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とあるゲーセンを出禁になった話

これは私のフォロワーの中でも一部しか知り得ないことだが、アオイは生粋のゲーマーである。母親はジャニオタ(御年63になるがザ少年俱楽部というジャニオタであれば全員知っている番組を未だに見ている。これは別のnoteで語ることとする)父親はゲームオタクだったことから、生まれた時からファミコン・スーファミなどの家庭用ゲーム機が当たり前のようにそこにあった。生まれつき体が弱かったこともあり、誕生日プレゼントはサッカーボールや自転車ではなく、プレステ・ゲームギア・ニンテンドー64といったゲーム機ばかり買い与えられていて、僕は親の目を盗んではゲームをやっている子供だった。

小学校高学年になりアメリカに移住してからは、アメリカ人の友達の家が遠かったこともあり(一番近い友達の家でも20kmほど離れていた)僕のゲーム熱は加速していった。据え置き型のゲーム機だけでなく携帯ゲーム機にもハマり、パソコンを買い与えられてからはネットゲームの沼にもしっかりとハマっていった。(そして高校3年間をほぼ部活とネトゲに費やすのであるが、これもまた別のnoteで語ることとする)大学に入ってからはゲームセンターに通うようになり、大学近くにあるゲーセンに足繫く通っては「クイズマジックアカデミー」というクイズゲームに熱中していた。(解けなかった問題を写メ(死語)しては、帰って正しい回答を調べる程度には打ち込んでいた)

前置きは長くなったが大学1年の春、サークルの飲み会の帰りに同級生と寄ったゲーセンで、人生を変えるタイトルと出会うことになる。それは「ストリートファイターⅢ3rd strike」というゲームだ。(人生を変えられたのでゲームタイトルが私のTwitterIDの由来にもなっている)「ストツー」などの単語レベルで聞いたことがある人も多いだろう、本作はその後継作に当たる対戦格闘ゲームである。私はこのゲームをプレイして今年で14年目になるが、一番やりこんでいた大学生時代は、対戦が盛んに行われていた某ゲームセンターに週7で通い詰めて常連になり、半年後には大会の主催・イベント企画・動画のアップロード等を任されるまでになっていた。(今思えば変な話だが店員でもないのに無給でやらされていた)

そして大学3年の夏、私は身を尽くしたこのゲームセンターに出入り禁止を宣告されることになる。経緯を説明しよう。

アオイ(を含めた数名)大会やイベントを企画。

シーンを盛り上げるために名のあるプレイヤー達がSNS上でゲームセンターを宣伝。

しかし筐体のメンテナンスが著しく悪く、これではせっかく足を運んでくれたプレイヤーも継続して通ってはくれないだろう(SNSでも不満が散見された)
アオイ、店側に筐体の整備をしてもらように懇願

どの筐体がどのように不具合が発生しているのかが分からない限りはメンテナンスの施しようがない、という店側の言い分

mixiの限定公開日記で筐体に関する意見を募り、14筐体分の不具合をまとめた報告書+メンテナンスの嘆願書を店側に提出

なんとか受理。その後若干状況の改善が見込めたが、翌週には逆戻りしていた。

定期的にメンテナンスをしてもらうようお願いしたが受け入れられず。多くのプレイヤーを集客したいにも関わらず、レバーがゴミカスすぎて誰も寄り付かなくなってしまい、次第に私のフラストレーションは溜まっていく。アオイ、ゲーセンに対する不満をSNSに投下。

翌日、ゲーセンの事務室に呼び出される。
「店の誹謗中傷をSNSに書くな、自分の立場を考えろ」と言論弾圧されるが
「立場と言いましても、私は運営である前に一人の客なので、店の文句くらい書きます」と反論したところ、出禁宣告をされる。
といった次第である。

このあと何名かの人格者達が私の出禁を食い止めるべく動いて下さったこともあり、(別に私は出禁でもよかったのだが)私は彼らの顔に泥を塗らないためにもゲーセン側に頭を下げ和解したのであった。

「こういったnoteを書くことで改めて出禁になるのでは?」といった意見もあると思うのですが、別に出禁になっても構わないです。今日も素晴らしいレバーで運営していらっしゃることでしょう。行く人は行けばいいと思います、でも”そういうゲーセン”でした。今は知りません。「3rd勢若手」と言われていた僕も今では立派な老害です。また今度、違うエピソードでも機会があったら語ろうと思います。

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