澁澤龍彦「エロティシズム」

面白い。
図書館で読むと吹き出しそうになるくらい面白い。
これ、学問なのか???

エロじゃなくて、エロティシズムって言えば、こんな下ネタ本も学問になるのか?


アリストテレス「女は未完成な男性である」
トマス・アクィナス「女は出来そこなった男である」
ワイニンガー「もっとも低級な男性といえども、もっとも高級な女性よりなお限りなく高級」
キリスト教「女は自然そのもの、男だけが自然を離れ、精神の高みへ翔けあがることがでる」

この本の中で引用される男女観についての文言をいくつか並べてみたけど男尊女卑がまあひどい。1984年に出された本だということを加味してもまあひどい。


エロティシズムは立派な人文科学として世界的に研究されてるけれど、この本に関して言えば、やっぱり根本にはフロイトの「欲求の根源はすべて性欲にある」という考えがあるように思う。それを突き詰めていけば、男と女の俗的な二分法は取っ払われ、女は受動的で男は能動的という生理学的な帰結から、古代から存在する絵画や儀式をその文脈に取り込んで、男尊女卑を支持していくように思う。


例えば、大地のメタファーがある。女は大地なのである。そこに男が文字通り種をまく。そして繁栄していく。女は常に場所や空間として存在する、というのだ。

ところで、2000年ほど前に活躍した、ユスティノスという中世の教父の思想は「ロゴス・スペルマティコス」といわれる。ロゴスとは言葉のことであり、スペルマとは精子、精力のことである。神は人に精子的なものを与え、それが人の中で育まれ、言葉になるというのである。
神:人:言葉=男:女︰子  

という図式がロゴス・スペルマティコスである。ここにも、男尊女卑が見て取れる。男は人の上に立つ神であり、女は自然的な人なのである。男尊女卑の歴史は日本でも世界でも長い。 

この本はまだまだとんでもない(と少なくとも自分は感じる)ことを淡々と述べている。

「女の人生の至上の瞬間、女の基本的な悦びが現れる瞬間、それは彼女が自分の体内に、男の精液が流れるのを感じる瞬間である」
「男の性交のあとの悲しみから、すべての思想や文化は生まれたのだ」
「女には魂も自我もなく、したがって記憶も論理も倫理もなく、女という存在は、ただ朦朧とした思想以前の段階にあるにすぎない」


うーん(・_・;)




最後に少しだけ私の意見を置いておくなら、こういうのを読んで、女性はどう思うのかということである。もしかすれば、私以上に納得する人もいるのかもしれない。この著者は女の幸せをわかってるなんて言うかもしれない。肉欲を軽蔑しながら純潔ロリータに憧憬を抱いている男より、肉欲へまっすぐ向かっていく男のほうがいいというのは、流石の私でも知っている意見だ。


とかく私は純潔ロリータを望みます。
というか、ゲーテのde-flowering(処女喪失)の話に逆張りしています。処女は花である。摘み取らなければ綺麗に咲き続けるが、摘み取ってしまえば枯れてしまう。それでも摘み取ってしまうのが「野ばら」のドイツ語版の歌詞です。私はそこを理性で制して花を咲き続けさせるが良いと思っています。

「じゃあ、今の子どもたちは全員処女のまま人類は滅べということですか」

はいそうです。こんな醜い生き物は、滅びましょう。幸い、性欲は満たせますから。

「それって、男の意見では?」
「女は子どもを作ることが幸せだったらどうするのです。」
「処女がいいと押し付ける貴様が悪だ」

別に子どもを作らせてくれる男のところへでも行けばいいではありませんか。
 
「じゃああなたはそのまま一人寂しく死んでください」

ああ良いとも。子どものいない自由な生活を謳歌させていただく。わかっているのだ。私一人がこんな思想を持とうと、男たちの繁殖能力は極めて高い。一度の射精で二億匹の精子を出す。たった一人でも、一年分の精子で今の人口の十倍分になる。現実的に男は何人でも作れるのだ。私は、繁殖には関わらない人間として生きていかせてもらうよ。

「痛々しいですね」

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