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私の2018年「喪失と忘却と新しい自分」

今年も今日で最後になります。
2018年はどう言った年だったでしょうか。

そして来年からは日本も平成から元号が変わり新たな局面を迎えることでしょう。

私も平成元年生まれ、元祖平成っ子としていろいろ思うことがあります。私自身も今年で大きな節目を迎えました。

改名してみえてくるもの

昨年末に改名を思い立ち今年の初めに「隆宏」に改名しました。それまで全く改名をする気はありませんでしたが不思議なものです。それから私は今までの自分を打ち破るような生き方をしたいという決意が自分の中にあることを日々自覚する毎日でした。

私の今年は「これはやってはいけない」を打ち破るために小さな抵抗をする日々でした。

自分を縛り付けてきた思いというのは、自分が誇りに思っていた価値観や、味方であると信じてやまなかった両親や兄、家族や友人でした。

詳しく言えばそれら自身が問題ではなく私の勝手な「こうしなければ嫌われる」という思いだったということです。

私は彼らに依存して自分の判断を常に任せてきました。その結果、私は自分のやりたいことがわからないし、何もする気が起きない状況に陥っていました。

死の淵で見た景色

仕事を辞めざるおえなくなって、やめて他の就職先を探していましたが履歴書に手が出ませんでした。私は自信をすっかり失っていたのです。

両親に「どうしても気持ちが前向きにならない」という電話しました。当然両親は怒りました。「そんなことを言っている場合じゃない」と。その時に気がつきました。自分自身の現状を把握できるのは自分しかおらず、そしてもう私の両親のアドバイスは役に立たないということを。なんて遅いのでしょうか。

ずっと「みんなに認められたい」そう思っていたのですが、それが果たせる器ではありませんでした。何よりも先に私は人の期待を裏切りそしてそんな自分を受容できずにきていました。そして「いい人として認められたい」とも思っていましたが、本物の自分はけっしていいやつでもなんでもないということに気がつきました。

しかし悪人になることもできません。
私はいろいろな執着を手放していく時間を設けました。それは今までにもなんども試みたはずのものでした。

誰にも会わずひたすら毎日図書館で本を読み漁りました。そして潮風の漂う海辺の町から海岸を見ながら忘却や現実の受け入れの準備をしていました。

千葉の玉前神社に赴きそして長く抱き続けた私の想いをひっそりと告げました。

そして占いを通じて自分の意志を確認しました。占いの結果に一喜一憂するのではなくその結果を見てどう感じるのか、その結果を確定するまたは変更するために日々どういう行動を取るべきなのかを自分自身と確認して実践するという感覚を得ました。

過去の未練や作り上げられた性格はなかなか変わるものではありませんが、とにかく私は昔よりもずっと自由になることができました。

今は夢を持って何かをしていくというところではありませんが、自分の好きなことでがむしゃらに稼げる方法を見つけました。これは非常にありがたかったと思います。

配達という仕事から見えた東京

配達の仕事UberEatsを始めたことは大きな転機でした。

これをしている限り時間もお金も自由になりました。

そして実生活では会いにいけないような人たちが住む場所に配達にいくうちに、この東京のことがまた少しわかった気がしました。

それまではタワーマンションが立ち並ぶベイエリアや高級住宅地には魅力を感じていませでしたし、そこに住むようなリッチな人たちには偏見がありました。でもだだ配達して渡すだけのやり取りをする中でそれは消えていきました。そしていろんなタワーやビルの中からの景色を知っていることで愛着を持つことができました。

また、タクシーや警備員、他の配達業の方々からのアドバイスや励まし、お叱りなども受けるうちに社会のバックヤードで働く人々の姿も見えてきました。

ある晩、終電もなくなった頃、国会議事堂のある山に永遠に連なるタクシーの車列のテイルランプを眺めてぞっとしました。

国会議事堂は権力そのもので、車列はそれに連なる人々の象徴のように思えました。

それはけっして悪い意味ではなく、それぞれが役割を果たすことで社会は成り立つというように映りました。こんな風景が私の生まれる頃より前から続けられてきたのだと感じました。

建物の中で働く人、外で働く人の対比を感じぞくっとするものがあります。権利社会や格差社会を象徴するところでもありますが、それよりもその両側に従事する人々の持ちつ持たれつの関係に関心します。

またどの飲食店でも外国人の活躍が目立ちます。バーガーキングみたいなファーストフード店だけでなく、居酒屋や定食屋など、もはや外国人だけで回してる店舗も多数あります。

私がマクドナルドでバイトしていた頃に感じた「いい加減で自分勝手な外国人アルバイトの面影」はなくなっています。敬語で接客し、他のアルバイトに指示を出し、バリバリと店を切り盛りするそんな頼もしい姿がいたるところで見られます。

間があけば「寒いですね」と話しかけてくれる気遣いもみせます。かと言って踏み入った話をしようとすると面倒臭そうにする社交辞令も身につけているところがなんとも東京っぽさを感じるところです。

もう日本の外側の仕事は外国人のものになりつつあります。日本で生活する上でも日本人と外国人との間での持ちつ持たれつの関係が大事になるのでしょう。

こんな風に変わらない日本と変わりゆく日本が入り混じりいい感じの社会が出来上がればいいと私は思っています。

「この度、永住権を取得することができまして…」

西麻布のエスニック料理屋の店先で店主と客がそういう話をしているのが聞こえました。

喪失からの蘇生

また、東山魁夷展に行きその絵を生で初めて見ました。そして魁夷の人生を本で読みすごく感動しました。

若い時から両親の不和や暗い自信のない性格で苦労し、画家としては認められず、戦争の前後で両親、兄弟、家をなくし、召集され爆弾を抱え玉砕というような無謀な訓練を受ける中で自分の画家としての道を定めたのだといいます。

私は魁夷を若い時代から画壇に認められ崇拝させるように持ち上げられてきた存在なのだと勝手に思っていましたが、そんな甘いものではありませんでした。

魁夷もまた、自分の存在や社会との関わりに苦しみそしてなんども逃避と破綻を繰り返して諦めの境地にも達した経験を重ねた人物だったのです。

あらゆる災難にあいながらも魁夷が発表した作品の中には戦争や社会、政治、国家、境遇への憎悪や嫌悪は見られません。そして戦後の焼け野原ではなく美しい自然を描き続けたのです。

そんな謙虚な姿勢が戦後復興のなかで「目指すべき日本人」の一種の像であり、共感を得たのだと思います

「喪失は創造のはじまり」

喪失が礎となって創造への原動力になっていく、そういう機運を自分の中にも取り入れたいと思います。

11月の始め三峰神社に3年ぶりにいきました。紅葉に染まる山の中でひとつのクラシック音楽が思い出されました。

それはグリーグのペールギュント「朝」ですまさに復活の兆しの曲だと思います。

来年は朝日のとよさか登るごとく私も道を定めて生きたいと思います。

その場を去るという愛もある

私は過ちを犯しました。
それはなんども繰り返してきたことだったと思います。

相手のためを思うなら何かをしてあげること、願わくば相手が思い通りになるように仕向ければいいと私はどこかでそう思っていました。

しかし、なるべく一緒にいるように努める愛もあるのなら、愛するからこそお互いの幸せのため自発的に離れていくことをしなければならないことがあることを知りました。

人間関係を捨て、利益を捨て、何もない新しい場所に行かなければならないのはとても大変なことです。ただ、力ある人はすぐにそれを実行するのを見てきました。

弱さゆえに現状に依存し憎しみあい破綻していくなら、いっそのことその場を私が離れることで全てがうまくいく場合がある。そういうことを学びました。

それはまるで私が邪魔だったみたいで嫌な気持ちですが、自分自身の力を信じられるのならまた新しい場所で大いに花を咲かせるチャンスにも恵まれることだと思います。

愛よりも大切なのは寛容さ

愛はもちろん大切です。

しかし愛よりも何よりもまず大切なのは寛容さなのです。

カタチとして怒ったり、厳しいことを言う必要がある場合もあります。でも心はいつも寛大でいることで不用意な争いを生まなくて済みます。

来年は寛容さを実践できる年にしたいところですね。

新しい出会い

blockや本よまナイトのような寛容なコミュニティとの出会いは本当に刺激になりました。

他者をけっして否定せず。ありのままを大切にして受け入れ、自分のやりたいことをありのままにやっていく。そのクリエイティビティには素晴らしいと思います。、

その場にけっしてなじんでいるわけではないけれど少しずつ影響を受けて自分の人生の矛先を決める指針にしたいと思います。

来年はもっと具体的に今後どうするのかを決められるなではないかと思います。

自分自身やみんながありのまま、思いのままに生きられるように、そういう社会の実現に向けて生きられるといいと思います。

それではまた2019年にお会いしましょう。良いお年を!

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