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#35「今までの人生のターニングポイント」

ターニングポイント、これが書けなくて3か月が経ってしまった。
年が明け、改めて。

ターニングポイントと言われて思いついたのは3つ。

進路選択と、富士登山と、1度目の転職。
そのどれもが、この世の中にはたくさんの人がいること、世界は広いっていうことを教えてくれた。

生まれ育った地方の県立高校からは、国立の大学に行くとこが良しとされていた。そこで選んだ東京の私立大学。
入った当初は、東京出身のお嬢様が多くて文化の違いを感じることも多くて、ホームシックで泣いた日もあった。
それでも、卒業するころには大好きな大学になっていた。


バイトとテニスに明け暮れた日々も、死ぬほど飲んで渋谷の路上に寝っ転がっていた日々も、おうちに帰れずにサークル仲間の家に収容された日々も。卒業して10年経つ今も、いつでもありのままの自分を受け入れてくれる友人たちに出会えたことに感謝しかない。

富士山にはじめて登ったのは、19歳のとき。
そこで出会ってしまった。日本以外の国を知って、楽しそうに生きる人たちに。
ピースボートの仲間に混ぜてもらって、最高の星空と初日の出を拝んだ私は、翌週にはパンフレットを手にお金の算段をしていた。

初めて日本を長時間離れて、その国の人たち・言葉・文化・空気に触れる。それから、虜になった。知らない世界に、新しい世界に。


大学卒業後、ITの営業の仕事に就いた。1年半働いて、子どもの教育事業を行うNPOに転職した。転職の理由はいろいろあったけれど、一番は、そこで働く人たちと肩を並べて仕事ができるようになりたかったから。
未来のビジョンを語って大風呂敷を広げる代表に、人脈が広くていつでも楽しそうにしていて意外と腹黒い副代表。リスク管理に優れていたり、アイディアに溢れていたり、誰よりも暑苦しい情熱があったりする理事たち。

震災後、そんな人たちの背中を見ながら働く中で、はじめて「自分」のためではなく、「人」のために動くことを学んだ。
日本中の心あたたかいかっこいい大人たちに出会って、お金よりも何よりも大切なものを手に入れた気がした。


この半年、仕事でうまくいかないことが多くて、できない自分を突き付けられて、それが受け入れがたくて、でも自信もないし、、なんだか「くすぶっている」感じがする日々が続いている。
これを乗り越えたときなのか、懐かしく思えたときなのか、そんないつかの「ターニングポイント」になる日を心待ちにしながら、日々を大切に生きていきたいと思う。

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