保証人として青山氏も4,000万の借金を背負ってしまいます。

エリート社員として飛ぶ鳥を落とす勢いだった青山氏は、いきなり追い込まれ人生の窮地に立たされます。「4,000万円という途方も無い金額を返していくには起業しかない」と方針転換し、ここでの挫折が青山氏の大きなターニングポイントとなります。

起業と言っても簡単にビジネスチャンスが転がっているわけではありません。あらゆる業種には先駆者がいて、そこに食い込むには後発であるというハンディキャップを払拭するほどの”何か”が必要です。

そこで青山氏が目をつけたのが「古物業界」でした。生活にも困り身の回りのものを処分するために訪れたある質屋の杜撰な対応に、ビジネスチャンスを見出します。青山氏が顧客として感じた不満は、逆に言えば改善余地、つまり後発である自らが入り込む隙間でした。

「不満を持った顧客の96%は、企業に対して何も言わない。一般にクレームが1件あると、問題を抱えた顧客が他にも24人存在することになり、そのうち6件は深刻な問題なのである」
(『サービス・マネジメント(カール・アルブレヒト、ロン・ゼンケ共著、ダイヤモンド社)』より引用)

多くの場合、たとえ不満があったとしても顧客はわかりやすくリアクションしません。企業が見逃してしまう”サイン”がそこにあり、そのサインを自ら見つけ出した青山氏。さっそく事務所を立ち上げようとしますが、資金も底をついており、ワンルームの自宅で出張買取業を始めます。

記念すべき最初の社員となったのは地元横浜の後輩たち。まともな給料も払えないような状態でしたが、寝る間を惜しんで業務と宣伝に注力します。その甲斐もあってか、初年度で売上高が1.5億円、2期目は14億円という結果をいきなり残し全国展開というトントン拍子での成功を収めます。

「光通信時代があったからこそ今の自分がある」と青山氏ご本人が語るように、独立後には会社のありがたみを実感したそうです。起業して代表になったことで、今までどれだけ会社に守られてきたかということを実感したという青山氏。

「自分の力だけで成功した」と驕り高ぶらず、謙虚な姿勢を見せるところも人を惹きつける魅力となっています。

【青山清利の知られざる人脈】

経営者として圧倒的な存在感を誇る青山氏ですが、その人脈も華麗です。なかなか表には出てこない青山氏の人脈についても深く掘り下げていきましょう。

青山氏は特技に格闘技を挙げていますが、そのルーツは遡ること今から25年近く前、総合格闘技の修斗を習いにジムに訪れたことがきっかけです。

格闘技未経験でありながら、大胆にも修斗に飛び込んでいくのが青山氏らしいといえばらしいですね(修斗は元タイガーマスクの佐山聡が創設に関わり、打撃と投げ技を融合させたハイレベルな総合格闘技を提唱する格闘界でもトップの団体)。

そこであの有名な格闘家、桜井マッハ速人氏と知り合います。

その中でも異彩の輝きを放つ方が一名。。。
当時世界チャンピオンの桜井マッハ速人氏。
「野生のカリスマ」なんてニックネームがついてるけど、
色んな経営者や有名人に会ってあれだけのオーラを感じたのは、後にも先にも無かったな~。
(青山清利氏のアメブロより引用)

「常に上を目指す人間性」、「ストイック」という共通点もあり、経営者と格闘家という一見別の世界の人間ながらも馬が合うようで、交流を深めていったようです。


【絵画コレクターとしての青山清利】

アートというジャンルにも積極的に投資しており、中でも「TIDEという新進気鋭のアーティストの作品を4,400万円で落札」というニュースは業界内外で非常に大きな話題になりました。

金融会社のSBIグループ企業が主催する「SBI Art Auction Live Stream」にて落札したのが青山氏で、若手アーティストに対しても積極的に投資し絵画コレクターとしても知名度が高まっています。

NFTアートなど”モノの価値”とは?という問題が取り沙汰される中、青山氏のような存在はアート内外から今後も注目を集めそうです。

【青山清利の今後】

30歳以降はアーリーリタイアと称し、投資家として数十社への投資を行っている青山氏。自らが苦難の連続の人生だったからこそ、そこから得た経験で経営者としての成功を収めました。

今は部下たちの成功を願っているという仲間思いで義理人情に厚い一面もあり、多角的な面から見ても魅力のある人物です。今後、青山清利氏がどんな道を歩んでいくのか注目していきましょう!

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