ここから注目していきたいのは、〈わたし〉という意識が育まれるためには、「あなたはそこにいる」と応じてくれた他者がともかくも存在した、という事実の中にある関係性である。それは、「わたしがここにいる」ことの重みを感じ、労苦を引き受けてくれる他者の存在によって、自分の存在が確かなものとなる、そうしたケアと信頼と葛藤からなる関係性である。わたしが、〈わたし〉であるという意識をもつようになるのは、本当にあったのかどうかさえ定かではない、他者から受けたケア、つまり注視、気遣い、労苦、葛藤、そして愛情があったからこそ、なのだ。そのような他者がいたからこそ、〈わたし〉が生まれる。
わたしたちが、他者と別個の存在として、自らを意識する以前には、こうした過去が存在する。それは、すでにわたしたちの意識の外に放擲されてしまっているかもしれない、脆い記憶である。しかし、この記憶から始めることこそが、主体が構築されるまさにその瞬間に、なにが抹消され、その代わりに、どのような物語が政治的に捏造されてきたのかを考えることにつながるのである。