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「現在」は未来には勝てなくて、「過去」にはもっと勝てない。

これはすごい昔の話。うん、まだ音楽があったくらいの昔な話。


人の記憶なんてのはいい加減なもので、基本的に覚えたいことしか覚えてないし、思い出したいようにしか思い出せない。だからいつも「昔はよかった」んだろうし、美化され続けていく青春は甘酸っぱい。そのせいかな、大人になるにつれていろんな物を手に入れるのに、何も持ってない時の思い出に負けるこが往々にしてある。今回もご多聞にもれずそんなお話。

初めて彼女ができたのは中学1年生だった。思春期入りたての僕らは女子のことで頭が一杯で、それと同じくらい異性に興味がない振りをするのに必死だった。アドレス交換でもしようものなら「女好き」と呼ばれ、自分が取り残されないように周りも妨害するというなんとも不健全なサイクルが出来上がっていた。それでいてみんな女の子とメールしたり電話したりしていたのだから、ある意味ものすごく健全だとも言えるのかもしれない。何に対してかはわからない。わからないけど、僕らはとにかく恥ずかしかったのだ。

初デートは桜新町のミスタードーナッツだった。彼女はポンデリングを食べ、僕はそれよりお洒落な(と勝手に思っていた)エンゼルフレンチを食べた。その後水だけで3時間近くただただおしゃべりした。店を追い出されたあとも二子玉川まで手を繋いで歩いた。途中、歩道橋の上でキスなんかしてみたりして、あのくすぐったい感覚に背中を押されながらはしゃいだ。

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それから10年がたって僕らは良くも悪くも大人になった。女の子の連絡先をゲットするのはだいぶ簡単になったし、デートでミスドを使うことなんてまずなくなった。六本木のバーとかクラブにやたら詳しくなったし、女の子と遊ぶ場所に事欠くことはなくなった。

でも、僕らはもう水だけで3時間も女の子と話せないと思う。ミスドに入れないと思う。あの頃はキスをすれば時間を止めることができたし、彼氏彼女の証拠そのものだった。いまでは手を繋いでも、キスをしても、セックスをしてもそれが恋人かどうかになんの関係もなくなってしまった。

なんだろうな、大人になるってなんなんだろうな、いろんな物を得ていく間感覚は確かにある。お金だったり経験だったりスキルだったりこういうのは年を重ねないと身につかない物だ、そこまではわかる。でもいろんな物を得ていくことが自分を幸せにしてくれるとは限らないような気もしてる。

なんにしろ若くて未熟な方が幸せを感じやすくて、年を重ねるごとに幸せの実感値が逓減していくだなんて僕は思いたくないのだ。99円のドーナッツであれほど幸せになれた13歳の自分と同じだけの幸せを手に入れるために、大人の僕が一体どれだけの額を払えばいいのかいまはもう検討もつかない。

単純に僕が大人になりきれていないだけで、大人には大人の幸せの感じ方があるんだろうか。あるといいなぁと思いながら少しづつ大人になっていこうと思う。 

#essay

2017年、秋。


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