無菌室の話


『完全』や『完璧』という言葉がある。




それは欠落が無く

隙が無く

過失が無く

間違いが無い




まさに理想。

人が何世紀にも渡って求めずにはいられない

到達点にして規範。




しかして同時にそこには




無駄が無く

寛容が無く

許しが無く

余地が無い。




まさに牢獄。

人が何世紀にも渡って疾患し続けている

病巣にして呪いである。





昨今の世界はまるで

そんな一切の隙のない『完全な無菌室』を

本当に実現させようとしているかのように私は感じる。




規制、排斥、制御、統率、誘導、潔癖、諦観

そうしたもので人を縛り上げて

『誰かにとっての完全』に隷属を強いている、と。





『完全であるか否か』

ここには必ず『それを定める誰かの価値観』が基準として存在する。




すなわちその『完全』の対象を『世界』に定め

『完全で綺麗な世界』という幻想の成就を試みた結果の世界とは

誰かにとって都合のいい世界であり

『完全な世界』とは『支配』に他ならない。






その完全で綺麗な無菌室で

悪徳も禁忌も咎も許容も余地も多様も知らずに育まれる人間は

果たして『人』と言えるのだろうか?




私は常々『人』であり続けたいと願っているが

この先の世界は『それ』の介在を許さないのではないだろうか?




もし私が幸運にも年老いる事ができた時の先の未来

そこに『人』はどれだけ残っているのだろうか?






要するに

完璧を目指すって自らを克己させ

自らの行動に対する指針にするのはいいんですけど

それを世界や大衆に強要してくれるなよ、というお話。

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