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いっぱい働きたい人には逆にストレスを感じさせてしまうホワイト企業の一面

ホワイト企業はワークライフバランスを重視しています。
労働時間(ワークタイム)とプライベート時間(ライフタイム)をバランスよくして、人生を豊かなものにしようということです。そのこと自体はとても素晴らしいことだと思います。
しかし、世の中にはワークとライフを区別したくない人たちもいます。働くことが趣味というか、働いていることが楽しいと思っている人たちです。わかりやすい事例で言えば、研究者が当てはまると思います。働くという意識よりも、自分が好きなこと研究者で言えば探究心や興味のある研究をして、なおかつそれが仕事であるために給料が支払われているという場合です。「ワーク・イズ・ライフ(労働こと我が人生)」「ノーワーク・ノーライフ(労働なくして我が人生なし)」なのです。そのため仕事の時間を制限されてしまうと、返ってストレスを感じてしまうのです。
かつては「24時間働けますか?」と古い世代ならご存知と思いますが「リゲインのCM」のお馴染みのセリフですが、今、このセリフを言ったら間違いなくパワハラと言われるでしょうし、CMでながれていたら視聴者からクレームが出るかもしれませんね。
もちろん当時でも労働に追われて辛い思いをしていた人もいますし、家族との時間、自分の趣味の時間を持ちたいと思っていた人も多くいたと思います。しかし「ワーク・イズ・ライフ」「ノーワーク・ノーライフ」の人に話を聞くと「昔は良かった」「(時間に縛られずに)自由にやらせてもらえた」「楽しかった」「仕事が面白いからやる気がすごく出ていた」と仰っていました。
人によって価値観が違うのでどちらが良いとは一概に言えませんが、働きたいという人たちに労働を制限してしまうのも、なんだか勿体無いような気もします。最近では大学の先生たちも大学にいる時間を管理されて、渋々家に帰って家でもできることをしているという話を聞きます。本来なら大学で実験をもっとしたいのでしょうが、長時間大学にいて万が一にも倒れられると大学としても立場がなくなるので仕方がないのかもしれませんね。そのあたりの建前やルール、特に労働関係法で規定されている場合には絶対に法令を遵守しなければなりませんから、それらとのバランスや管理側の法令遵守による規制によって、働きたい人にとっては働きたいという思いの障害になってしまっています。
逆に労働と人生とが分離している人にとっては、段々と理想的な世の中になっていると思います。逆に「働きたい人は自由にいくらでも働いてよいですよ」という世の中であると、働きたくないわけではないけれども、ライフタイムも充実させたい場合に、周りの人が長く残業しているのに自分だけあまり残業をしないというのは肩身が狭くなって、結局は長時間残業、特に問題なのは本来は不要な長時間残業を強いてしまう恐れがあるということでしょうね。

ホワイト企業は「ワークライフバランス」を重要視しています。
これは、その会社の風土、今の世の中でいうところの「良い」とされる風土ですから、「もっと働きたい」というのは異端視されてしまいます。その会社に勤めるということはその会社の風土を理解して自身で入社すると決めたことですから、あなたが「もっと働きたい」と思うことは、わがままとなってしまうのです。長く働いてい人の中には「昔はたくさん働けたのに」という人もいると思いますが、これも時勢の変化なので受け入れるしかありません。
どうしても好きなだけ働きたいならば。いわゆるブラック企業に行くか起業するしかありません。そうすれば24h・365日好きなだけ働いても誰も文句を言わないことでしょう。組織に属せばルールに縛られますが、日本は「まだ」自由の国です。自由になるには自己責任もセットでついてきますが、起業すれば好きなだけ働くことができます。
ですから今の若い子たち、特に優秀な子たちは大企業に就職するよりもスタートアップやベンチャーなどで起業する人が増えてきたように思えます。大企業としては優秀な人材を得るためにホワイト化をせっせとしているのですが、逆に優秀な人材を逃してしまっているという一面もあるのです。
このあたりのこと、正しいことが必ずしも理想的な結果へと結びつかないという残念なことです。ユートピアを目指すと最終的には滅びてしまうということなのかもしれませんね。共産主義・社会主義は理論上、理想的な人間の集合体では理想的な社会になるはずですが、あまりうまくいっていないように感じられます。ホワイト企業も理想的な人間の集まりならば理想的な会社になるかもしれませんが、私はうまくいくとは思えません。滅びの道を歩むのではないかと思っています。

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