【フワッとエッセイ】多数決

多数決、結構意味ないんじゃないかと思い始めてきた。多人数で物事を決める際に公平…というかなんとなく中間点を取るのに多数決は向いているけど、実際はそんなことないことが多い。とくにインターネット。

ぼさんないとのサーバーで◯曜日開催したいんだけどどう思う?って聞いたとき、実際出たい(出られる)人がいるか確認したかったから聞いた。なんだけど、冷静に考えるとこれって「開催してほしい」に入れ得なんだよな。と票を見て思った(みんな参加してくれたので悲惨なことにはならなかった)

自分が出られなかったとしても開催してほしいに入れ得だし、出られるんだなら開催してれば得。基本的に開催してほしいに入れればいい。

これは「〇〇の記事を書いてほしい人いますか?」にも共通。あれば得だし、わざわざ「書くな!」なんて言う必要もないから、少しでも気になるテーマであれば「見たいです」と社交辞令アリで書くわけです。

「需要ありますか?」にどれくらい意味があるのかというと、インターネットにおけるこのワードは全くないのではないかと思っている。聞きたくなるのはとてもわかる。けど、かまってちゃんと言っていいだろう。やりたいならやればいいし、やらないならやらなくていい。

インターネットは自分の好きなことを、やりたいことをやればいい場だと近年さらに感じるようになった。反対に無駄に噛みつくのもバカらしい。他人に対して割くリソースモッタイナイっす。

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