退学面談 その1

 今日は、学務委員会の人に、退学の相談をしにいった。最終的に、印鑑は貰えた。
 自分の気持ちはもう決まっていて、多分誰の言うことも、その気持ちを変えることはできないだろうと思っているし、実際今日も変えられることはなかった。その変えられないだけの強固さが、覚悟を表すような気がするから、こういう面談はやっぱりあった方がいい。

 お父さんのような先生だった。それは僕の父というより、世間のイメージする父性を持った人ということ。化学専門の大学教授だから、化学のプロということになる。研究室には、有機化学の分厚い本が大量に並んでいた。学生時代、同じ研究室にいた人と結婚し、今はお互い大学教授をしているらしい。典型的なラボ内ラブであり、今は子どもも同じ大学で学生をしているらしい。この先生の中でも、結婚と家族と労働が社会生活の主軸になっている。
 色んな話をしてくださった。親とは自分も揉めた、父は自分と同じ大学の工学部を卒業してすぐ働いたという経歴があるから、自分の院進は最初反対されたが、自分の周りは9割が院進する時代になっていて、そういう世代間の齟齬を解消するまで、親と向き合ったという。決め台詞はこうだった。

「親は、子どもが自分でちゃんと考えた道を選んでいるなと思ったら、納得するものだ」

 それはあんたの親の話やろ、と思った。こっちは家庭に色々背負ってるんです。僕の母親は「子どもがいくら考えたとしても、私の考えほどの安定性(安定感)はないだろう」と考える人だ。だから僕がいくら考えたところで、聞く耳を持たれないのだ。けれどそれは僕の主観。その主観が先生の主観とズレていることが、先生が僕の親離れの仕方を肯定できない理由なのだ、と思う。

 こんな後出しの強がりをしているが、実際は録音でもしようかと考えながら研究室に向かったことを後悔するくらい、終始僕は涙が止まらなかった。人生二度目の、どうして出るかわからない涙。自分の中ではよくある、「自分が世界でいちばんかわいそうだ」という感情からくる涙ではなく、涙が先行して、あとからその理由を考えるような涙だった。あれはなんの涙なんだろう。もしかすると、大人を憐れんでいるのかも、と思ったり。「伝わるわけないよなあ、あなたには」の涙とでも一応名付けてみる。

 明日も「退学面談 その2」がある。今度はお世話になっている指導教員の教授だ。どんな展開になるのかを考えるだけで、今から憂鬱になって眠れなくなる理由には十分すぎる。

 とりあえずそんなことは忘れて、今日の話をもう少ししてみる。なんだか、退学をチラつかせると、人は本音を話す、ということを最近実感している。今日の先生も、普通言わないような話を初対面の僕にしてくれたような気がする。僕も普段は隠しているような考えを、躊躇いなく放出した。昨日あった中学からの親友も「はっきり言って、お前は芸術なんか向いてへんと思う。今日まで別にやってきたわけちゃうやん」とその通りはっきり言った。先生も「60点でええからあと一年テキトーに卒論やったらいいやん。その他を絵の勉強に当ててさ。卒論書いて卒業するだけで、君には価値無いって感じるかもしれへんけど、社会的には見られ方変わるって」と僕の一番嫌いな生き方の話をした。けれど、みんなの本音が聞けるのは、なんだか嬉しい。生きてるって感じがする。

 退学を決意して、もう一つはっきりわかったことがある。大人が求めているのは、安定であること。今の自分は決して安定を求めているとは言えない。だからみんな反対する。あなたが行こうとしているのは危険な道だよ、と教えてくる。そんなこと、わかった上で選んでるんだから、説得には効果いまひとつですよ。

 危険な道でも、歩ければそれでいいんです。安全な道は人がたくさんいて、窮屈なんです。

ロンリーグローリー
大丈夫 どうやら歩ける
一人分の幅の道で 
涙目が捕まえた合図

"オンリーロンリーグローリー"
BUMP OF CHICKEN

 きっと今、はじめて僕は死を意識して命を想い、行動している。この危険な道で、死んだとしても満足だ。そんな道を行かずしてどこへ行けよう。当然、死ぬつもりもないが。

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