背中を描くということ
塾でバイトをしている間、時間があったのである生徒をクロッキーしてみた。
![](https://assets.st-note.com/img/1699724710967-3skwXnJksU.jpg?width=800)
なんとなく、いい感じに描けた。特に、背中のラインが気に入った。
この人物からは「ひたむきに学びに向かう姿勢」のようなものが感じられた。
もう少し仕上げてみようと、これを元に何枚か時間を描けて描いてみた。
![](https://assets.st-note.com/img/1699724732705-5xZzzeCFVf.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1699724626491-vOWwZ9yJ7r.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1699724627183-M1HjgkAqUG.jpg?width=800)
しかし、何枚描いても、バイト中にさらっと描いた絵の中にある「ひたむきさ」が出てこない。時間をかけて考えて描いているのに、どういうわけか、絵としての魅力が消えてしまっているように感じた。
![](https://assets.st-note.com/img/1699725300578-rO43tprZUx.jpg?width=800)
最初の絵を見直すと、どうやら真横から見たような生徒を描いている。
一方で、後から描いたものはどれも斜め前から見ているように描いている。
そこで、一度斜め後ろから見たように描いてみた。
![](https://assets.st-note.com/img/1699724627928-jtVUeX3PRu.jpg?width=800)
これだ。
と思った。
最初の絵にあった「ひたむきさ」が斜め後ろから見た絵にも宿っている。
考えてもみよう。
前から見た生徒というのは、いつもバイト中に自分が見ている生徒ではないか。
そこには、教える側と教えられる側という関係性がある。教えられている時の生徒というのは、無表情であればそれは退屈を意味し、驚きや笑顔があれば、それは学びを楽しんでいることを意味する。
![](https://assets.st-note.com/img/1699726512866-DzzXlr0Q7n.jpg?width=800)
後になって描いた絵は、どれも斜め前から見ていて、そして無表情だ。退屈そうな人間に魅力など宿らない。
しかし、たとえ無表情でも、それが一人の時であれば話は変わる。
何か自発性のようなものを感じるからだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1699724673964-ZC9C62o886.jpg?width=800)
描き手を無視しているように見える。
「あなたが見えないぐらい、私は学問に集中しているのだ」と、
この人物が訴えているようだ。
最後に、真後ろから描いてみた。
![](https://assets.st-note.com/img/1699727795500-PrCSyF0ZQb.jpg?width=800)
この絵の手前側にいる、描き手の私は透明人間である。
彼女は一人静かに、そしてひたむきに学んでいる。
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