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フラッシュフィクション「石仏に雨」

石仏に雨

 打ち捨てられた古寺の境内には、きのこが群生している。翡翠に耀く苔の隙間より点々とかおを覗かせる子実体は、決して誰かに踏み荒らされることなく生え、やがて朽ちてゆく。決して、縊られることがない。
 かつての伽藍には月日の翳が落ち、腐食の後に水を洩るようになっていた。御堂には一尊の石仏が安置されている。そのおもてに彫られた慈悲は雨滴によって削られ、そこにはもはやいかなる表情も読み取ることができない。頭蓋へ滴った水は、渓流に似たなだらかな肩の稜線を伝い、やがて漠とした趺坐の爪先を濡らす。石仏は、貌を失うまでの永きに渡って、ただ独り境内の生を鎮護し続けていた。
 苔の下で緩やかに網目を成す菌糸は、一つの壜を抱え込んでいる。釣鐘型の壜は口を下へ向けて埋められており、誰の目にも留まることなく昏い空間を誠実に蓄えている。空間を優しく撫ぜる菌糸からはふつふつと地上へ笠が延び、深い飴色の点々は互いにきょうだい、あるいは自らの一部として在った。茸は、自らを護るために削り去られた石仏の粒子をその身に吸い上げて育つことを予め知っていた。
 渇いた日、茸は一斉に胞子を吐き出し、地表近くより這い上がる気流へ載せて宙へと運ぶ。歌う必要があるのだ。安らかな苔の絨毯を遥かに隔て凍えた蒸気は、やがて胞子を核としてひとところに集まる。鈍色の雲となり、雨を降らせる。石塊にも似たその仏像の傍にも、それは均しく。拝むものの訪れない忘れ去られた山奥で、人知れず茸は自らの分身を放つ。そこには石仏の慈悲の粒子が織り込まれており、雨滴と伴に茸は殖える。
 茸は歌う。自らの子を以って雨を降らせ、朽ちた天井の隙より這い出すその水は、滴となって堅い石肌を濡らす。滴は床へ、苔へと沁み入り、やがて菌糸の抱える釣鐘の壜へと落ちる。水滴の跳ねる音は柔らかい金音を奏で、誰にも視られることのない安堵に満ちた暗がりへと反響する。慈悲が水琴窟すいきんくつを鳴らす。無貌の仏像へと捧ぐ歌は、また流水となって石仏の表情をいっそう薄めゆく。慰めている。石仏もまた網の一部であるのだと、その存在を慈しんでいる。
 茸の歌を聞く者は苔生す境内に一人としておらず、そのため、古寺には常に清浄な空気が流れている。そうして徐々に歌の粒子と溶けた石仏は、今なお茸の一部となって古寺を護り続けている。粒子として、均しく、祈り続けている。

青島もうじき(あおじま・もうじき)
作家。豆乳が好き。
『異常論文』(早川書房)、『破壊された遊園地のエスキース』(anon press)など。

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