背中を描くということ

塾でバイトをしている間、時間があったのである生徒をクロッキーしてみた。

なんとなく、いい感じに描けた。特に、背中のラインが気に入った。
この人物からは「ひたむきに学びに向かう姿勢」のようなものが感じられた。

もう少し仕上げてみようと、これを元に何枚か時間を描けて描いてみた。

しかし、何枚描いても、バイト中にさらっと描いた絵の中にある「ひたむきさ」が出てこない。時間をかけて考えて描いているのに、どういうわけか、絵としての魅力が消えてしまっているように感じた。


最初の絵を見直すと、どうやら真横から見たような生徒を描いている。
一方で、後から描いたものはどれも斜め前から見ているように描いている。
そこで、一度斜め後ろから見たように描いてみた。

これだ。
と思った。
最初の絵にあった「ひたむきさ」が斜め後ろから見た絵にも宿っている。


考えてもみよう。
前から見た生徒というのは、いつもバイト中に自分が見ている生徒ではないか。
そこには、教える側と教えられる側という関係性がある。教えられている時の生徒というのは、無表情であればそれは退屈を意味し、驚きや笑顔があれば、それは学びを楽しんでいることを意味する。



後になって描いた絵は、どれも斜め前から見ていて、そして無表情だ。退屈そうな人間に魅力など宿らない。


しかし、たとえ無表情でも、それが一人の時であれば話は変わる。
何か自発性のようなものを感じるからだ。


描き手を無視しているように見える。
「あなたが見えないぐらい、私は学問に集中しているのだ」と、
この人物が訴えているようだ。



最後に、真後ろから描いてみた。




この絵の手前側にいる、描き手の私は透明人間である。
彼女は一人静かに、そしてひたむきに学んでいる。

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