大学4年間を振り返ってみる

2024年3月31日
今日で大学生活が終わります。
大学2年生の夏から踊ってみたをはじめて、いろいろな出会いと学びがある時間になりました。
実は結構ぐちゃぐちゃな気持ちで過ごしてきた4年間だったので、
いつも近くで応援してくれるみなさんにそのことについて少しだけお話したいと思います。

割と色々あったから、老後に思い出した時に本にでもしようかと思ったくらいなんだけど、自分もいつ死ぬかわからないので、このタイミングで簡単に書くことにしました笑

長文&乱文なので寛容な方だけ読んでください!
(この文章の内容について、書いてあること以上はお話できませんので、配信や個別での質問はお控えください)


コロナ禍で大学生活スタート 踊ってみたを始めるまで

今年卒業する大学4年生の多くはコロナ禍で大学生活がスタートしてることと思います。
わたしも例外ではなく、オンライン授業を受けていたことが学生生活の記憶の大部分を占めています。
そんな学生生活の様子は世界中の同い年たちがたくさんしているのでここでは割愛しますが、
正直だいぶしんどかったです。

そんな時期から踊ってみたを始めるまでの流れは一度Xにまとめたことがあるので
こちらをご覧ください↓

2023/11/15 の投稿


わたしが踊ってみたを始めた大きな理由は、ラブジェネレーション21です。

中学生の頃から大好きだったやこまなぺんたさんと踊るオーディションがあると聞いて、
ダメもとで参加すれば、大人になってから「学生時代にやった意味わからないチャレンジ」として飲みの場でのおもしろエピソードにできるかな、ぐらいに思っていました。不純すぎる…

応募した動機は軽いものだったけれど、やるからには全力でやってみようと意気込んでいて、
そう思うほどまでに、当時のわたしは失うものがなくて自由でした。


ラブジェネの思い出


オーディションは、自分でもきょとんとするくらいうまくいきました。

一次審査はニコ生のギフトのポイント数で決まります。
オーディションから活動を始めたわたしにとっては本来絶望的なシステムで、最初はうまくいくはずがないと思っていました。

それでも審査期間中ほぼ毎日配信をしていると、視聴者さんの数が日に日に増え、踊ってみた動画もどんどんみてもらえるようになり、
一次審査の結果はなんと全体の2位でした(!)

困惑したし、正直怖いとまで思いました。
けれども今まで知らなかった人たちから純粋に応援の言葉をもらったり、配信で話をしたり、みんなで一緒にオーディションを乗り越える経験はとても新鮮で、とても楽しかった。

意気揚々と2次審査のダンス審査に参加し、最終審査まで進むことが確定しました。

ダンスが楽しい!注目してもらえて嬉しい!
そんなお花畑気分で歩く2次審査の帰り道。
途中で大雨が降ってきて、家まで走ってダッシュで帰りましたが、それすらも楽しかった気がします。




思いがけない出来事


2次審査が終わってすぐ、最愛の父が急逝しました。

頭が真っ白になるとはこういうことかと思いました。
当時一人暮らしをしていた部屋で電話を受け取りました。その瞬間の景色と電話口の声を、わたしは一生忘れられないと思います。
あの頃の家族や親戚の様子は、今思い出しても息が苦しくなるほど混沌としていました。

わたしはというと、無意識のうちに気丈に振る舞おうと精一杯でした。
父がいなくなった今、わたしだけはしっかりしてみんなを支えなければいけないのだと訳もなく感じていたのです。
悲しみに暮れる瞬間を作らないように、葬儀の準備や親戚への連絡に必死でした。

そして、最終審査が数週間後に迫ったラブジェネのことを考えました。
辞退するという選択肢ももちろん浮かびましたが、「それだけはダメだ」もう1人の自分が言っているようでした。

理由は大きく二つあるように思います。

一つは、一次審査でたくさんの有料ギフトをいただいたことで最終審査に進めたという事実。
ここでわたしが辞退してしまうと、理由はなんであれ、ギフトを投げた人にとっては詐欺も同然だし、きっとたくさん非難を浴びるだろうと思いました。
申し訳なさもありましたが、不特定多数の人間に嫌われることが怖かったのだと思います。

もう一つは、父との思い出。
小さい頃からバレエやダンスを習わせてくれた父でしたが、わたしがダンスに本気になればなるほど、父にはそれが理解できなかったようでした。
現に、中学高校時代にはダンスが原因で父とよくぶつかりました。
それでも、対話を重ねる中で父は理解しようと努力してくれたし、コロナ禍で大学生活を思うように送れないわたしの姿を見かねて、ラブジェネへの応募を渋々承諾してくれました。

最終審査まで、練習する時間はほとんどありません。
けれど、ボロボロの踊りかもしれないけれど、このオーディションの機会を投げ打っては父に申し訳ないと思いました。
もし諦めてしまえば、きっと父に「ほら、その程度だったんじゃないか」と思われてしまう。それだけは絶対に嫌でした。

そして迎えた最終審査。きっとアドレナリンが出ていたのでしょう。
気合いだけで踊りきり、なんとありがたいことに、合格をいただきました。


踊り手「あおか」として


その後ダンマスに出演したり、イベントの出演が決まったり、たくさんの踊り手さんとコラボしたり、、、踊り手としてのチャンスを次から次へといただけたことは、知っていただいている方も多いかもしれません。
毎日が本当に充実して、わたし自身も「あおか」としての人生が大きく動き出すことにワクワクしていました。

けれど、プライベートのわたしの感情はそんな華々しいものとは程遠かった。

「あおか」としてたくさんの人にチヤホヤされてから家に帰れば、仮の仏壇と納骨前の骨壷が静かに佇んでいて、今までの家族の形がなくなったことに気付かされ呆然とする日々でした。

大学2年生の後期が始まる頃、同級生の間では遊びに行ったりオンライン授業を一緒に受けたりする空気になっていましたが、わたしは新しい友だちを作る気分にはとてもなれませんでした。
それまで続けていたアルバイトも、あっさりと辞めてしまいました。
やがてリア友と繋がっていたSNSのアカウントを開くことさえ怖くなりました。

「あおか」でないプライベートの自分は、人と関わることに怖気付くようになっていました。
ふとした瞬間にプライベートの自分と「あおか」の乖離に苦しくなることが、実はつい最近までありました。

現実に向き合いすぎると、潰されてしまうような気がして、
だから、その分踊ってみたにばかり夢中になりました。

自分の本名や通っている学校、家族のことに興味を持たない人たちと一緒に作品を作り、踊りをみてもらい、純粋に応援してもらえる環境。
そんな環境が、当時のわたしにはすごく心地良かったのです。


卒業します


そんなこんなで、現実を遠ざけて踊ってみたに打ち込み、ご縁があってダンスの仕事にも携わらせていただき、忙しくしているうちに、あっという間に大学生活最終日になってしまいました。

インスタで友達の卒業式の投稿を眺めていると「コロナ禍で大変だったけど、部活もサークルもアルバイトもできたし、留学もできたし、大切な友達やパートナーができて、本当に充実した学生生活でした!」というような大学生活の思い出がたくさん流れてきます。
久しぶりに会う高校の友達と話していても、そんな学生らしいことをしていたのかと驚かされます。
よく考えれば、大学生なのだから、大学生らしいことをして当たり前なんですけどね、、、


わたしだって、学生のうちにもう一度長期留学したかった。
サークルもバイトも思う存分やって、かけがえのない友達に囲まれて卒業式で写真を撮りたかった。
受験の時から受けたいと思っていた授業は、その教授のセクハラがバレたせいで受けられなくなったし、、、、
いろんなことに期待して、沢山沢山勉強して入った大学だったのに、高校生の頃に思い描いていたこと、何もできなかった。


自業自得なのに、そんな思いが、心のどこかにずっとあったような気がします。


けれどその分、わたしは他の人が経験し得ないことを経験しました。
全ては、わたしの気まぐれの決断とこだわりが招いた、摩訶不思議な巡り合わせのおかげで、
震えるほど悔しい思いや泣くほど嬉しい思いをできて、
負けたくない相手がたくさんできて、
時間やお金すらも費やして応援の言葉をかけてくれる人たちを、目一杯幸せにしたいと思えて、
憧れの人たちが見る景色に近づくことができて、
本気で目指したいと思える人や場所に出会えました。

「人生の夏休み」の内容にしては超大作だと思うし、このわたしだけの宝物を、わたしは今後一生後悔したくないです。



わたしの大好きな本にこんな言葉があります。

ものすごく悪い出来事が起きたら、第一章終わり、と言いましょう。
なぜなら多くの小説もまた、ものすごく悪い出来事を
第一章のラストに置くからです。

『20代で得た知見』著者:F

わたしの人生の第一章は20歳の夏で終わり、気づけば今までの流れからは予測がつかないような第二章が始まっていました。

そろそろ本当に大人になってしまいます。
もう苦しい思いはしたくないけれど、第二章の続きや、次の章では、もっともっといろんなことが起こるのでしょう。
おそらくわたしは、小さいことにも大きいことにも打ちのめされてしまう性格です。
それでも、きっとこの4年間の経験はわたし自身を強くしてくれたと思います。

いろんなことを乗り越えて、成し遂げて、成し遂げられない経験もしたわたしは、
胸を張っていれば、きっと大丈夫だよね…?
辛いこともどんとこい!というほどの自信はないけれど、
わたしなりに、信念を持って、
父と母からもらったこの人生を目一杯楽しみたいと思います。


最後になりましたが…


今回は辛かったこと苦しかったことばかり書いてしまいましたが、
わたしが踊っている時に心の底から笑顔でいられるのは今も昔も変わらなくて、
「あおか」になってからは、特にそれを実感していました。
応援してくれるみんなが温かいから、踊ることが本当に楽しい。

わたしは気持ちが本当に弱くて、つい弱音を吐いたりしてしまうけれど、
それも全部受け止めてくれたり、はたまた優しく受け流してくれたり、
勇気づけてくれたり、笑い飛ばしてくれたりして、本当にありがとう。
みんなと巡り会えていなかったら、きっと今頃人生絶望していたかもしれないなあ。

そして、こうやって人生の節目を一緒に迎えてくれてありがとう。

こんなクソ長い文章を読んでくれてありがとう。

これからも素敵なレディーになるために頑張るから、温かく見守ってもらえたらとっても嬉しいです!


2024.3.31 あおか


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