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徒然なるままにその日暮らし 1

こんばんは、イイホシです。

以前に書いていたブログ
「徒然なるままにその日暮らし」というタイトルを使って、日々のことやなんかを書いていく事にしました。
暇つぶしになれば、と思います。

先日、私の地元の同期から連絡があり、久しぶりに色んな話をしました。
最初はバチバチの喧嘩でしたが。

思い返せば、
最初にお互いを認識したのは彼が高校生で私が21歳の時だったと記憶しています。
要は付き合いが長いわけです。

私と同じ電車組だったし、
初めてバンドを組んだ時期も一緒だし、
そのバンドが解散した時期もほぼ一緒だし、
新しいバンドを組んだ時期も一緒、
ただ私がバンドを辞めて、彼はずっと続けていたので、そこで別れてからは深い付き合いはなくなっていました。

当時から深いことを語り始めると気付いたら言い合いになって喧嘩し、それでも次会う時には普通に接する。
が、絶妙に相手を伺うよな距離感が生まれる。といったように少し複雑な関係。

彼がどう思っているのかは把握することは出来ないけれど、少なくとも当時の私は人に嫌われたり、拒絶される事を恐れていたので、仔細に気を遣っていた気がします。
そんな嘘つけ!という意見が出たら、私の脳内で過去が美化されています。その時は申し訳ない、、都合のいい脳みそで申し訳ない、、

私が議論したり、深いところを話す時にできるだけ気をつけていることがあって、

•前提としてリスペクトがあること
(↑これがないとそもそも成立が難しい)
•お互いの意見を受け入れること
•お互いの違いを受け入れること
•答えを求めないこと

大まかにこの4つは頭の隅に置いています。

彼と私は考え方や、やり方は真逆ではあるものの、着地点に描いてるイメージは同じだったり似ていたりします。
だからこそ、おかしな形で会話が成り立っていたのだろうと思います。

理解は出来るけど、分からない。

お互いに「ここは分かり合えないね」ってことを分かり合う事ができれば、人も意見も否定する事なく、誰かと接する事が出来るのだなと数年ぶりに彼と話して再認識しました。

「喧嘩する相手がおらんのも寂しいぞ!」
という彼の発言から、その役を担ってくれたのかもしれません。ありがとう(?)

30代半ばにもなって
ずっと友達だよ!
と言ってくれるのは有難い事だけど、
関わっていく中でリスペクトし合える関係で有り続ける状態が継続している事を 「友達」 と呼ぶのだと思います。
だから、友達やぞ!と言い返すのも違うと思っているので、
「お、おう」という返ししか出来なかったのは申し訳ないけれど、私なりに真摯に向き合っている証拠だから、理解してくれたら嬉しい。

「友達になろう」
「友達でいよう」
そのどちらにも自分が成長する努力が伴います。
恥じぬように生きねば。と思うわけです。

深いところを話せば話すほど周りから人がいなくなってしまう性分です。



私も、喧嘩をする相手がいない事が寂しかったのかも知れませんね。


今年、35歳になります。
35歳です。

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