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貧乏が僕を商売人に育てた/前編

幼少時代僕は典型的な"貧乏"というやつでした。

父親の借金が理由で両親は離婚、その後母子家庭で育ち、母親が自営業一本で僕ら男3兄弟を育て上げたわけですから、財政が裕福なわけがありません。必然的に貧乏な暮らしを余儀なくされます。

今でこそ、うちのオカンすげえな、となりますが、小学生〜高校生の当時は他所の家の子と比べて「何で俺らはこんな思いを!」なんてグズりまくっていました。

小学生、中学生時代

他所の家が持ってるゲームやオモチャを買ってもらえないこともそうですが、兄弟3人で家事を分担するも、他所の家の友人だったら家事をこなせばお小遣いを貰ってたりするのに、なんで僕たちはお小遣いを貰えないんだ!とゴネると、

「家があってご飯が用意されてることが当たり前と思うな!それだけで充分ありがたいんだぞ!」という至極真っ当な説教を受けるも、

幼少期にその言葉が響くほど大人であるはずもなく「他所の子は他所の子は」という気持ちはずっと拭えずにいました。

中学になると部活は野球をしてたので、グローブやバッド、ユニフォームやスパイク、遠征費用などを親に申請するのにどれだけ申し訳ない気持ちになったか。。。

高専時代は、

母親が県外に出張して2-3ヶ月家を空けることもよくあり、その間は高専生の僕、中学生の次男、小学生の三男と3人暮らしをしていました。毎日食事は当番制で、家事は3人で役割分担を決め毎日の生活を回しました。

当時の同級生たちとは、プライベートにおける"やらないといけないこと"に割かれる時間は圧倒的に多かったと思います。典型的な貧乏エピソードとして、この3人暮らしの時に電気が止まって車で暖房をつけて過ごしたこともありました。

18歳になると免許学校の代金、下手したら車すらも親からもらってる同級生を横目に、僕は朝から晩まで働きに働き、免許合宿代を貯めました。

なのに周りには「車持ちの男じゃないと嫌かも(テヘペロ)」みたいな女の子もいたりして、そこに関しては圧倒的にコンプレックスを感じました。

「皆、何かを努力して車を手に入れたわけじゃない!親からもらっただけじゃねえか!」とマジで歯がゆい気持ちになりましたし、今ドヤ顔で車デートしてる誰よりも将来いい車乗ってやるわ!なんて内心思ってました。

学費の入金が最終期限に間に合わなさそうで危うく退学の危機!なんて日もありました。親も各所からお金を借りていてこれ以上頼る先がないとのことで、僕が友人に頭を下げて金を借りる以外、学校に通い続ける方法はなく、

親が払う学費の値段すら知らない同級生に「お金貸してください」と頭を下げてまわった経験は、究極にみじめな気持ちになったトラウマと共に、将来は絶対お金に困らない人間になってやる!なんなら一番の金持ちになってやる!という覚悟にもなりました。

僕は一人暮らしをしていたのですが、家賃や光熱費、食費、携帯代などの生活費は全部自分でバイトで稼いでいました。なのに周りの友人を見渡すと毎月数万の仕送りがあるとか何とか。

友人の仕送りは平均6万ぐらいだったと思うけど、その当時時給700円ぐらいで働いてた僕からしたら、6万手に入れるには86時間働かないといけない。

86時間働いて始めて同級生と同じスタート地点に立てるという残酷な状況。そこから自分の趣味(旅行やバンド活動)のために貯金するためにはもっと働かないといけない。

そんな状況下で、ありとあらゆるバイトを合計20種類以上こなし、どんな貧困な財政でも毎月1万以上は貯金し、なんとかバンド活動もでき、日本一周の夢も叶え、バイクの免許も取りました。(その代償に高専には必要最低限の出席と必要最低限の勉強しかせず留年をしてしまいましたが、、、笑)

しかし学生ながらたくさんの遊びを経験し、旅にも出て、バンドもやって、周りからはあまり貧乏なイメージを持たれてなかったんじゃないかと思います。でも実際、バイト以外にもありとあらゆる手段を使ってお金稼ぎをしていました。

その経験が僕を商売人へと育てました。

つづく

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