HONDA CL250試乗記
乗っている人にはよく知られたことであるし、乗っていない人にはそんなもんだろうと思われることでもあるし、これから乗ろうと考えている人の一部には絶望を与えることかもしれないが、バイク乗りはモテない。
そんなことはない、あいつはバイク乗ってて異性にカッコいいとチヤホヤされているじゃないかという反論もあろうが、それは単純にモテる人間がバイクに乗っているか、姫ライダーとその囲いのことである。
大勢の人と関わり、それぞれの人と心地よい関係を作り、関わるべきでない人とはスムーズに距離を取り、出すべき自分と引くべき自我の線引きをきっちりとして、人に不快感を与えないところから一歩進んで居るだけで嬉しくなるような振る舞いをし、この人と一緒に居たいと思われるような人がモテる人間というやつである。
遅い車にガン詰めし、人間に興味のない代わりに用もなくバイクメーカーのサイトや動画サイトのインプレや車載を漁り、ヤバいやつほど面白がって見に行き、なんならド直球の罵倒をSNSに並べてウケを狙い、檻の中にいるのを見ている分には暇つぶしになるような生物がなんかうるさくて危険な乗り物に跨っているのは普通距離を取られるってもんである。書いていて胸が痛いね。なんだろうこの涙は。鏡のように僕の姿を映している。
オシャレには気を使っている。頭の上から足の爪先まで総額10万円では足りないほどにお金を掛けたコーデをしているんだからな。まずヘルメットが8万円でジャケットが6万円……おいどこへ行く話はまだ終わってねえぞ。
まあ僕の場合はそれこそ一張羅の勢いというか、愛車の外装の一部としてコストを掛けているので皮一枚剥いたらまあ無惨なものである。身だしなみといったところでメットの内張りが引っかからないように髭剃りは怠らないという程度のことくらいしかしていない。髪の乱れはもうそろそろ気にしなくてよくなってきた。うるせーハゲ。
だいぶ自傷と失血で逆に気持ちよくなってきてしまったが、要は「オシャレなバイク乗りって珍しいよね」って話である。主に乗り手のせいであり、時々車体のせいでもある。そもそもオシャレってなんだろう。なかなか信じてもらえないのだが「メットの後ろから結わえた黒いロングヘアーを風に靡かせて走るホムセン箱積んだWR250R乗った女の子」とか「逆プリン色になったショートヘアーをガリガリ掻きながら足回り確認してるMC52乗りのおねーさん」を見たことがあるのだが(あっ信じてないなお前ホントだぞ見たもんホントだもん)それを「オシャレ」と呼ぶかというとちょっと違う。それでも字書きの端くれとして言語化するのなら「所作や容姿がこなれていること」かもしれない。ごめん辞書引いた。いいだろ字書きなんだから。
先日その答えを得た。仕事からの帰宅途中、前を走っていたライダー。
細身の車体にサイドアップマフラー。交差点の左折でそれがCL250だとわかった。乗っているのは背格好からして若い男性。コミネかラフロのスタンダードなジャケットにOGKのフルフェイスメット。少し大きめのバックパックの他に荷物はなし。ツーリング帰りというよりは通勤か通学の帰りといった雰囲気だった。
その後姿に、ただシンプルに思った。「オシャレだな」と。
何かを飾るでもなければ見せつけるでもないその自然さが、ひどく印象に残った瞬間だった。
CLというモデル名はかなり古く、その始まりはなんと60年前にまで遡ることができる。
寺社仏閣デザインで有名なドリームC72のエンジンを搭載し、悪路走破性を高めることを目的に設計されたこのバイクは、定義は色々とあるが「市販車初のオフロードモデル」ともいえる。前後19インチの大径ホイールに、多少のぬかるみにハマっても水没しないように高い位置を通されたマフラーは、まだ未舗装路の多い時代に一つの答えを提示したものでもあった。
だがその後、現代のオフロードバイクの祖であるヤマハDT-1が登場。軽く・パワフル・ストロークの三拍子を揃え、未舗装路を“やりすごす”どころか“乗り込んで楽しむ”レベルにまで昇華したこのモデルによって、スクランブラースタイルはフラットトラックレース人気のあるアメリカ以外では忘れられたスタイルになっていった。
ホンダはそちらの需要と、何よりも「死んでもヤマハの真似はしたくねえ」の一念でCL72の後継車を開発。それがかつてのCL250と呼ばれたバイクだった。
実は90年代からゼロ年代にかけて、日本でもスクランブラースタイルの再燃ブームはあるにはあった。TW200やFTR、バンバン200といったあの辺りだと言えばピンときて、ついでに「あー」となんか声が漏れる人も居るだろう。
「ロンスイ」「スカチューン」などのカスタムで人気を博した「ストリート」と呼ばれるジャンルだが、その元々の車体は紛れもなくスクランブラースタイルだった。ギークでナードなバイク乗りの層からすれば、ビッグスクーターやアメリカンと並んで「チャラ男のメス引っ掛け爆音マシーン」という邪道として忌み嫌われるアレである。冒頭の話ではないが、モテ男の究極体たるあのお方の主演ドラマの影響であることは御存知の通りだ。
そしてブームとは周期を伴うものであり、回り回ってまたスクランブラーのブームが、今度は気付かれる形でやってきたのが2015年。ドカティ・スクランブラーから始まるネオレトロブームである。最新の設計で作られた車体を丸目ライトを始めとする古式ゆかしいデザインで彩り、懐かしいけど新しいスタイルを提唱するバイクたちだ。もう10年近く続いているが陰りはまだ見えない。というのも、これは個人的な見解ではあるが「波及効果」によるものであると思う。
ネオレトロブームの興りは欧州だ。ドカティやトライアンフ、BMWという流石の歴史持ちならではのデザインの引き出しは、向こうのライダーたちの根源的な記憶に訴えかけることができた。無論日本のメーカーだって負けちゃいない。世界に追いつき追い越せの激アツの時代を思い起こさせるデザインを次々に打ち出している。アメリカ――は、ちょっと趣が異なるけれども。
要はオートバイ先進国中心に盛り上がっているわけなのだが、他方で東南アジアなどの新興国では、スーパースポーツやストリートファイター的な尖ったデザインの方がウケが良い状態だった。それはすなわち「ネオレトロは大排気量中心のブーム」ということを意味する。
日本市場のことを言えば、ネオなものを引っ張り出さずともCB400SFやVTRにSR400、エストレヤとブームとか関係なく淡々黙々と継続してきたオーソドックスなオートバイがモデルアップされていた。んで御存知の通りみんな死んでしまい、いなくなると淋しい理論によって需要は高まった。
欧州は欧州で、馬力区分による免許制度もあってそこまでモンスターじゃない性能のネオレトロモデルを求める声は高まっていた。
その2大市場の生産拠点である東南アジアでも「俺達にも寄越せよ」という機運が高まり、生産ついでに自分たちでも買うようになった。
こうして始まりが少しずつ受け渡されることで息の長いブームになっているのだと思う。もっともかつてのレーレプ熱もゼファー1台で吹き飛んだ例があるので次に何が来るのかはなんとも言えないのだけど。
さて、そんなネオレトロの産物でもある僕のCB650Rもオイル交換の時期を迎えた。行きつけのショップには先日出たばかりのGB350Cがピカピカの姿で鎮座していた。
この時代に空冷エンジンを新造した度胸が大人気を博しているGB350渾身のレトロスタイルモデルである。無印とSモデルには試乗経験があり(ポジション的にSの方が好みだ)、ならば今回も……と思っていたのだが、外装の変更のみでポジション等に変更はないとのことで、小キズ第一号を付けるのもなんだか気が引けてしまった。そこで代わりに、先日目にしたオシャレの正体を探るべく我々調査班はCL250のシートへと向かった。
先にこのモデルの歴史を御高説したわけだが、名前こそ引き継ぎはすれ機構的には完全に新世代であり、身も蓋もなく一言で言ってしまえば「リフトアップしたレブル250」である(レブルも見事にネオレトロの一派ではある)。登場以来何と言ってもその「見た目にわかる乗りやすさ(跨りやすさ)」はシート高以上にバイクという乗り物への敷居を下げ、シンプルさが際立てるスタイリングも相まって今なお衰えぬ超人気車をベースにした……というか、ほぼバリエーションモデルと言ってもよい。
クルーザーのスタイルからスクランブラー、というかフラットトラッカーを仕上げるというのはハーレーの伝統芸であるし、ホンダもかつてFTRという名トラッカーを販売していた。それを踏まえるとCLというよりはFTRの再誕ともいえるような気がする。
跨ってみると流石の細さ。このフレームはタンクとシートの境目でかなり絞られており、レブル比で実に10cmも高くなったシート高も全く問題なく膝が曲がるほどの足付きを確保する。当然車重もはぼかわらず1kgという誤差の範囲に収まっている。タイヤサイズはひと回り大きく、ふた回り細く。ハンドルの切れ角は大きく、そして驚くほど軽く、そこだけなら自転車のようですらある。
レブルと同じ左サイドのシリンダーに刺さったキーを回し、イグニッションをON。元気良く目覚めるMC41改MC49Eエンジン(この長ったらしい呼び方は個人的に大好きである)。細身で軽量の車体はこのサイズの振動を馬鹿正直に乗り手へと伝えてくる。クラッチレバーは一瞬ワイヤーが切れてるんじゃないのかと疑うほど軽い。なんとアシスト&スリッパークラッチを採用しているとのこと。ミートポイントは明確だ。かなり深いがこの軽さならば丁度いい。低速の粘りも結構なもので、平地ならばクラッチだけでの発進も用意だ。
キャスター角の分しかレブルと変わらないロングホイールベースは定規を当てたように車体をまっすぐ進ませるし、パタパタと倒れる車体は軽やかに旋回する。サスペンションは必要十二分といえるほど素直だ。言ってしまうがこのフレームでは大仰なサスを奢ったところで扱いきれまい。
目立たないところではあるが、標準装備されているタンクパッドが効く。それこそ教習所から出てきたばかりの初心者を「基本ができているな! いいぞ!」と褒めるような位置に付いており、ここに合わせることで自然と綺麗なフォームになる。CL72オマージュという面もあるだろう。デザイン上でも良いアクセントになっていると思う。
NX400の時も感じたが、ニッシンのブレーキが大変に良い。鋭いというよりは柔らかだが速やかに制動力が立ち上がる。スタイルも名前もスクランブラーではあるが、走りの質感はオンロードのそれに近い。
これは正しいと思う。このバイクが想定するビギナーライダー、エントリーユーザー相手に姿勢の変化が大きいサスや制動制御の幅が広い(=ちゃんと握り込まないと効かない)ブレーキは手に余る部分がある。
実は登場してすぐにCL500の方も乗ったことがあるのだが、あちらはややブレーキに鷹揚さがあったと記憶している。その時は若干のオフ的な味付けなのかもしれないと感じていたが、あながち外れでもなさそうだ。
コンセプトモデルの頃はオリジナルに倣ってサイドを通していたエキパイは下を通してからサイドアップに収めている。ここにもヒートガード性のあるウェアを揃えていないであろう初心者への配慮が感じられるし、そのラインが古式ゆかしいクレードルフレームのようなシルエットを形成しているのも良い。500だと左右に張り出したエンジンと右尻に接近するエキパイの熱に若干の危機感を覚えたが、250はそれほどの熱もサイズもなく、この点においては心安らかだった。
当然といえば当然だが、500との最大の差異はエンジンだ。CL500は同様の車体に倍の排気量のエンジンを積んでおり、走り出せば全てがフッと羽のように消えてしまったかのようなスムーズな走りを実現していた。それに対してこの250のエンジンは賑やかだ。頑張っている。とにかく頑張っている。小排気量シングルらしく回せば回した分だけ頑張ってパワーを出している。だがそれをいじましいと感じさせない。回転の立ち上がりから空回り感がなくレブまでしっかり無駄なくパワーを出しているように感じる。しかしここまで全回転域振り絞って使うとなるとタコメーターが欲しい。初代リスペクトやレブルとの共用などの面もあるのだろうが……。
だが同時に、計器に頼らず感覚で操るほうがこのエンジン、そしてこのバイクには正解でもあろう。アクセルを捻る。エンジンが唸る。そしてバイクが前に進む。このごくごく当たり前のことが楽しい。もっと言うならば、それが楽しいものであると思い出させてくれる。おっかなびっくりのスロットルが、いつしか遠慮のない全開になっていった日々のことを。
なおここで現実を思い出させてくれるのがシートである。見た目に反してかなり薄い。尻がフレームの形を実感できるほどには。そして次にスピードメーターだ。速度は伸びない。24馬力はこの排気量としては決して非力なものではない。車重171kgも軽量とはいえないが取り立てて重いわけでもない。なのだが高速道路での巡航は80km/hくらいが妥当なところに思える。無論、各ギヤをしっかり使い切って回していけば高速道路の合流加速には十分なほどには出る。何しろ6速もあるのだから。ただその6速はほぼオーバードライブ設定で、シフトダウンしてもほぼエンブレは掛からない(A&Sクラッチの恩恵もあるだろうが、下の方では割と効く)。それでいてなお三桁の速度を載せようと思えばその先に待っているのはそこそこの風圧と分子分解されそうな振動との戦いだろう。他車の間を縫ったり押しのけたりの走りがしたいのであれば、このバイクはお呼びではない。いや、このバイクの方がお呼びではないというべきか。
このバイクには卓越した性能も、特筆に値する機能もない。
このバイクに乗った時に存在するのは、乗り手の心ひとつである。
だとすればこれは、この上なくビギナーライダー最初の1台にふさわしい。
バイクのある生活、バイク乗りになった自分、バイクがもたらす自由。
それを感じる心がそのまま走りに出てくる、そんなマシンだ。自分にステータスを与えてくれる機械ではなく、自分にバイクが必要だと感じた心に。
示された正解よりも自分の信じる道を選ぶ、そのための「スクランブラー」なのだと、僕には思えた。
要するに、
「レブルもいいけどこっちにもちょっと目を向けてくれると嬉しい」
そんなバイクです。
CBのオイル交換が終わり、僕は乗り換えて走り出した。
目指すはひと足早く秋を終わらせゆくいつもの山道。
あの頃と同じように、ひょっとしたあの頃よりもずっと弾む心で。
僕の後ろ姿は、あのライダーのように見えているだろうか。