映画『君たちはどう生きるか』が反戦映画である理由

映画『君たちはどう生きるか』は反戦映画である。もちろん、宮崎駿自身が語っている通り本作のテーマは複雑な心情を抱えた少年の成長物語であることに疑いがない[1]。しかし、宮崎駿作品によくみられる、登場人物や状況の説明がなく、観客の理解が追い付かないという特徴が、本作においては特に顕著であることもあり、多くの観客は本作の根底にあるメッセージを見いだせていない。本稿は、本作の底流にある思想を理解するには反戦の訴求という要素が不可欠であることを説明することに主眼を置くため、少年の成長というテーマは所与のものとして取り扱わない。本作における悲劇は言うまでもなく母親の死であり、少年と母親の別れである。その原因は「戦争」であり、本作においては悪として扱われている。


理由① 歪んだ家族像

少年の家族は裕福な上流階級であり、上流家族に投射される像は悪として描写されている。本作の舞台は描写から1994年の夏~秋の季節と思われ、本作内でも言及されている通り、物資が不足しているにも関わらず、軍需事業の恩恵もあり富を享受している。戦争を推進しているにもかかわらず平穏な暮らしを享受する様は、わざわざ作品の中で描写されている出征兵士とは対照的である。軍需事業を展開する少年の父親は、母の死を引きずる少年とは対照的にすぐに再婚し、悲しみを浮かべるシーンは皆無である。

父親は見栄を張って少年を車で学校に連れていき、同級生に嫌われた少年は自傷行為に及ぶ。自傷行為による傷は悪の象徴として作品内で言及されており、少年の内面に影響を与えた歪んだ家族像が悪として扱われていることが分かる。

理由② 神隠し世界の崩壊が戦況の悪化を招く

神隠し世界において、少年の先祖は潔白の積み木(石)の均衡を保つことで世界を支えてきたが、神隠し世界がこの均衡を保てなかったことにより、現世の戦況は急速に悪化していく。神隠し世界は現世に命を吹き込む機能を持っており、このことからも神隠し世界は現世の均衡を支える役割を果たしていることが分かる。しかし、少年の先祖は潔白の積み木により世界の均衡を支え続けることに限界を迎えており、少年に後任を託そうとしたものの、歪んだ家族像に影響を受けた少年はその役割に就くことができなかった。

なお、神隠し世界を破壊する直接的な原因を作ったのはペリカン一族だが、彼らは作品内では自らの生命維持に必要な行動しかとっておらずあくまで単なる神隠し世界における生態系の一部でしかないため、悪役にはなれない。そもそも、ペリカン一族が神隠し世界を破壊するまでの流れを作ったのは、少年が犯した禁忌に他ならない。

神隠し世界が崩壊した後の1944年の夏以降、史実では沖縄戦、大規模空襲、原爆の投下と戦況が急速に悪化していく。作品内では少年の先祖によって「焼き払われる」と示唆されているに過ぎないものの、均衡を支えてきた神隠し世界の崩壊がこうした時系列の中に置かれていることが偶然と言うのは不自然である。

理由③ 親子を切り裂いた戦争

そもそも、本作の悲劇は少年と母親との別れであり、その原因は言うまでもなく戦争である。作品の序盤の時点で空襲により母親を失った少年は、神隠し世界において若者時代の母親と再会する。少年と母親はつかの間の幸せを享受するものの、神隠し世界の崩壊により、幸せの時間は終焉を迎えてしまう。前述の通り、神隠し世界の崩壊は歪んだ家族像に影響を受けた少年の行動が原因であり、根源的にはそのような歪んだ家族像を生み出した戦争に根本原因がある。直接的に戦争への嫌悪感を惹起する表現は本作に置いてなされていないものの、戦争が親子を切り裂くという、極めてオーソドックスな反戦描写が根底にある以上、反戦という要素抜きで本作を解釈するのは不可能である。

小括

本作は、歪んだ家族像に投射された少年の内面が神隠し世界の崩壊を招くという筋書きであり、その根底には戦争が諸悪の根源であるという反戦的な思想がある。一方で、ロシアのウクライナ侵攻によって戦争が“現実のもの”となり、戦争に対する否定的イメージが少なくとも日本国内には強く波及していることもあってか、本作では反戦という要素を強く訴求するような内容にはなっていない。しかし、根底にある思想から考えると、『風立ちぬ』と同様、戦争や、戦争を推進する人々の愚かさを非難するべきだ、というのが本作のメッセージであると読み取れる。

批判

本作の舞台も太平洋戦争であるが、陳腐化しているという印象がぬぐえない。戦後平和を維持してきた日本に戦争の現実を想起させるには太平洋戦争を取り扱うしかないという事情もあるのだろうが、現代を生きるほとんどの人々は80年前の戦争を経験しておらず、戦後の平和な日本で生きてきたのであり、それ以前の歴史的事象がそうであったように、過去の出来事になりつつある。また、世代が遷移していく人々に対して、太平洋戦争をモチーフとして反戦を訴求し続けるには無理がある。せめてベトナム戦争やアフガニスタン紛争をモチーフとするなど、現代を生きる人々に残っている記憶・価値観に訴求できる内容にすべきではないかと考える。

[1] https://book.asahi.com/article/14953353

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?