4/12~4/18の日記

4月12日

メディア系のひとと話をしていたところ、「ヴィデオ」を「うさぎ」と同じアクセントで発音していた。こういう、馴染みの深い領域についてのアクセントが平板化する現象のことは「専門家アクセント」と呼ぶらしい。ギタリストにとっての「ギター」、実験科学者にとっての「ピペット」、工芸家にとっての「バーナー」。とても美しい現象だと思う。

引き続き、斉藤斎藤『渡辺のわたし』(港の人)を読んでいる。連作「とあるひるね」が非常に良かった。視点を装うという祈りと、けれどそこにはあらかじめ失敗が含まれることが理解されていることについての連作として読んだ。祈ることは勝手な行為であるけれど、それでも祈るということは美しい。第二歌集の連作「棺、「棺」」も近接したテーマを扱っているので併せて読み返したい。

わたしの好きなSF小説もそうだけど、あまりに巨大な哲学的思索を経由して、けれど最終的に戻ってくる場所が身辺の愛であるというところが好きなのだと思う。

貝殻をつまみあげたら貝じゃないか、と波打ち際に捨てられる貝
斉藤斎藤『渡辺のわたし』(港の人)p.83

トーキングモジュレータは機械と人の音を介した相互移入的な関係としてボーカロイドと別のアプローチを採用していて、こちらももうすこしきちんと掘ると面白いのではないかと思っている。

肩にいもむしが付いていて驚いた。春すぎる。

4月13日

大森望責任編集の『NOVA 2023年夏号』(河出文庫)を読み始めた。序文がとても良い。Web河出で試し読みができるので、日本SFの書き手とその偏りについて関心のあるかたはぜひ。

『NOVA 2023年夏号』は日本で初めての、女性作家だけの寄稿した書き下ろしSFアンソロジーであるらしい。文中で引用されている『走る赤 中国女性SF作家アンソロジー』(武甜静・橋本輝幸・大恵和実編/中央公論新社)の序文が非常に良い。わたしはわたしのものを含めすべてのテクストについて、書き手の属性を介して読むことには慎重であるべきだと考えるけれど、無自覚なものも含めて現実にはバイアスがあり、それを是正するためには現状とは逆方向に振ってみせるという操作が必要だったりもするのだとも思う。トーン・ポリシングをしている場合ではない。

センサーライトの前に光の粒が留まっていると思ったら若い蜘蛛だった。

『NOVA 2023年夏号』収録の高山羽根子「セミの鳴く五月の部屋」が傑作だった。物語/非-物語を生きるということと、NPCと人称についての実験的な作品だった。導入が非常に物語的想像力を喚起しながらも、ラストではその想像力をエンジンとしない語りへと変質してゆくのがテーマと接近していて非常に良かった。

NPCという存在の仕方については遠野遥『浮遊』(河出書房新社)を参照するのも面白いと思う。あちらはホラーゲームにおける主人公のムービーパートについての存在論も扱っていた。同一の人物でありながらもプレイヤーが操作できなくなるということと、憑依について考える。

今年は《幽霊 : unpurposefulness》をテーマに文章を書いたり読んだりといった活動をしているのだけど、幽霊を追っているとNPCに出くわすことがかなりの頻度である。近接領域であるのかもしれない。

ベーコンポテトパイが美味しすぎるという脆弱性についての報告。

4月14日

気を抜くと施川ユウキ『バーナード嬢曰く。』(メディアワークス)を電子でも揃えそうになるので気をつけている。あれは出先で不意をついて読みたくなってくる。

月刊『アンビグラム』4月号、いい作品が集まっている。.38氏「保健だより」(回転型)が非常に自然にできていて良かった。「保」と「だより」の対応があまりに美しい。そういえば「ひらがなって漢字を崩して作られたんだったな」とその由縁にまで思いを馳せてしまった。

アンビグラムにはさいきん強く興味を持っていて、未発表の小説のなかでもひとつのトピックとして扱った。「文字にはかたちと意味がある」という、言葉にしてしまえば当然と思えてしまうようなテーマに大真面目に取り組むのがアンビグラムで、その両義性の横断には人間の認知のバイアスを用いられている、というようなことを語った。夏ごろには発表されるんじゃないかと思う。

その意味において、昨年見たigatoxin氏「三次元」(回転型)には非常に強く衝撃を受けた。意味と形と認知というアンビグラムの三つの成因に明確な解決を与えつつ、特に認知においては、三次元の投影図であるという理解を挟ませることによって、「三」では線をデザインとして、「元」では線を記号として扱うという離れ業をやってのけている。日本語アンビグラムの傑作のひとつだと思う。

月あかり研究会「宝石の降る夜に」
良いポエトリーリーディングだった。雑居ビルと猫のところが小気味よい。

横を通りかかったゲームコーナーにマルマインのステッカーが貼ってあって良かった。いいねえ、全部爆発させようぜ。

『バーナード嬢曰く。』を電子でも揃えてしまった。気を抜いた。

4月15日

斉藤斎藤に指摘されるまで「くちぶえはなぜ遠くまで聞こえるの」が五七調であることに気付いていなかった。

知人に「数学的帰納法がその無限の手続きを以下同じ繰り返しだからと省くのはおかしいのではないか。計算には時間がかかるはずだ」というようなことを言われたことがあるのだけど、斉藤斎藤の常に失敗し続けることが織り込まれた祈りの優しさについても同じことが言えるような気がしている。その演算のわずかな隙間にだけ宿すことのできるプランク時間未満のひかりを祈りとしている。

引き続き『あの夏ぼくは天使を見た』(絵 焦茶・詩 岩倉文也/KITORA)を読んでいる。岩倉文也の詩集にはどこかで感じたことのある手触りがするなと思ったら岩倉文也の掌編集だった。作家性というやつだ。

わたし自身は作家性とやらをことさらに気にかけることはないのだけど、わたしの文章は同時に「誰が書いたか分かり易い」と言われることも多いので難しい。わたしは透明な機械になりたいのだけど、透明を目指しているという意識がそもそも屈折率に似て不透明に映るらしい。

必然性によって選ばれたテーマが必然性を持った手続きによって形を獲得してゆく過程というものを信じているので、そこに不純物のなるべく混ざらないことを良しとしていて、それが突き詰められているのであれば「わたしの作品」でなくともよいはずだ。

わたしが人類で初めて文章というものを発明しておいて、あらかじめ世界を滅ぼしておきたかったな。

『NOVA 2023年夏号』収録の吉羽善「犬魂の箱」がとても良かった。パンチカード式の情報処理システムなどSFの設定にわくわくする面も多くあったのだけど、なによりいぬが可愛い。いぬの可愛さには勝てない。いぬ、健やかに過ごしてくれ。

仕組みを知っているはずだ、理解できるはずだ、という思い込みを越えてゆくことではじめて可能となるコミュニケーションがあるはずで、人の手によって作られたいぬは想定されていない挙動を見せたことで、強権的でない仕方での感情のやり取りの可能な相手となったのだと感じた。

sea-no「海底浴」

4月16日

『あの夏ぼくは天使を見た』(絵 焦茶・詩 岩倉文也/KITORA)を読んでいる。最後に収録されていた散文詩「日向のなかに」がとても良かった。気付けば与えられてしまっていた存在を、自らのものと受け止めてしまうまでのそのわずかな季節を「夏」とするような作品。

Twitterのトレンド、むやみに感情を煽るものがどうしても目立つので、地域を東ティモールに設定して回避している

KAIRUI「哥」
世界でいちばん清らかな音楽のひとつだと思っている。

と思っていたらちょうど今日が収録されていたEPのリリースから一年であったらしい。ほんとうにずっと聞いている。

精度の高いエミュレータになって綺麗で丁寧な歩行をしたい。

4月17日

知らない人とエレベーターに乗るのが嫌なので一基遅らせたのに、待っているうちにまた一人来る。

新川帆立「刑事第一審訴訟事件記録玲和五年(わ)第四二七号」(大森望編『NOVA 2023年夏号』河出書房新社)これまでミステリで一度も書かれたことのない動機なんじゃないかな。すごく面白いものを提示している。

!!!(以下ネタバレ)!!!

身内の無罪を主張する再審請求のための材料として、その証拠に立ち会った人を「誰でも良いから」裁判の場に引っ張り出したかった。裁判は公的な記録として残る」という、そもそもこの小説の存在自体が動機であったというすごすぎる小説。面白い。

動機で平伏したのは麻耶雄嵩『夏と冬の奏鳴曲ソナタ』(講談社文庫)北山猛邦『『アリス・ミラー城』殺人事件』(講談社文庫)以来かもしれない。良かった。


散文詩「通過」

最近は小説を書く前に、同じテーマでひとつ散文詩を書くというルーティーンを採用している。これはいま取り組んでいる小説のもの。

誤字があった。すこし前までごく素朴に「詩人は誤字をしない」と思っていたけれど、そういうものでもないらしい。わたしは熱心に詩を書く人間ではないので「詩人」にはあたらないが。

とてもかわいい。短歌グラフTシャツ。

くしゃみが喉の奥で中途半端に止まってしまったときに、蛍光灯を睨めばくしゅんと出てくれるのでひかりは好きだ。

4月18日

ナナロク社の造本はほんとうに真摯で良いので、本棚のよく背表紙の見える位置に差したくなる。本棚にも本の呼吸しやすそうな段とそうでない段があり、適した形に整えようとしていると一日が終わっている。

今年はなんとしてでも川遊びをするぞ。

歩く人「トレンチ」
先日のボカコレで聞いてとても良かった曲。しゃらしゃらとした音が清潔で、聞いていると体温という概念がなくなっていくようで救われる。

お話作りのためになにかを動員するということにはあまり乗り気に慣れないので、なにか祈りのためのものをそっと物語にも見えるような形で添えるような仕方で文章を書いているし、わたしにはそういうやり方しか採用できないのではないかとも思う。

ずっと読みたかった本を読み始めた。新作の資料も兼ねているので書名は伏せるけれど、わたしがここ一年ほどで考えてきたもののひとつの実践でもあり、まったくの新しい外部でもあり、とても良い読書が出来ている。

意味で埋め尽くさないと怖くなってしまうので全てを言葉で切り刻もうとするけれど、その奥にはどうしても刻めない最小の粒子があって、それで刃こぼれを起こすたびにあまりの強度と清らかさに吐き気を覚えている。工芸はその色が強い。具体的なものは単純化されていないから怖い。神だとか文字だとか夏だとか言っているけれど、それもすべて噛み進めたときに歯にあたる砂の粒が怖いからなのだと思う。

青島もうじき(あおじま・もうじき)
作家。豆乳が好き。
『異常論文』(早川書房)、『破壊された遊園地のエスキース』(anon press)など。

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