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人生ハードモードだと思っていた私に生まれた新たな仮説

鬱になった直後から、

現代社会に生きにくい気質をもった私って

人生ハードモードなんだよなあ。

イージーモードの人はいいよなあ。てか、ずるいよなぁと内心思っていた。

母親が短気で過干渉で自分の意見を押し付ける人だったから、今でも親とか先生とか上司みたいな立場が上と思われる人には自分の意見を言いづらいし、そうでなくとも子供の頃から親や相手の顔色をうかがうタイプだった。もともとHSP(人よりも敏感な人間)だったのかもしれない。

でも、最近の私は親しい人に自分の本音を言えるようになった。何より「あなたと過ごすのも楽しいけど、今は一人で過ごしたいし、定期的にそういう時間が私には必要なんだ」と言えるようになった。だから、最近は前よりも随分生きやすい。正直これを言えなかったことがこんなにもストレスだったのかとびっくりするくらい楽だ。

発達障害の方も歳をとるとともに、加齢により衝動性が落ち着いてきたり、対処法が経験則で分かってきて前よりもうまくふるまえたりするという人もお見かけする。

私もきっと今経験値を積んでいて、それが積み重なって、ちょっとずつではあるけれど生きやすくなっているんだろう。

ここで私に一つの仮説ができた。

それは「私のような生きにくい気質をもった人間は、経験値でそれをカバーするしたり、気質とうまく付き合えたりするので、実は長生きすればするほど生きやすくなるのでは?」という仮説である。

私は鬱になった直後、「こんなに生きるのが下手な私が社会に復帰したところで迷惑しかかけない。いっそ死んだ方がいいのでは」とわりと本気で思っていたし

この鬱直後の考え方を「さすがにこれは認知歪みすぎだろw」と思える最近でさえ、「人生ハードモードで生きているだけでしんどいなんて辛っ」とは思っていた。

だから、この仮説はかなり私の今後の人生に希望をもたらすことになる。

「そっか!トライアンドエラーを繰り返せば、自分はどんどん生きやすくなるんだ!」というのは本当に嬉しい。「自分の力で人生ハードモードを普通くらいには変えられる」ということは幸せなことだ。

試行錯誤は大変だ。自分の思考の癖を直したり、相手へのアプローチを変えたりというのはすごく心に負担がかかる。「相手が不快な反応を返したらどうしよう」という不安を常にもっている私ならなおさら。

でも、それがうまくいってもいかなくても、私は1歩進んだのだ。人生ハードモードから1歩脱却したのだ。また私が私であれる社会に近づいたのだ。それって素晴らしいことだし、そう思うとまた試行錯誤頑張ろうって思えるから。

うまく言えたかは分からないけど、自分にとってはエジソンの電球並みの大発見なので書きました。

自分へ

どうかたまにこれを思い出してね。

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