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自分から誘ってみる

いつからだろう自分から誘うのをためらうようになったのは。

たぶん30歳を超えたころから。ちょっとしゃべろうよ、ごはん行こうよって、昔はもっと気軽に誘えてた。

若いころは基本的にみんなひまだったし、学校や職場や地元でひんぱんに顔を合わせていたから、どちらが誘うでもなく自然と予定が立っていた。

30代も半ばを過ぎたこのごろは、みんな生活スタイルや状況もいろいろだから、ちょっと連絡するのでも「忙しいかなあ」とか「迷惑かなあ」ということをぐるぐるぐるぐる考える。

めんどくさい。もっとシンプルに考えればいいのに。

思ったような反応が得られなかったときに、傷つくのがこわいのだ。

ひとりの時間は大事だし、家族ともゆっくり過ごしたい。やりたいことはたくさんあるから、べったりな付き合いがしたいわけじゃない。

それでもふと、寂しくなることがある。家族以外のだれかと、たわいない話をしたくなることがある。

年々友だちが減っていく。気軽に誘えるひとがいない。そういうひとは多いと思う。

大人になってもたくさんの友だちに囲まれているよというひとはきっと、傷つくリスクとかめんどくささとかを背負って、自分から発信できるひとなんだと思う。

べつに無理する必要はない。昔からの繋がりとか、友だちという関係性に執着する必要もない。

寂しさを埋めるためにだけに維持する関係ほど、虚しいものはないから。

どんなに孤独だったとしても、生きてる限り必ずどこかでだれかと繋がっていて、自分次第で楽しく生きられると思う。

それでもやっぱり、だれかと何気ない気持ちや時間を共有できたときは嬉しい。

なかなか帰省できないでいたとき、地元の友だちから不意になんでもないメッセージが送られてきて、そのほんの数文字にすごく慰められた。

出張で近くまで来たから会おうよと突然連絡をもらったときは心が躍った。

だから最近は、自分からだれかを誘ってみる、連絡してみる、ということを、ちょっとだけがんばってみたいなと思ってる。

勇気がいる。でも万が一そっけない態度を取られてしまったとして、自分の行いに明らかな心当たりがないのであれば、原因は相手側にあることが多いと思う。

わたしも、ひとからの誘いを素直に喜べなかったことがある。気持ちはとてもありがたいけど、応える余裕がなかった。

ときには経済的に、ときには精神的に。いろいろと上手くいってなくて、順風満帆そうに見える友だちと会うのがきついときもあったし、本当に忙しかったり体調が優れなかったり、大抵原因は自分にあった。

だから冷静に考えれば、もしだれかにそっけない態度を取られたとしても、いつの間にか関係が途切れてしまったとしても、自分自身を否定したり、いちいち傷つく必要はない。

だれも悪くない。ただ、タイミングが合わなかっただけ。

つい最近、あるひとを思い切って誘ってみた。数人で一度だけごはんを食べたことはあるけど、個人的に約束をして遊んだことはない。もう一年以上会ってない。

夜に作ったメッセージを、翌朝えいっと送った。

すぐに返事が返ってきた。ひさしぶりの連絡を、とても喜んでくれた。

その上彼女が一緒に行こうと提案してくれたのは、偶然わたしが前々から行きたいと思っていた場所だった。

勇気を出してほんとによかった。

もちろんそんな風に、うまくいくことばかりじゃないと思う。

だけど傷つく必要はない。むしろ行動できた自分を褒めてあげよう。

誘う余裕がないときは、お正月とか誕生日のタイミングでもいいから、ちょっとしたメッセージを、もし返事がなくても気にしないくらいの気持ちで送ってみよう。

顔見知りのあのひとに、自分から目を見てあいさつしてみよう。店員さんに、笑顔でありがとうを言ってみよう。家族に優しくしてみよう。

寂しいときは、受け取ることばかりじゃなくて、自分から与えることを考えよう。

上手くやれなくたっていい。ひとりの時間だってじゅうぶん楽しい。

そのくらいの、軽やかさで。




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