てにをのはをは行のは 2021年2月25日の日記




計画性のなさが祟ってびっくりするくらい忙しいので、寝起きでこの文章を書いている。「てにをは」すら怪しい。今も間違えて「てにおは」って書いてた。



強豪文芸部の朝練に参加する夢を見た。2kgある鉄製の鉛筆で指先を鍛えてた。いつまで高校生の気分なんだろうと思うけど、多分割と歳を取っても部活の夢は見るんだろうなぁ。文芸部に所属したことはないから架空の記憶なんだけど。文芸部に入っていた知人が目の下にクマを作って「締め切りが……」なんて言っているのを聞いてあのころは内心(普段部室でボードゲームとかやってる時間あるなら計画的にやればいいのでは……)と思っていたけれど、今になって「計画的な原稿」の大変さを実感している。文芸部の締め切り直前の徹夜は運動部における大会前の合宿程度の意味合いなのかもしれない。

私は文章を始めたのがかなり遅く、書きながら経験値の不足をひしひしと感じているので、今になって「中高生の時に文学部に入っていたかった……」とかなり後悔している節はある。あと「文芸部の先輩」という胡乱概念が欲しかったのもある。夏休みに合宿と称して文芸部のいつものメンバー4人で先輩の家に遊びに行った時に、祖父のものだというめちゃくちゃ大量に本の詰まった本棚があってほしいし、先輩の部屋にはほとんど読まれた形跡のない「論理哲学論考」が置いてあってほしい。先輩が「ネットで見た小説の設定なんだけどこれ面白くない?」と言って聞かせてきた設定の固有名詞で検索したら絶対先輩のじゃんというTwitterアカウントを見つけてしまって一方的に気まずい気持ちになりたいし、締め切り破ってるのにそのTwitterアカウントでソシャゲのスクショ挙げてるのを見かけたい。ガチャで推しを当てて発狂していてほしい。架空の「底の浅い文芸部の先輩」の妄想をしていたら楽しくなってしまった。

現実の私の部活はといえば、学校が遠かったので冬場の朝練が辛かった。なぜ4時台に起きて5時過ぎに家を出ねばならんのだ。今やれと言われたら断固拒否する。でも、比喩でもなんでもなく好き好んで地を這いつくばっていたあの日々の狂気はもう帰ってこないのだと思うと、少しだけ寂しくもある。今後の人生で「砂を噛んだような」を「ような」でなく体験できるのはもうアサリを食べた時くらいしかないのだと思うし。そうであってほしいと思ってしまっている。



今思ったけど「てにをは」の「は」を「は行」の「は」で発音するのおかしくない?

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