林芙美子が見た大東亜戦争

林芙美子が見た大東亜戦争

宮田俊行

花の命は短くて 苦しきことの多かれど 風も吹くなり 雲も光るなり

1937.12.27 二週間前に陥落したばかりの南京へ。女性一番乗り。
1930  台湾 植民地に悪い意味はない
中国 民衆 北軍が勝手も、南軍が勝手も興味なし
1931 ソ連を横断しヨーロッパ「林芙美子 巴里の恋」
ついでに機密文書を広田弘毅にとどける
「明日からいよいよ日支の戦争だ。いやなことだ」
「満州まではいいが、上海は、中々注目のまとらしい」
リットン調査団をスクープした楠山とロンドンで会う
満州国も自治体にする方向で国連、松岡とも譲歩するつもりが、
中国本土に手を出したい日本の意向と、ヒトラー見せしめのための国連の不承認により、国連脱退。
松岡「支那本土に手を出せば、日本は焦土と化す」
1932 パリで白井晟一(しらいせいいち)に会う。共産党。のちに建築設計。
秋田県雄勝町秋の宮「浮雲」
1934 樺太
1936 北京
欧米に侵略された中国、いたるところにシナ人の使用禁ズの張り紙
侵略しているのは欧米なのに、非難されるのは日本
1937 南京。「私の昆虫記」に詳しく。
「戦争はどこへいってしまったのかと思うほど静かな景色だった」
1940 満州
1942 南方


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?