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#6

"かなしみを受け入れる。ぼくはきみを受け入れる。
本当にその覚悟がぼくにあるのだろうか 
音楽があれば、それは叶えられるのでしょうか。"

なんども現実に引き戻してくれたのは、まわりの人の優しさや言葉だった。直接出会ったことのないひとのたちの音楽だった。運良くすてきなひとたちや作品とよばれるものに出会うことができた。もらいすぎていて、返したいと思えるほどに。押し付けではないかたちで。

そして、ひとはそれぞれ違うものだけど、それがとても美しいことで、安心することだと思っている。

でも、本当に?

わたしはまだなにも知らない。どちらかといえば好意的におもっているひととしか、多くは話したことないだろう。会話をすることもできず敵意を持つひとに出会っても、変わらずにいられるのだろうか。

ほんとうに愛せるのだろうか?
すごく傷つくことが起きても、変わらずにこうして綴れるのだろうか。

…分からない。
こう考えると、愛おしく思えていることが、あまり言えなくなる。

"かなしみを受け入れる。ぼくはきみを受け入れる。
本当にその覚悟がぼくにあるのだろうか 
音楽があれば、それは叶えられるのでしょうか。"

昨晩寝る前、iPhoneのメモに考えていることを睡魔に襲われる前に綴った。そして現れたこの文章。むむむ。すこし、悩んだ。こわいきもち、ある。この答えを知るのはまだまだ先になりそう

いつの日かのわたしを助けてくれた、音楽と、人のように。
あの日のわたしが信じられる人間でありたいとおもって、今日を生きる。

不器用でも、正直なほうがいいね。純粋なきもちが一番だけど、それだけじゃ届かないのももう知っているから、頭つかわないといけないんだけど。届けるためには届くようにしないといけないだ。

自分のために書く文章も、たまには。だいじね。

一秒前はもう手放せることで、どんなことも受け入れられるのかなともおもっている。どれだけ、今をみれるのかどうか。

近道があるならそれもよいけど、遠回りでも確かにこころ惹かれたものを選択して確かな経験をして生きてこ。記憶の続くかぎりは。でないと、 が何も信じられなくなってしまうだろうから


Photo: Mao Kokubu

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