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#33 「祭りとは」

お祭り一家

お祭り一家で育ってきた。実家のすぐそばにある町内会の集会所は地域の祭りの拠点となっていて、2月と8月のお祭りのときには地域の人たちが毎晩のように練習・飲み会を繰り返し、私も気が付くと幼いころから当たり前のように行き来をしていた。

我が家は代々お祭りに参加していて、曽祖父も祖父も笛を吹いて踊っていたし、わが兄弟もみな笛・太鼓・唄・踊りがそれぞれできる。
テンポのよい太鼓にリズミカルな手平鐘、軽快なメロディーを奏でる笛に合わせて、身体も動くし自然と口上も覚えている。

子どもの頃はお小遣いももらえるし、という軽い理由で参加していたものの、厳しい自然とともに生きてきた昔の人々の深い思いを感じることができる歴史の深さと地域の繋がりを感じることができるお祭りがどんどん好きになった。

日本一の山車祭りと謳う「八戸三社大祭」では、見る人の心を払い清める大神楽に参加し、冬には大地の神様を起こし、豊作を願う「えんぶり」に参加する。

そんな我が家の大晦日。全員で食事をしたあとは、笛や太鼓を引っ張りだしてきて、みんなで歌って踊って翌年の健康と平和を祈る。
ただのお祭り一家で近所からしたら迷惑極まりないかもしれないけれど、おばあちゃんからのおひねりも時に飛び出し、全員が笑ってはしゃいで楽しんで、あぁ年が暮れるなぁ、今年もよかったなぁと思う。


祭りのような人生。

今年の7月末。前職でお世話になった尊敬する上司が亡くなった。50歳、癌だった。あまりにも早い突然の別れだった。
悲しくて悲しくてたまらないのに、参列したお通夜では、不思議と涙と笑顔が混ざり合っていて、お通夜という「お祭り」の中にいるようだった。

仕事に対する向き合い方、面白さの見出し方をその上司から学んだ。初めて私に大きな仕事を任せてくれた人だった。どんなに大変なときでも、大変な時だからこそ楽しそうで、そこを乗り越えるとさらなるチャレンジが待っていて、そのチャレンジをもっともっと楽しんで、、そういう人だった。イベントの前にはよく徹夜をしていたし、人をよく巻き込んでワイワイガヤガヤと、本当につらいときこそエネルギーを爆発させていた。

「高校の頃の文化祭が楽しくってさ。そういう風に仕事をしていきたいって思ったんだよ。」

私もどうしても予定していた仕事が間に合わなくて、締切が迫っていて、まったく関係のないプロジェクトをしている事務所の全員を巻き込んで手伝ってもらったことがあった。
そのときにその上司をはじめ、みんなしょうがないなって言いながらも腕まくりして夜な夜な作業を手伝ってくれて、ちょっとハイな気分になってやり遂げるのが本当に心地よかった。そのとき私はお祭りの主催者であり参加者であった。

イベントのたび、大きな仕事のたび、上司はお祭りのように楽しんでいて、あぁこの人と一緒に働くことができてよかったなぁと心から思った。

だからお通夜でも、到着した瞬間は思わず涙がこぼれたけれど、集まる元同僚や取引先やお世話になった方々の顔を見て話をしていくうちにたくさんの思い出話が楽しくなって、笑顔があちこちに溢れていた。あ、きっと上司も「お祭り」に参加してるなって。最後まで楽しそうな祭りにしてやろうじゃないかって。

お祭りのように自分の人生を生きられたら、なんて素敵なんだろう。
私もそんな人生を楽しんで生きたい。


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