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『お姉さん』という原典

 メスガキが好きだ。

 舐め腐った態度で「ざぁこ!」と人を罵り、受け身な男の身体を弄ぶ。

 破廉恥な男たちの想像によって少しずつ輪郭を帯びて、やがて形作られたその姿は僕の心をどうしようもないほどにムラムラさせ、幾度となく果てさせてきた。だからこそ『メスガキ』というジャンルは、僕にとって至高の性癖であると断言できた。

 しかし先日の『お姉さん』との再会は、そんな僕に再度問いかけてくるのだった。

 「いったいいつから、君はメスガキを好きになってしまったんだ」と。


 ーーそれは三月上旬のこと。

 まるで時の流れを遅くする魔法でもかけられたかのようにゆったりとした雰囲気の研究室で、僕と隣人たちはすっかり話し込んでいた。

 話題は『今まで読んできたジャンプ作品について』。僕と彼らはどうやら四捨五入したら同い年というだけにほぼ同じ時間軸を生きてきたらしく、共通して読んでいる作品というのも割と多いようだった。

 「個人的に『パジャマな彼女』はよかったと思う」「『クロガネ』も案外面白かった」「『いぬまるだしっ』は70点」

 話を重ねるにつれその場はどんどん盛り上がっていき、脳裏には2009年の景色が広がっていく。

 スマホのない時代。ちゃぶ台の上には麦茶の入ったポット。窓からこぼれる日差しに鬱陶しさを感じながらもひたすらにWiiリモコンを振り続けたあの日の汗ばんだ自分。このときはまだ性欲なんてものも感じていなかったように思う。

 やがて景色が完全に浮かび上がり、脳内を完全に支配する。しかしその景色を見て僕が感じたのは懐かしさではなく、小さな違和感だった。

 違和感の正体はたった一人の『お姉さん』だった。

 2009年の景色の中、もぎたての果実のように爽やかな雰囲気をまとった高校生の『お姉さん』があの日の僕の前に立っていたのだ。風になびく黒色の長髪を左手で押さえ、清廉な彼女にやけに似合う妖艶な笑みを浮かべながら。

 そんな彼女の姿に思わず心臓が走りだした。「『お姉さん』の正体が知りたい」という気持ちが昂りだし、気づけば僕は隣人の一人に”『お姉さん』の正体”について訊ねていた。

 その隣人は長考の末、僕に一つの作品を告げた。

 「『あねどきっ』かもしれない……!」

 僕は家に帰るとすぐにU-NEXTを開き、またも記憶の濁流にのまれてしまわないように大急ぎで検索欄に『あねどきっ』と叩き込んだ。

 数秒後―ー僕はその日、『お姉さん』と再会を果たした。『お姉さん』は昔となにも変わらない姿で僕に微笑んでいた。


 ネットで調べてみると、どうやら『あねどきっ』という作品は2009年から2010年の間、ジャンプで連載されていたらしかった。

 簡単に内容をまとめると、一人暮らしをする中学一年生の主人公の下に『お姉さん』ことメインヒロインの萩原なつきが強引に押しかけてきて、主人公は無防備ななつきの色香にドギマギした日々を送ることになる―ーといった話。いわばどの時代のジャンプにも一つは存在するお色気漫画だった。

 作品の舞台は2009年頃だっただけに、作品内にはその時代に流行ったものが散見され、話を読み進めていくうちに僕はノスタルジックな気分になっていった。中には『なつきに手ほどきを受けながら、Wii sportsをやる』なんて回もあり、僕は夜の中で一人、声にならない声を出しながら悶絶した。

 ああそうだ。小学生のときの自分はただただ『お姉さん』にドキドキしたいだけだったじゃないか。

 「エロい!」とのたまい相手を白く濁すのではなく、一緒にWii sportsをやってたらつい胸に触っちゃったとか、そういうたまに起こるラッキースケベに胸を高鳴らせたいだけだったじゃないか。

 小学生の時の感情がよみがえり、今の自分と過去の自分の意識がリンクしていく。

 やがて意識がほとんどリンクすると、僕は2009年の8月の景色の中にいた。猛暑が振るう真昼間、外で騒ぐセミにやかましさを感じながらも、僕はまだ高校生だった従弟に借りた週刊少年ジャンプを読み進めていた。

 しかしその手は、ピンク色のページで止まってしまう。眼前に映る『お姉さん』はまるで悟りでも開いたかのように涼しい顔で僕に言った。

 「あたしに何か隠し事してるでしょ」

 たった一つリンクできなかったこと―ー現代の僕が『お姉さん』にまったくドキドキしなくなっていたのは彼女にバレバレのようだった。


 『あねどきっ』を2巻まで読み終えたところで僕の意識は現代に戻ってきた。3巻目を読むにはポイントが足りないらしく、どうやら僕の時間旅行はひとまずここで終わりのようだった。

 天井を仰ぎ、独り言のように質問を投げかける。

 「一体いつ、僕の擬音はドキドキからムラムラへと変わってしまったんだ……」

 木造の天井には木目によってできたたくさんの顔があり、彼らは一様に僕を凝視してくるが、誰一人としてその質問に答えることはなかった。

 浅くため息をつきながら、僕は『年下幼馴染みは、お兄ちゃんを開発したい』を再生する。『お姉さん』では拭いきれなかったムラムラを解消するためだ。

 いったいいつから、お姉さんではなくメスガキを一番好きになったのかはわからない。けれど、一つだけ断言できることがあった。

 きっともう過去の自分が持っていたピュアな劣情を、今の自分が持つことはないんだろうな…。

 2022年三月某日の夜。ティッシュの衣擦れの音だけが、寝静まった家の中に空しく響いた。


 

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