I 水 石 自分 世界 意識 覚醒 

 今、自分は現実に意識が向いていない。現実に意識が向いていないのに意識がある、ということは稀に起こる。わかりやすい例えでいえばコクリコクリと眠りながら頭の中で夢を見ているとき。しかしその時というのは意識が曖昧で自分の見ている細部まで五感の意識を向けることができない。音を聞くことも物を見つめることも。何かに触れ、感じることも。

現実に意識を向けずに自分の意識を細部まで貼り巡らせることがある。側からその姿を見るとそれは眠る人間とこちらの意識が全く通じ合わないのと同じように空間的には連続した場所でありつつも、決して向き合うことのない状況と似ているのかもしれない。


私は今、石を打っている。鑿と石頭を用いて石を弾き飛ばしている。つまり石を彫刻しているのだがなんと言おうか、この行為をしている自分は有機的な生物としての人間というよりも、流れる水の様に近い。河川に生きる流れる水は土を削る。淀みなく打ち続ける水の粒子が土地の様を変貌させ、また新たに土の塊を生む。そこには緊張や力みのような嫌な狂いは起きず、ただただ自然の血液が脈を打つような毅然さがある。硬いはずの石を彫ることは時間がかかる。しかし土や石を削る水が時間を感じずに淡々と永遠に流れ行くのと同じように、私は時間を感じていない。感じているのかもしれないが人間の現実とは異なる。石を弾き飛ばすという概念しかないこの世界が基準となった時の流れ方がある。その時の流れる世界を身をもって構築している私はその世界においての五感は覚醒状態に近い。
 
私の覚醒した意識は、無論、現実の世界に向けられていない。

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