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手を通して寄り添うという事

私達の若い頃、褥瘡(床ずれ)のある患者さん、または起こす可能性の高い患者さんに対しては、2時間ごとの体位交換が必須と教えられてきた。
患者さんのベッドサイドの壁には体位交換の時間と体の向きを書いた紙が貼られ、訪室した看護師がその計画表を見ながら、体位交換をするというのが普通だった。
現在ではマットレスの普及などもあり、4時間を超えずに行うと言われているようであるが、どちらの方法にしても、患者の苦痛の程度を見ながら行うのが適切なのだろうと思う。

全身状態は良好で、日常生活に戻っていける希望のある患者であれば、ポジショニングという技術は不可欠で、リスクを少なく生活できるための方法を考えて行動することはとても重要である。しかし、身体を動かすだけの余力のない患者、痛みを伴う疾患の患者にとっては、この体位交換はかなり苦痛を伴うものと私は思っている。
だが、そこに褥瘡による疼痛や感染症が加われば、事態は最悪になる。
だから看護師は患者がつらそうでも体位交換を行う。

体位交換の目的の一つは、静止した状態で骨の周りにかかる圧を取り除くことにある。いかに患者に負担をかけずにこの作業ができるか、それを考えながら実施することが、看護の醍醐味、面白さなのかなと思うのである。


さて、昭和52年4月から看護学校で勤務することになった私は、その年の5月から北海道・東北教員養成講習会受講のため、6か月間札幌で過ごした。その後八戸に戻り、翌年4月から新入生の担任をすることになったこともありその準備でバタバタと過ごしていた。どんな学生が入学してくるのかという楽しさもあり、反面、自信のない自分もいたのは確かだった。入学生は個性豊かな子ども達が多かったように思う。(キャラが濃い子たち! 笑)


当時の学生T子の話を紹介したいと思う。

3年生の時だったと思う。内科実習でT子が担当したのは癌の患者さんだった。あまり状態の良くない患者さんだったが、個室に入院していて、奥様が付き添いをしていた。
T子は成績もよく、真面目な学生で、実習前にはカルテを見て患者の状態把握を行い、看護目標を立てて実習に臨むような学生だった。コミュニケーションをとり、身体ケアも計画し、本当に一生懸命やっていたが、決して押しつけがましい学生ではなかった。


あるときT子は、患者が無口になっていることに気が付く。付き添いの妻はT子に気を使い話してくれるのだが、患者は目を閉じたまま。
妻からは「夕べもあまり眠れなかったんだよ。体がしんどいって」という言葉が返ってくる。
T子は数日間悩んだ。「何ができる?」「何をすればいい?」


数日後からT子は、毎朝、実習のない日でも、授業の始まる前に患者の病室に顔を出した。朝の挨拶後に、患者の背部に手を入れ、ちょっとした除圧。背中の凝りや腰の痛みがある人ならわかると思うが、結構気持ちがいい。

手を使う仕事って、手を通して人のぬくもりや、繊細さや、技術の良さまでも伝わってくると私は信じている。
ちょっとした除圧で、気持ちよさが感じられ、その間だけでも一つの苦痛が取り除かれる。そんな時間をT子も望み、また、嬉しいことに、患者さんもその時間を喜んでくれていたという事を、患者さんが亡くなった後に奥様から聞かされた時は、皆、涙、涙だった。


T子は、自分の手を通して「患者に寄り添っていた」のである。


私が卒後1年目に超えられなかった「死を目前にした方」への看護の方法を
T子は、逃げることなく、自分にできる精一杯のことでやりきった。
(T子の看護記録をまとめたものが後日看護系雑誌に掲載されている)



私が初めて担任したクラス
T子以外にもいましたよ、いろんな学生たち。
若干27歳の新米教師の私を支えてくれた彼女たちに
あらためて「ありがとう」と伝えておこう。



思い出すまま、綴りたいまま、長くなってしまいました。
ありがとうございます。





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