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「月のような配信」とは

最近、自分の配信モットーのようなものを聞かれて考えた。

その時はキザったらしく「『月のような配信』……ですかねえ……(吐息)」なんて答えたのだが、実は冗談というわけでもなく、蛇足ながら今日はその意味を書き起こしておこうと思う。


夜は好き

夜は好きだ。特に晩秋の雨の降っていない深夜。
そういう夜は、たまに配信が終わると適当にサンダルを履いて、缶コーヒーを買いに出る。
手を叩いたらどこまでも響いていきそうな、田舎の澄みきった空気を目いっぱい吸い込み、近くの自販機まで歩いていく。
放射冷却のおかげで外は冷え込んでいて、缶コーヒーを買った頃にはすでにつま先がかじかんでいる。
配信終わりのぼーっとした頭で「次からはホットにしよう」なんて思いながら、プルタブを起こし飲もうとすると、淡い紺色の空が視界に入る。
いつもより明るくて鮮明な月に、しばらく見惚れてから帰るのだ。


実はトリプルミーニング

「月のような配信」に込められている思いは、後から気づいたが、実はトリプルミーニングだ。


1. イメージとしての月

一つめは、イメージとしての月だ。
「月」=「夜に出るもの」なので、夜の配信を意味している。

2. 月明かり

二つめは、月明かりに由来する。
月明かりに助けられた経験はないだろうか。私はある。
例えば街灯のない真っ暗な路地を歩いていて、不安や焦燥感で小走りになりながら、次の角を曲がったら月明かりが差していてほっとしたとか。
ネガティブな夜を、自分の配信がさりげなく照らしてあげられたらいいなと思う。

3. 恒常性

三つめは、これが最初に答えた時の本意だったのだが、月そのものが持つ恒常性だ。

何が言いたいかというと、毎晩配信していることで、昔の視聴者がまた来やすくなったり、新規の視聴者にはある種の安心感を与えられるのではないかということだ。

配信の視聴者は3年が切れ目、というのを聞いたことがある。
それは学生であれば進学や就職、社会人であれば転勤や転職あるいは結婚など、人生の節目がおよそ3年ごとに訪れるからだそうで、リアルでの生活に大きな動きがあると配信から足が遠のきがちになるとのこと。

よく来てくれていた視聴者が来なくなるのは、もちろん寂しい。
ただ視聴者側も嫌いになったわけではないと思う。
例えるなら、毎日回収していた連続ログボが旅行などで1日途絶えると、それ以降嘘のようにプレイしなくなる現象に近いと思う。
それで何年か経ってまたやってみようかと調べてみると、サ終していたりするのだ……

だから、私はサ終しない。
幾星霜を経ても月はなくならないように、何年でも配信を続け、かつての視聴者がふらっと戻ってきてくれた時に変わらない居場所を提供したい。

新規の視聴者にも「あの人いつもやってるな」と思ってもらえれば、安心感を与えられるだろう。
推しは推せる時に推せ、という金言がある通り、売れない配信者の寿命は短い。
だからこそ配信者飽和時代のこのご時世に、いつもやってる、いつまでもやってるというのは安心できるのでないだろうか。


終わりに

どら焼きを食べながら書いたとは思えない大仰な記事になった。

こうして変わらず配信ができるのも、毎日足しげく通ってくれる視聴者がいるからだ。
もちろん昔の視聴者も大事だが、それよりも今の視聴者を大切にしたい。
本当にいつもありがとう。皆さんのおかげで毎日モチベが続いています。

2024年1月にはVtuberデビューも控えている。
これからも成長を続けるあおとを見守っていてほしい。

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