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日本の会社の集合教育って本当に必要?

日本の会社、特に大きい会社では昔ながらの集合教育が今でも行われいます。しかも結構な長い期間、半年とか一年かけて教育しますね。そして配属された後も入社5年目くらいの社員は年に数日から1週間くらいの集合教育があったりします。
日本の会社らしい教育スタイルと思いますが、古くさいですし、非効率だなと思ったりします。昔であれば一生を同じ会社に勤めることが一般的で、就職というよりも就社、要するに会社に自分の人生を捧げ、会社もまた社員を守っていくという「ザ・日本企業」的終身雇用と年功序列を前提にしていたでしょうから、会社が人を育て、円滑な年功序列制度を維持するため上下関係、同僚などとの水平での人間関係を強固なものにするために集団行動(長期の集合教育)というものに価値があったかもしれません。
しかし、現代の成果主義・能力主義の世の中においては、この昔ながらの軍隊チックな上下関係や水平関係はありませんし、必要なスキルは自分で身につけるのが当たり前の社会です。今すぐ使わないような一般教養的な教育に時間を割くくらいなら、今すぐ成し遂げなければならない仕事に時間を費やすべきでしょうし、そのために自らが必要だと判断したスキルや知識を社員自らが選択して自主的に学ぶべきです。いつ使うかわからない、もしかしたら一生使うかどうかわからない教育は社員にとっても時間の無駄ですし、会社としての無駄なコストでしかありません。

最近の若い社員の中にはしっかりと自分の意見を言う人も出てきています。悪く言うと遠慮なく直球で意見を言っちゃう子とも言えます。まぁ全体の5%くらいです。そういう子はこうした無駄な集合教育のアンケートに「この教育の必要性や目的がわかりません」とか「eラーニングにするとか時間効率的に学べる方がよいです」という今の時代に即した提案をしていたりしますが、ほとんど無視されます。
他の多くの若手社員も本心では無駄だと言いたいと思いますが実際には言えません。当たり障りのない回答をアンケートに記載しています。本心を書いておじさんたちに睨まれたくないのでしょう。その気持ちはめっちゃわかりますが、5%程度の少数意見は握り潰されてしまいます。
まぁ、これと言うのも教育をする人にとって都合よくアンケートができているためなんですね。完全匿名でアンケートの選択欄もプラスとマイナスの表現が均等
例えば、
「不要」「どちらかと言えば不要」「どちらかと言えば必要」「必要」 
みたいにあれば潔いと思いますけど、こう言う系の設問はなかったりします。
あっても匿名でないので本心は書けませんね。
この手のアンケートってずるい設問が多かったりしませんか?
「理解できなかった」「あまり理解できなかった」「理解できた」「十分理解できた」
みたいに受講者の自己評価をするような設問が多かったりします。
「理解できなかった」に○をしたら、自分がダメみたいになるので、自ずと「理解できた」か「十分に理解できた」に○が多くなりますよね。
こういう系は本当は講師の評価として書くべきでしょう。

それと、この手の教育って、教育をするおじさんのために作られた仕事(教育)だったりする可能性ありませんかね。
実際に社内のおじさんがしている「無駄ちゃう?」と思うような集合教育を受けた経験のある人ならピンとくることでしょう。
その教育をするおじさんの「趣味でやってるんちゃうか?」と思うような内容を一日8時間聞かされるのです。かなり地獄だと思います。
おじさんが好き勝手にやってること自体が無駄なコストですが、その趣味(教育)に付き合わされる若手社員たちの時間がもったいないです。
仮に一人あたりのチャージが¥5000だとして、100人が8時間拘束されると、
¥5,000 x 100人 x 8h = 4,000,000円
無駄にしたことになります。
どんなにもったいないことしているかわかりますね。
そのおじさんにとっては興味があることかもしれませんが「それ本当に価値があるの?」と思うような教育はとっとと廃止して時間もお金も有意義なことに使いましょう!
まぁ白いブラック企業のポンコツおじさんたちには会社が傾くまで、きっとわかる日は来ないと思いますけどね、、、、、

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