犠牲の上に成り立つ快適
犠牲の上に成り立つ快適さが嫌いだ
自覚している場合は、分かった上で「自分さえ良ければ良い」という精神が理解し難いし、
無自覚な場合は、あまりの視野の狭さを軽蔑する
「犠牲の大小」は無い。
誰かがそのコミュニティや社会で苦しんでることが死ぬほど不幸だと思う。
だからずっと前から社会が苦手だし恐怖です。
痛みを経験したことがない人
快適さに甘んじてやりたい放題の人
傷ついたことがある故に攻撃してしまう弱さ
「直接的な攻撃じゃないから自分はセーフ」の人
自分の大切なことがちゃんとあって、不器用だけどそれを必死に守って人生を進んでる尊さがなんで分からないの、なんで簡単に無碍にするの
鈍感になるくらいなら苦しむ人でいたいです
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?