具体的な他者とのあいだに依存関係を結ぶものたちの居場所は、リベラルな社会が想定する公私二元論のどこにも存在しない。あたかも、ひとはすべて無力の状態で生まれ、そこには彼女・かれを見守り必要に応えてくれる誰かがいた事実をわたしたちが忘れ去っているかのように。リベラルな公私二元論を私の側から詳細にみてみると、具体的な他者とのあいだの呼応関係が存在する余地はないのだ。
というのも、リベラルな社会における公私二元論の根幹には、私的領域においてもすでに自由に自らにとっての善を構想する、自由な個人が存在するからである。リベラルな社会が依拠する公私二元論においては、私的領域こそが、もっとも自由な領域である。他者や外的・内的状況に依存する者たちは、公的領域から排除されたからといって、けっして単純に私的領域に追いやられたのではない。そこには、非常に巧妙な忘却の作用が働いている。