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ゴーカートでコースアウトして茂みに突っ込んだ件

 忘れもしない、小4の夏。旅行中に事件は起こった。その場にいた人たちの表情や、こぼれ出た言葉の一つ一つを私は鮮明に覚えている。そして私はこれを機に、22歳に至るまであることを頑なに拒み続けることになる。
 「暑いね、涼しいところ、行く?」父の一言で避暑地に旅行に行くことになった。行き先は長野県、蓼科。小4のあおに小2の妹、幼稚園に通う弟という遊び盛り3人を引き連れるということで、向かった先は白樺湖湖畔にある遊園地。動物との触れ合いを楽しみスワンボートで大はしゃぎして、さぁ次は何をしようかというとき、何やら刺激的な文字が飛び込んできた。
 「アドベンチャーカート」。当時女の子よりも男の子と遊ぶのが大好きだったあおにとって、アドベンチャーという単語は魅惑的でしかなかった。吸い寄せられるように看板に近づく。母が「やりたいの?」と訊ねた。「お母さん、これ、やりたい」。こうして、あおはお目当ての「アドベンチャーカート」という名のゴーカートで遊べることになった。
 「小4になったし、運転やってみるか」「うん」父の提案で人生初のハンドルというものを握ることになった。「よーし」係員のおじさんからレクチャーを受ける。「右がアクセル、左がブレーキだよ。スタートが肝心だから、力いっぱい、踏むんだよ~」「は~い!」できる予感しかしなかった。ガンガンスピード出して、白樺湖の伝説になってやるぜ!!くらいの意気込みだったと思う。「となりにあか乗るから、しっかりね」「うん」妹が助手席に乗ることになった。「おねえちゃん気を付けてね」「まかしといて」そして。「じゃあスタートしてください」係員の声。よし観てろよ父上母上よ、これが白樺湖の風、あおの走りだ!!行くぜ!!
 意気込みが足に伝わり勢いよくアクセルを踏んだ。その結果、カートは風のように、いや我を忘れたイノシシのように真っすぐコースを駆け出した。すぐにカーブに差し掛かるが、曲がれない。曲がり方が分からないのだ。ハンドルというものは本来車を意のままに操るための装置のようだが、そのときのヤツは恐怖に耐えるために掴まる手すり同然だった。身体が浮き上がるほどの衝撃でタイヤを埋めて作られた柵にぶつかった。「お待ちくださ~い今行きまーす」やばい。かっこわるい。このままでは、白樺湖の伝説になれない。それどころか運転が下手で係員に助けてもらった哀れな小学4年生に成り下がってしまう。「くっそ…負けるかよ!!!」当時の少年向けアニメはかろうじて気合と根性が窮地をひっくり返していたものだ。私はアクセルを路面にこすりつけるかのように踏みつけた。「をーーーーーん」明らかに無理をしている機械音。よしよし、ゴーカートもやればできるじゃねーか。と思ったら柵を乗り越えていた。カートは道なき道を走り出した。待て待て、そうじゃない。サーキットに戻って華麗な走りを見せるんじゃなかったのか?そうだブレーキだブレーキ!とまれとまれ!私はブレーキを踏みつけた。とまらない。カートは暴れ馬のようにあたりの可憐な草花を踏みつけ、傍若無人に振舞った。なぜだ、なぜだーーーーーー!!!サーキットの外、皆さんが平和に遊んでいる公園に入りかけた、その時。
「ガサガサガサーーーーッ」サーキットの外の茂みに突っ込んで、ようやく車は止まった。
「おいおい」係員さんが苦笑いしながら駆け寄ってきた。恥ずかしくて、目を合わせられない。「コースを外れるだなんて、前代未聞だよ…」何も言えない。「あおちゃん、何やってるの」運転だ。ただ、思った通りに行かなかっただけで…。
 「あおちゃん、運転向いてなかったみたいだね」「あか、大丈夫?」「…速かった。色んなことが頭から次々浮かび上がってきた…」どうやら私は齢8歳の妹に短い人生を振り返らせたらしい。「もう、できないなら最初から言えばいいのに」「あおちゃん、これじゃあ大人になって車運転したら何人も轢いちゃうね…」
 こうして、私は白樺湖の伝説になった。当初とは全く違う意味で。さすがに私も人の子なので、反省というものを知っている。もう二度と、一生、ハンドルというものを握らないと心に誓った。22歳で、どうしても就職に必要だからと免許を取りに行く羽目になるまでは。

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