散文備忘録
1年前に発表するために書いていたことの備忘録。個人的なメモ。
学問のワクワクの先にあるものは、自己の確立。
ヒトとして生き抜くこと、そして生を全うすることがミッション。
生き抜くためのツールが学問や経験。
学問を生徒に提供するのが教師の仕事。
数値化、理論化できないことは世の中にはたくさんある。
理科が好きでその世界に身を置いているが、自分はもともと数値化や理論化できない感情的なものに敏感なんだと思う。生徒の知識の量、感情、コンディション、その時の状況。できるだけ俯瞰して見る。そしてキャッチボールを試みる。五感を駆使する授業を展開する。
方程式や理論にあてはめ、系統立てて、…それが面白い、楽しい、もっと知りたいと思えるのは幸せなこと。『生きるのにこの知識必須なのか?』教師をやっていると、よく生徒に聞かれると思う。このセリフを聞いた時点で悔しいけれど敗北を感じるが、知識は社会でより自分が生きやすくなるため、道を広げるための武器なんだよ、と答える。
自分が仕事をするときに意識している言葉は2つ。
無理に強いられた学習は、何一つ魂の中に残りはしない。 プラトン
知的好奇心は、自己の知識や理解に「情報の空白」を認識したときに生じる ローウェンスタイン
無理強いはしないが、できうる限りの力は尽くす。
知識の空白を感じさせるトリガーになる問いを投げる。
ヒトは知を持って地球上に繁栄してきた。知ることは自分の可能性を広げる。広げなくてもいいという選択肢もあることを伝え、選択肢を決めるのは自分自身では?と説く。
突き放すようだが、“生きて”はいける。知識が“活きる”かどうかは別の話だ。できうる限りのワクワクをパッケージにして投げる。“活きる”知識にするかどうかは学び方次第で、教師は生徒の学びに責任を負う。だから教師のワクワクが大切なのだと思っている。気持ちは伝播し、学びの意欲を左右する。
学問はすべてが人生において大切かというとそうではないと自分は思っている。学問はヒトが作ったものだ。学問にある知が社会を作り上げてきた。その社会の中で生きていく。より多く知れば自分の世界が広がる。自分の生きるための方向性が定まる。
ここまでは知識とワクワクについて書いたが、これだけでは足りない。
資質として妥当な判断力、表現力、問題解決能力、真偽を見極める力が欲しい。そのために、時間や状況の許す限り発展課題としてのグループワークやディベートなどで投げている。答えなどないものは社会にはたくさんある。その入り口を見せて自己の確立の第一歩にさせたいと思っている。
自分のために、自分を取り巻くさまざまな環境のために、自分自身の人生を生きてほしい。幸せだったり不幸だったりしながらも、豊かな人生を全うしてほしい。
その願いが、自分を奮い立たせているものである。ふわっとした願いだと思われるかもしれないが、そのためのツールとして、理科にワクワクに添えて全力で投げていきたい。一教師として。