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マイクロアグレッションとカルチャー

世の中に数多ある経営に関する書籍。その全てが、人間の目から見た経営を語っています。

私は常々申し上げていますが、人間の目から見た経営ではなく、自然から見た経営を大事にするべきだと。自然界の法則を取り入れた経営であれば、サスティナブルという言葉を用いる必要がなくなるからです。

SDGsやサスティナブル議論、とても良い事だと思っています。やらないより小さな事でもやったほうが良いに決まってる。

しかし、これらの議論はすべて、世の中が濁っている前提というか、綺麗か汚いかの二元論というか、○か✗かの議論になっているのがちょっと違和感なのです。

お前は出来が悪いから勉強しなさい!

と言われている感覚に近い。


そうではなくて、経営自体を自然界に存在する法則に即したカタチにする。これだけでサスティナブルな経営になると言えます。


ここまでが前提
今日の本題は、組織(コミュニティ)が持つ組織風土、いわゆる「カルチャー」はどこから来るのか?という事

ケン・ウィルバーの4象限についてもおさらい

集団を内側からドライブするのが「カルチャー」だと、ケン・ウィルバーは語っています。

私、ずーーーっと違和感というか、なんか微妙に引っ掛けるものを覚えていました。このカルチャーについて。そして、それは中世のハイカルチャーと支配構造が相俟った結果生み出された特権階級が、人間の創造性と自由を根本から阻害しているからだ。という結論に達しました。そして、これについて異論はありません。

ただ、別角度から大事な論点の補足を見つけてしまったのです。
(ここまで750文字…笑…まだ導入部)



最近見つけた論点はコチラです。
↓↓↓
集団に力が宿ると考えるのは危険だと思う。


唐突に結論めいた事から書きますが、私の最近の発見です。
個人ではなく、集団が力を保有するという幻想は非常に危険です。
これは幻想なのです。

集団の中で働く力学を考える前に、その集団に所属している人間(個)について考えないわけにはいかないでしょう。

何故なら、優れた自律分散型組織であっても、マイクロアグレッションの問題は起こり続けるからです。このマイクロアグレッションまでも、組織の力(カルチャー)で抑え込もうとでも言うのでしょうか?そしてそれは、自由を阻害していると言えないのですか?

集団が力を持つから、トップ(経営者・CEO等)はその力を薄くしたほうが良い。という、一見綺麗な論拠は自然界の法則に反しています。
という事は長続きしないに決まっている。

自然界においては、その流動性こそがすべてです。流れが良い(スムーズ)な事だけがすべてです。そして、そこには明確なhierarchyが存在します。
(我々がイメージするhierarchyとは異なり、支配は存在しません)

hierarchy = 階層構造なのです。
階層構造とは異なる特性の中で最適化を図るデザインを言います。
森に生える木の高さがバラバラである
流れる川は大きな川と小さな川で成り立っている
これらの高さや長さを統一したら、スムーズな流れは生み出せません。すべての権利を平等にしないほうが洗練されたデザインであると言えるのです。

話をカルチャーに戻します。
組織内にカルチャーを生み出している人は誰でしょうか?

アンコンシャス・バイアス
マイクロアグレッション

これらの問題からも明らかです。カルチャーの源(source)は個人です。集団ではありません。
その源が大河となり、小さな一滴が川となった時、集団を内側からドライブするものである。と言えるのでしょう。
ここは微細な差かもしれませんが、これから組織やコミュニティを創ろうとする際には取り返しのつかない大きな差になります。

成熟され、もしくは長年の歴史があるカルチャーについては、集団が内側からドライブしているもの。と認識する事に異論はありません。

しかし、立ち上げ段階。もしくは、組織やコミュニティを変革させたい時は、カルチャーとは個人の内側からドライブしているもの。と見方を変えたほうが良いです。

つまり、立ち上げた張本人(創業者)のアイデンティティが色濃く反映されている事に自覚的であるべきだ。と言えます。
カルチャー = 集団を内側からドライブするものであるが、その源(source)が川の上流である。とも言いかえられます。

下流の豊かな恵みはみんなのものです。集団を内側からドライブする。
しかし、その川も辿っていけば上流に、源に行き着きます。そこを守っているのはsource役1人なのです。源が複数あるとしても、自然界では下流で合流します。源は必ず1つなのです。そして、その源が濁ると川全体が濁ります(組織の病理)

信じられないかもしれない仮説ですが、アンコンシャス・バイアス・マイクロアグレッションなどの組織の病理は、自立分散のシステムが悪いのではなく、source役の個人のアイデンティティの濁りが下流に流れ出た結果なのではないでしょうか?という、確信めいた仮説です。


経営を人間の目からではなく、自然から見たものに置き換えるだけで、理解出来なかった現象が少し分かるようになると思いませんか?

自然界から見た経営(生き方)について、もっと探求して深めていこうと思いました。

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