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深く深く愛した彼。永遠のお別れ。

久しぶりの投稿になりました。
心の整理がつかず、記事を書く気持ちになりませんでした。

正直、心の整理ができたというわけではなく
冷静に分析ができるようになってきた、と言う方が正しいかもしれません。

彼と私の歪んだ生活について綴ることが多かったですが、結論をいうと、私たちはお別れをしました。

お別れという話し合いのカタチではなく、

逃げました。

どうしても人は、特に私のような人間は感情に翻弄されてしまいます。

相手を好きな強い感情、異常な愛情、
執拗な嫉妬、すべてを捧げても彼を守りたい

自分がどんどん嫌になり

そんな自分からも脱したかったのです。

4月、彼に対して乱される自分を保つため
時々の逃避をしていましたが

やはり彼のことが好きで好きでたまらず、
ずっと一緒にいたいと思い

彼と共に住む家に戻ろうと決めました。

せっかく戻ったものの、彼はよそよそしく、
さらに次の日からまた先輩の別荘へ泊まりに行くとのことでした。

なので、ゆっくり2人で話す時間はありませんでした。

そして次の日、将来のために2人で貯めていた口座に幾らかを入金したところ

彼からのLINE。

〝なぜ入金したのだ。別々にしようと言ったはず〟と、言うのです。

私にとって、2人の口座に入金したということは
もう一度仲良くやりなおしたいという意思表示。

発達障害傾向のある彼には、言葉の裏側の意味や
行動の意味を読み取る力がありません。

そして、この言葉を言えば相手が傷つく、
という単純なことがわからないような子供です。

私は彼を理解しようと努力し、支えてきたつもりです。

だけどまたそこからLINE上で喧嘩になり、
キラーワードを言いました。

「青子ちゃんとはこんなんじゃやっていけません。もう一緒にいるのは無理です。よく考えた結果です。わかってください」とのこと。

彼はすぐ「別れよう」と言い
面倒なことに向き合えません。

そこで私はついにプチンと頭のなかが弾けました。

もう無理ーーーーーー!!!!


過呼吸になるほど泣きながら、もう私の心はズタズタで、限界だ、と全身で感じました。

後先を考えられない彼。
自分の都合が悪いと逃げる彼。
感情に任せて暴言を吐く彼。
常に上から目線の彼。
俺から青子ちゃんが離れるわけがないと思っている過剰な自信。

「別れたい」と言われ
一度、私が家を出ようとしたときに
泣きながら「やっぱりやだ、さみしい」と泣いた彼。

私は、「逃げなきゃ」

そう、思いました。

彼の家族から私はものすごく好かれていましたが、
私の両親は、彼との付き合いに反対していました。

そして、わたしが昔、傷つけられたことを知っています。

母親に泣きながら電話をしたところ
「いますぐ荷物をまとめなさい!!」

と、私は無我夢中で自分の荷物をまとめました。

物凄い量でしたが、

3時間後に両親は大きな車で迎えに来てくれ、

3人で荷物をすべて運びこみました。

「愛しているよ。愛しているから忘れるね。
元気でね。」と書き置きを残し

5月分の家賃を添えて、2人の家から私は出ていきました。

2人で築いてきた同居生活、2人で選んだ家具、カーテン、インテリア、、

私はすべてを捨てました。

そして、川崎の実家へ荷物を運び込みました。

前にふと思い描いていた『復讐』。

復縁をして、
〝彼が私を本気で好きになったとき
私が彼を捨て、彼がいないあいだに出て行き
もぬけの殻になる〟という作戦。

そんなことはできないほど、好きになっていましたが

…実行するしかありませんでした。

彼が戻ってきたら、また感情にほだされてダラダラと一緒にいてしまう。

私はまだ彼を好きなまま、
復讐を果たしてしまったのです。

次の日、不動産屋へ行き、内見、契約、
トントンと決め、私は物凄いエネルギーを使いました。

ほんとに、ほんとに、疲れました。

彼を愛している、という気持ち。
だけど一緒にいては堕落する。

私は、頭のなかでは

私と彼との関係性の正体をわかっていました。

それは、

共依存

です。

お互い、心の問題を埋めるため、
そして似通った性格、
喧嘩して、仲直りした時の快感、
幸福感で誤魔化されてしまう仕組み。

お互い、強く強く惹かれ合わざるを得ない存在でした。

そして、私自身にも自覚のある

恋愛依存症

という、心の病。

私の祖父母は、共依存関係でした。
なので、共依存であったとしても
もっとお互いが努力すれば乗り越えられるし
時間をかけても改善していくと信じました。
私は心から彼と一生を共にしたかったのです。

悪いのは、彼だけではありません。
私が、彼をそうさせ、甘やかし、
前にされた酷いことを
結局、最後まで許せなかったのです。

私は彼から抜け出し、
はじめは、解放感でいっぱいでした。

だけど、会いたい、会いたい、会いたい

そう思うたびにグッと堪えました。

彼のLINEブロック、SNSもすべてブロック、
着信拒否。

永遠に会わない覚悟で家を出たのですから。

あれから、彼の家族から連絡があり
私のことをとにかく心配してくれ
本当ごめんね、とのメッセージ。

喧嘩以外は仲が良くて、あんなに2人で笑い合えて、楽しい時間を過ごせた。

なかなか、その感覚は忘れられないし
辛くて寂しい時間に蝕まれました。

支えになったのは
私の大事な仕事が続き、とにかくそこに向けて奔走するべき対象があったことです。

少しだけ仕事も一旦落ち着き

こうして客観的に自分を省みていることができています。

私には、まだ、心の隙間があり
弱い人間だというとが
身に染みてわかりました。

後から聞いた話ですが、

私が「もうさよなら!」とLINEを打ち、
2人の写真アルバムをすべて消去しブロックしたことで

もしかしたら青子ちゃんはもういないかもしれない、と予感をしていたそうです。

「もし本当にそうだったら俺は一人でいるのがこわいから、家まで着いてきてほしい」と後輩に頼んでいたそうです。

そして、別荘から帰ってきて家のドアをあけ

もぬけの殻になった部屋と、書き置きをみて

彼は、崩れ落ちて号泣していたそうです。

やはり彼からのLINEの発言は、

本心じゃなく、私と離れたくなかったのです。

だけど、大切な相手への発言には
きちんと責任を持つべき。

あまりにも、私は彼の感情に振り回され
2度も別れを迎えたのです。

今回ばかりは、本当のお別れ。

彼も私もお互い、
戻るつもりはありません。

将来の相手ではない。
ご縁がなかったのです。

けれど、私が全力で彼を愛していたことは
このnoteの記事に刻んである。

すべて愛でしか動いていませんでした。

本当に大切でした。

楽しかった。

充実した濃くて短い日々だった。

私は、無意識下では、

もしかしたら別れるかもしれない、

そんなことも感じていました。

何故なら、
同棲をはじめても、
なぜか「住所変更はしないでおこう」と思っていた。

そして、2人の口座に自分が入金していた全金額を計算していた。

そして、2人でいるとき〝たくさん思い出を残そう〟と写真を沢山沢山撮っていました。

結婚したい、家庭を築きたいと願いながら

心のどこかで、
これは期間限定の宿命なのかもしれない

と、わかっていたような気がします。

都合の良い、後付けかもしれませんが。。

私は、あんなに深く人を愛したこと、
そこに大きな価値がある、と

とにかく
前に進む。

私はこれからもずっと彼を、
愛しています。

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