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勝たなきゃ意味なんてない

『絶望(ぜつぼう)とは、希望のない様子を指す。 社会的地位の喪失、信頼すべき相手(家族や親友など)の喪失・裏切り又は自殺などに遭遇し、未来への希望を失ったとき、人は絶望に陥る。 戦争などの極限状態では絶望が起こりやすい。 平時でも、強姦や児童虐待、リストラやいじめなど辛い経験に遭遇し、絶望することがある。』(Wikipediaより)

絶望の定義は様々だ。家族が死んでしまったら絶望するのかもしれないし、FXとかで1秒で1000万溶かしたらそれはそれは絶望を味わえる気がする。なんにせよこの手の単語はざっくり説明するのは難しい。「これこれこうしたらこう思うでしょ?それが絶望っていうんだよ」みたいな説明はできても「これが絶望」的な簡潔にdiscriptionできている文章はお目にかかったことがなかった。それはそれで幸せなことだったのかもしれないけど。

上で書いたみたいなことを高校生くらいからかな、考えていたんだけれども、ついぞ最近僕はこの言葉を端的に表現している言葉を見つけた。どこまで漢字だったかとか句読点はあったかとか細かいところまでは思い出せないけど、確かこんな感じだった。

「何かの一番にも、誰かの一番にもなれない」

別にこの言葉は「絶望の定義」とかそんな文脈の中に流れていたわけじゃなくてただそこらへんに置いてあっただけなんだけど、なんとなくこれだって直感した。

自分が死ぬ間際になってこんなことを考えていたとしたら、本当に自分は絶望してる。たぶん悔いしかない人生だ。そしてきっとその時は一人で天井を見てる。僕らは結局のところなにかで一番にならなきゃ何も手に入れることができないのだ。

規模の大きさこそあれ、僕らはいつも一番になるために行動している。誰かの一番にならなきゃ家族もできない、何かの一番でなきゃ生きることもできない。

ここまで書いたところで「俺は何かの一番でもないが働いて生きているぞ」って思う人もいると思う。その人はきっと勘違いをしている。どんなにくだらない仕事であれ、その時その場所でその会社でその仕事を一番うまくこなせるのは間違いなく貴方だ。ビルゲイツだろうが本田宗一郎だろうが今貴方がやっているレジ打ちを今の時点で貴方より早くできるはずもない。同じ会社の同じ仕事の同僚だって貴方がやっている仕事をその瞬間で貴方よりうまく回せるなんてありえない。きっと貴方だってそれがどんなに小さくて些細のものに見えても一番であることに変わりはないのだ。

きっとこういう吹けば飛ぶような一番に支えられて人間は生きているんだと最近思うようになった。脆さなんて気にしなくていい、だって風なんて吹かない、たぶん。

僕らはきっと小さい一番になることの繰り返しで生きていて、僕らの行動はどんなときでも何かの一番や誰かの一番になるためのものだと思うと少し気が軽くなった気がした。

そんな冬の午後でした。


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