幸せの記憶
私の祖母は私が3歳の時に他界しました。
私が記憶している最初の映像は祖母の葬儀の記憶だと思っていたのですが、ある日祖父母が家に遊びに来て段ボールいっぱいのおやつを持ってきてくれたときの映像が頭の引き出しからふっと出てきたので走り書きでイラストにしました。
祖父母の家は実家から遠くにありました。
30年近く前なので道も悪くおそらく車で片道4~5時間はかかっていたと思います。
だからめったに会うことのできない祖父母が抱えてきてくれるお菓子の量はすごくて母がめったに買ってくれないポテトチップやチョコレートのお菓子に心が弾んでいました。
祖母はその数ヶ月後病気で床に伏し他界しました。
祖母は55歳で死にたいと母にいつももらしていたそうです。
すると本当に55歳で他界してしまったそうです。
色々苦労があったので早く楽になりたいと思っていたのかもしれません。
そんな祖母ですがいよいよというとき祖父が病床の祖母に
『生まれ変わってもまた結婚してくれるか?』と聞くと
『もちろんです。』と答え、息を引き取ったそうです。
その後92歳で亡くなった祖父は長い独り身生活でも他の女性の話は出たこともなく再婚もしませんでした。
口に出して祖母への想いを祖父から聞いたことはありませんでしたが祖母のことを死ぬまで愛し続けていたということは祖父の醸し出す雰囲気というか、オーラというか…何か分からないけれど孫の私も感じていました。
祖父は亡くなる前何かあるとすぐ手を合わせては拝みながら
『ありがとう、ありがとう』と言っていました。
点滴を替えにきた看護師さんにも
『ありがとう、ありがとう』と拝んでいました。
祖父はカーネルおじさんのようなかわいい雰囲気で私も姉妹も祖父のことが大好きでした。
だからもう危ないとなった頃は一回でも多く祖父に会いたいという思いで仕事帰りに二時間かけて祖父の病院に行き昏睡している祖父の耳元で
『おじいちゃん、大好きだよ』と何度も言いました。
聞こえているかどうか反応はなかったけれど
とにかく大好きだと言う気持ちと私たちを大切にしてくれたことへの感謝を祖父が私たちにしてくれたのと同じくらい言ってあげたくて、何度も何度も言いました。
私たちが思いを伝えるのに満足できた頃祖父は静かに息を引き取りました。
祖父の葬儀にはすごい人数の参列者の方々が来てくださいました。
親交のあった近所の葬儀屋さんが祖父のためにと一番大きな部屋を用意してくださいましたがそこにも入りきらないくらいたくさんの人が参列にきてくださいました。
火葬場への道で祖父の家の近くを通ると葬儀に参列できなかった近所の方がわざわざ外に出てきて道路から手を合わせてくださいました。
地元のバス会社でバスの運転手をし、定年後は趣味の日曜大工をしていただけで地位も名声もない控えめな性格のごくごく普通のおじいちゃんだった祖父がそこまで人に慕われていたことに驚き尊敬の気持ちが深まり更に大好きになりました。
祖父はいつも自然体でした。
飾らず、驕らず、感謝の気持ちを忘れない。
そんな当たり前のことが自然とできる人だったから慕われていたのだと思います。
私はというと…まだまだ足元にも及びません。
感謝よりも保身の方を優先してしまうし、人に迷惑ばかりかけています。
多分、今私が死んだとしても親族以外で葬儀に来てくれる人はほとんどいないでしょう。
もしかすると別れを惜しむよりどこかホッとする人もいるかもしれません(...汗)
『人』が好きだった祖父に対し『人』が苦手な私は祖父のようにたくさんの人に慕われる人にはこの先もなれないと思います。
でもいつかその日が来たときせめて家族だけでも
『出会えてよかった』と思ってもらえる人間になりたい。
頭に浮かんだ幸せの記憶からそんなことを思う今日この頃です。
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