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北極圏で森を彷徨う。

 野生の動物と対峙したことがあるだろうか。おれは何度かある。北海道で、アフリカのサバンナで、そしてアラスカの森で。不意に動物に出くわすと、一気に心拍数があがる。狩りをしていた時代の本能というか、DNAが反応するのであろうか。相手がムースのような自分の数倍でかい生き物だと尚更そうだ。たぶん恐いのだ。自然への畏怖に似た感情が湧き上がる。

 太陽に安堵してから数日後、筋肉痛も解消され始め、この生活に早くも順応してきたようである。フェアバンクスから300~400㎞自転車を漕ぎ、北極圏に入った。北極圏と言っても、イメージしていたような氷の世界ではなく、北緯66度33分という看板のようなものが建てられているだけで、景色はそれ以南と何も変わらない。赤道や南回帰線も通ったことがあるが、そんな感じであった。人間が勝手に地図上に引いた線である。

 しかし人間の気配の無い自然の中で、こういう人工物を見るとどこか少し安心するのは、まだまだ文明の中での快適さを忘れていない証なのだろう。そしておそらくそれは脳に染み付いてちょっとやそっとじゃ落ちないのかもしれない。


 ここで自転車を降り、おれはInto the wildの主人公に倣って森の中へ入って行った。ここまでは未舗装ながら道に沿って来た。来る人は少ないといえ、まだまだ誰かが来れる場所である。ここからは誰もいない場所へ行くのだ。畏れと高揚が入り交じり、初めて海外へ飛び立った19歳の時のような、あの時の興奮状態をもう一度味わえた。
 ちょっと足ががくがくしていた。ビビっていたのではない、武者震いに違いない。ビビっていたわけではない。もう一度言う、ビビってはいない。

 そう自分を信じ込ませながら、道のない森をひたすら進み彷徨っていた。そしてその道中で、何かをむしゃむしゃと貪る巨大な怪物と出くわしたのだ。


 ムースをご存じであろうか。ヘラジカとも呼ばれる巨大な鹿である。予想外の遭遇に腰が抜けそうになった。驚きの声がちょっと出た。4〜5m離れていたとはいえ、体高2m以上あり、特にそのムースは角がなかったため、初めはムースとも認識できなかった。見たこともない巨大な生き物と向き合ったことで、心臓がマラソンを終えた時のように激しく動いていた。
 目が合ったら殺される!と一瞬頭をよぎったのだが、僕に気づいたムースもビクンとしたあと、巨体をのっそのっそと揺らしながら森の奥へ走って消えて行った。基本的にムースは草食で臆病な動物である。


 おそらく時間にすればほんの2、3秒の出来事であったが、周りの時間が止まり、一瞬おれとムースだけの世界になった気がした。走馬灯こそ流れなかったが、その短い間の中でおれは驚きながらも瞬時に身構え、向かって来てもいない相手に対して臨戦態勢に入っていた。そう、おれはビビっていたのである。

 怪物が去った森を眺めながら、自分のいる場所がそういう環境なのだと悟るまでに時間はかからなかった。猛獣の檻に放された小動物はこんな気持ちなのだろうか。この中で生活するのか。


 アラスカにグリズリー(でかい熊)やオオカミ、ムースなどの野生動物がいることは来る前から当然知っていたことだが、彼らはどこか自分とは別の世界で生活していて、自分と交差することはないものだと楽観視していた。       しかしムースと対峙したことでその甘い認識は容易に更新された。様々な獣たちの縄張りにズカズカと足を踏み入れていたのだ。断りもなく土足で。人がおらず、おれだけの世界だと心得違いするところであった。

 フェアバンクスのアウトドアショップではライフル銃なども売っていたが、自分には不必要なものだと、値段さえ見ていなかった。お金もなかったので、きっと買えなかったであろうが、武器より飯!という深層心理が働いたのかもしれない。


 銃があっても素性さえ知らないムースを打ち殺すなんてできるのかと自問しながら森を彷徨い、適当なところでテントを張った。野生動物はいるが、ここは人のいない場所。どこでテントを張るのもおれの自由である。食糧など匂いのするものはテントからは数十メートル風下に置いてきた。それでもお腹をすかせたグリズリーが匂いをたどっておれのテントに来てしまうというイメージが脳内で繰り返し再生されていた。

 Youtubeでグリズリー同士が喧嘩している映像を見たことがあるが、あんなのに襲われたら、ぼこぼこを通り越して粉々にされてしまうであろう。人知れずアラスカの荒野で臨終を迎えたくはない。「グリズリー 喧嘩」などで検索したら見れると思うので、時間があればぜひ見ていただきたい。


 この日まで毎日くたくたになるまで自転車を漕いでいたため、夜の八時くらいには寒いながらも深い眠りに落ちていたのだが、この日は昼間のムースのせいでなかなか寝付けなかった。周囲に誰一人いない森というのは、耳がおかしくなるような静けさで、葉の落ちる音さえも響いて聞こえるような、静かだからうるさいという不思議な空間である。カサッとかパキッという音に耳が反応して何かがそこにいるのかと勘ぐってしまう。


 日付が変わる頃になってもまだ眠れず、せっかく温まった寝袋から這い出て、用を足しにテントをでた。いつもは疲れて寝ていた時間、真っ暗な森、星が綺麗だろうなと、寝ようとしてぼーっとしていた脳が、おもむろにおれの顔を上に向かせた。星は目に入らなかった。白びた光の帯が頭上を泳いでいた。ノーザンライツ、オーロラだった。こんなドラマチックなことしてくれるのかよ。いろいろな興奮を味わった今日という一日が思い出され、なぜか泣きながらその場に立ち尽くした。一瞬おれの脳とオーロラの位置が逆転し、アラスカの果てしない大地を上から覗いた気がした。点のように小さい動物たちがそれぞれの生活を営む中で、点のように小さいおれも一人、食って寝て生きていた。

 あの日いつ寝たのかは、よく覚えていないが、なぜかそれからは野生動物に怯えることなく熟睡できるようになった。思考回路を変えたのか、慣れたのか分からないが、おれの脳は思っているより単純なのだろう。



続く。




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