その2
さっさと抜け出したいな。
我慢だな。
大人は怖い。いつまでも。
教授は、僕の親の何倍も怖いことを考えている。
そうやって、親を許していこうか。
でも、無理だなあ。もう。
平然な顔をして退学願を渡してきた事務員。
大学を辞めてからでないと、企業に紹介できない、とハローワークの公務員。
就職が決まっていないと、大学を辞める許可は出さない、と教授。
なんて厳しいのだろう。社会の形式や枠組みの強固さを思い知る。
みんな、安定を求める。安定を押し付けられた人は、安定する。そうして、安定の人間たちは残っていく。生物の自然淘汰に似ていると思った。残る性質を持ったものが残る。それはある意味「繁殖にすぐれた」ものであるが、「命としてすぐれている」ものとは限らない。
世間のイメージする大人は「繁殖にすぐれている」。厳しく子どもを罰するあの父性はそうして生まれる。
僕は、繁殖にすぐれてなどいたくない。少なくとも今は。
繁殖して、自分が二人になるなら、それもいい。(もしかして本当にそうなのか?)
けれど、作るのは別の人間だと思っている。自分が増える訳では無いし、自分の時間だって割かねばならない。普通教育の義務が課される。
僕は自分のために時間を使う。そして満足に死んでゆく。
嗚呼、すぐれた命でありたい。
命の叫びを今、安定の人間たちに屈伏させたら、そんな惨めな命はない。命の叫びを、現実化させるのは僕の躰だ。
今抱えているこの問題は、進路や人生の問題である前に、まず性の問題である。というか、親と僕、教授と僕、大人と子供、保守と革新のそれぞれの対立は、性機能との向き合い方の対立であろう。
僕のすべてが思い込みで、単なるドクサに過ぎないとして、その思い込みが死ぬまで消えなければ、それは立派ではないが、当人にとっては真理であると思う。せいぜい人間という制約を受けた生物の理性の限界的真理である。
魂の不死を僕は信じません。
今の僕は、人の幸せを妬み、人の不幸を嗤う。
「人の幸せを喜び、人の不幸を悲しめる」と言われたのび太の反対側に、いつの間にか来てしまったことに気づいたときにはゾッとした。
変わりたいのだ。
けれど、こんな僕の幼稚な思い込みを社会はどうして許そう。
じゃあもう、抜け出すしかないじゃないか。
誰に憎まれようと、僕は他人を憎まない人間でありたい。
誰に恨まれようと、僕は他人を恨まない人間でありたい。
覚悟の伝わらない毎日に、躰が痩せていく。
お腹を鳴らしながら、吐き気だけがある。
耐えよう。もう少し、耐えるんだ。
明日、仕事が見つかるといいな。
大人には、響かないんだ
だから力を貸して
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