余地と排斥の話

久しぶりにチラ裏気味で唐突な駄文をつらつらと。




いつの時代も1つの文化や慣用が失われ

その終わりを見届けるというのは

やはり寂しくも悲しくもあるものです。



世の中は便利になり、規範も整えられてきた。

無駄や非効率や非健全を極力排してきた。



でもその結果そうした『余地』が入る隙間を許さず

ただ排斥し効率化されるばかりの世界って

なんだか息苦しいなって最近思う。




唐突に何の話かって

印鑑も寝台列車もガソリン火花点火式内燃機関も個人経営の喫茶店も

紙たばこもブックマッチもフロッピーディスクもビニ本も

世代遅れの家庭用ゲーム機も街中の小さなゲームセンターも

公式サイトのアプデ紹介もボイスやコーデのサンプル参照も(マテ

色んなものが排斥に追いやられて

面白みの余地が減りつつある時代になっていってるなって話。




必要か不要かを声の大きさや多さ

コストの比重だけで存在の是非を問い

『これがあるから良い』という慣用や感傷には目も向けない。



需要が少なく資本が足りなければ

存在の余地を残す事さえ許されず

そんなただ排斥して無くすだけの

感傷を殺してシステム化されていく今の世界が

一体何を残せるんだろう?





『必要性』に欠けているものは

『存在する事』さえ認められないんだろうか?






なんだか急に西洋の街並みが恋しくなってきました。

コロナ渦なってからとんと行けてないんですよね・・・


さしあたってベルギーのブルージュあたりにふらっと行きたい気分。


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