見出し画像

5歳で、新聞を発行していた話。

こんばんは!あおむしnoteへようこそ🐛
今日は私の幼少期の趣味(?)についてお話しします。

文字中心主義にどっぷりの私

とその前に、
最近、街中で「なんかカラフルな一帯あるな〜」と思ったらSDGs(持続可能な開発目標)の垂れ幕だったみたいな現象がよく起こるようになりました。

SDGsの4番目の目標が、「質の高い教育をみんなに」っていういかにも開発目標っぽいやつで。そのさらに細かいターゲット(具体的な指標)のひとつに、「読み書き能力」の習得みたいのがあります。

「貧しくて、学校に行けなくて、お母さんになったけど、息子に飲ませる薬の表示が読めない....」
そんなことになる前に!識字率をあげよう〜!みたいなやつですね。


これ自体はすごく大事なことだなと思いつつ、

「なぜ社会はこんなにも文字中心主義なのか?」「文字が読めないだけでなぜこんな不自由に陥れられるのか?」

って思ったことありませんか?



読み書きができないって、必ずしも貧しいからとか、学がないからというわけではなくて、
あえて文字を持たない文化を持つ人々もいるって、昔人類学の先生から聞いたことがあります。


文字に書いてあること(史実)が全てなんて一つの価値観に過ぎなくて。

文字じゃなくて、音とか踊りとかで伝統を伝えるのだってもちろんアリだよね。てか、そうあって然るべきとも言えるよね。その方が文字で伝えるより、雰囲気が直接伝わりやすいこともあるだろうし。





と言いつつ、いそいそと文字を打つ私。

文字中心主義(正しい言葉なのかわからん)に適応してしまったのか、元々文字が得意な種族だったのかわかりませんが、私はしゃべるよりも描くよりも体で表現するよりも、文字で書く方が思ってることを伝えられる気がしています。

まあこんな話はいいの。
今日は、私は就学前から読み書きができて、どっぷり文字文化に浸かってきたエピソードをしようかと。

5歳で新聞を書き始めた

そう、私は5歳から新聞を発行していたのでありました。


週刊紙だったのですが7年間で164号まで発行させていただき、購読者は7世帯ほど(おばあちゃん×2と親戚、いとこん家)、累計発行部数はおよそ1,500部にまでのぼりました。


もともとは兄が「いいひと新聞」なるものを発行しておりまして、数日後その競合他社として名乗りを上げたのが私の「いいこと新聞」でありました。



お母さんにシートを印刷してもらい、そこに思いの丈を綴り、FAXで親戚に送信。企画から取材、執筆、配達の管理まで、全て自分でこなすほぼワンオペ新聞社でした✏️

その記念すべき1号目がこちら。

こちら正確に言うと、「いいこと新聞」の先駆けとなった「はあとしんぶん」1号となります。



心がきれいな人には読めます、チャレンジしてみてね。
(数年後、著者本人によって解読され、欄外に現代語訳が付いています)



3つ年上のお兄ちゃんが学校に行ってお勉強してるのがうらやましくて、お勉強ごっこしていた成果があらわれているかと。

ちはみに私、最初に書けるようになった文字は「か」でした。5歳の書いてみたい心をそそるフォルムをしていたんでしょう。


ちなみに、「はあとしんぶん」は8号で廃刊となり、その後発行された「いいこと新聞」がこちら。

こちらは、今の小学生は知らないであろうファクシミリを通してメディア各社...ではなく親戚各位に送信されておりましたので、お母さんによる細かな修正液散布と、簡単な解説がついているのであります。


好評を博した新聞は順調に号を重ねます。

14号にして、修正液量も1割ほどに。
この土台のシート自体は、お母さんがソフトウェア「一太郎」で作成して印刷してくれていました。マス目になったおかげで読みやすさもマシマシ!
「貼ったばかりの障子には11個穴が開きました」、これは重大ニュースですね。

9歳でパソコンを使いこなす

さあ月日は流れ、小学3年生になった頃。ついに100号を迎えた「いいこと新聞」。
108号で驚きの変化を遂げます。

あーはー。
文字をパソコンで打つようになりました、私。

使っていたのは「一太郎スマイル」というソフト。文字を打つのも、イラストを挿入するのも簡単で、自分でお絵描きするのにもハマってました。

ちなみにこの号の一面は、親戚のおばちゃん考案の連載企画「今週のおとうと」のコーナーが掲載されています。

実は購読者宛にこまめにアンケートを実施し、満足度調査や新しい企画、マスコットキャラクターを募るなどカスタマーサービスもばっちり。アンケート回答者には特典も(ポイントが加算されるだけのポイントカードとか)。

こんなたわいもない家族の話や学校の話を、親戚のおばちゃんやおばあちゃんは楽しんでくれてたのかな。あったかいな。
ちなみにこの頃は、ファクスから郵送に切り替え、一筆箋つきで発送しておりました。

その後もコーナーを増やしていった「いいこと新聞」。イタリア語にハマってた関係で、「いいこと新聞 セレ〜ノ」としてマイナーチェンジも果たし。

この頃には、フォントの変え方も、文字の色の付け方も、線の引き方もマスターしておりますね。
川柳の募集しちゃったり、いや〜新聞ぽくなってきましたね。お母さんが5通も送ってくてますね。


そしてデジカメのお古を譲ってもらってからは、写真の挿入の仕方もばっちり🐰
これは中学生の頃かな。後で見返すと普通に貴重な資料ですね。



新聞を書いててよかったこと

それではここで、申し訳程度に「いいこと新聞」編集者として新聞発行のメリットなんかを書いちゃったりします。

・親戚との最強のコミュニケーションツール

年末年始くらいしかなかなか会えない親戚のおばちゃんやおばあちゃんに、「いいこと新聞」は大好評でした。ひさびさに会って距離を感じちゃうような親戚でも、「この前こんなことあったんでしょ?」って新聞の記事が会話のきっかけを提供してくれる。ありがたや。

・読み手を意識しながら文章を書く練習ができた

おばあちゃん達にはどんな記事が刺さるかな〜、同い年のいとこたちにはどんな企画が楽しいかな〜そんな風に考えながら、小学生特有ワードには注釈なんかもつけたりして、伝われ伝われって思いながら書いてました。この技術、小学校で何かを発表するときとかにも必要だったから助かったな。

・FAX、郵便を一人で送れるようになった

切手舐めすぎでお母さんストップ出たことあった。それも学びやな。

・パソコンで資料を作れるようになった

今どき小学生はタブレットやスマホでなんでも作るのかもしれないけど、慣れておいて損はないよね。

うん、なんか当たり前のことしか書けなかった(笑)
ここまでNoteの記事風を装ってみたけど、今回は何かを教示する記事ではなく、私の幼少期を(あるいは私のお母さんの教育術を)シェアするためだけの記事です。

少しでもほっこりしてもらえたらおーるおっけーでございます。


あ、ちなみに、昨年「いいこと新聞」はデジタルで復活を遂げ、今後も不定期発行予定です🧸


では、おやすみなさい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?