「深くかなしむこと、かなしみそのものをそこから政治が生まれてくるものへと変換することは、単なる受動性、あるいは権力に身を任せることではない。むしろ、かなしみによって、わたしたちは、この傷つきやすさにさらされる可能性の経験から、軍事的侵入、占領、突然宣言された戦争、残虐な治安を通じて他者が被っている傷つきやすさにさらされる可能性へと想いをいたらせることができるのである。わたしたちの存続がまさに、わたしたちが知らない者たち、決定的なコントロールが効かない者たちによって決定されるかもしれないことは、次のことを意味している。生はあやうさであり、したがって政治は、いかなる形態の社会的・政治的組織であれば、地球上に広がるこのあやうい生にもっともよいかたちで耐えようとするかを熟考すべきなのだ、と。」(ジュディス・バトラー)