平和研究会(2023.7.15/第百四十六回)

岡野八代『フェミニズムの政治学』

「深くかなしむこと、かなしみそのものをそこから政治が生まれてくるものへと変換することは、単なる受動性、あるいは権力に身を任せることではない。むしろ、かなしみによって、わたしたちは、この傷つきやすさにさらされる可能性の経験から、軍事的侵入、占領、突然宣言された戦争、残虐な治安を通じて他者が被っている傷つきやすさにさらされる可能性へと想いをいたらせることができるのである。わたしたちの存続がまさに、わたしたちが知らない者たち、決定的なコントロールが効かない者たちによって決定されるかもしれないことは、次のことを意味している。生はあやうさであり、したがって政治は、いかなる形態の社会的・政治的組織であれば、地球上に広がるこのあやうい生にもっともよいかたちで耐えようとするかを熟考すべきなのだ、と。」(ジュディス・バトラー)

「安全保障体制を越えて」

 安全保障=暴力=国家のトリアーデから生まれる暴力の連鎖を断ち切るために、「繕い」や「ケアの倫理」に着目するのは、それがフェミニズム理論において特徴的に見られる人間観や倫理観を表しているからだけではない。むしろ、筆者は、旧日本軍の〈慰安婦〉とされてしまった各国の女性たちの経験を目の当たりにし、彼女たちの正義への訴えに応えうる理論を求める途上で、「繕い」や「ケアの倫理」に出会った。〔…〕過剰に自己防衛的な自己が創造する政治的世界は、人間世界の傷つきやすさという「残酷な現実」を直視することができない。直視しないがゆえに、そこで破壊された、傷ついた人びとの生や関係性を修復しようと努力しない。
 わたしたちにまず必要なのは、現在の安全保障=暴力=国家のトリアーデの下で、かつてないほどわたしたちの世界は傷つきやすく、攻撃にさらされやすくなっている、ということに気づくことである。だが、その事実を確認することと、「だからこそより高度な安全保障を」と求めることは、別のことである。なぜなら、そうした求めはさらなる暴力を呼び起こすだけだからだ。わたしたちは、「暴力の自壊的な衝動」に抵抗しなければならない。
 〔…〕〈慰安婦〉にされた女性たちの経験から筆者が学んだことは、傷を被る以前の彼女たち、しかもこの世界をさっていった多くの女性たちの過去は取り返すことができない、という残酷な現実だ。しかし、取り返しのつかない暴力にさらされてしまった彼女たちの傷を注視することで、社会関係の中に彼女たちが再度足を踏み出し、参入していくための「現在」だけは、わたしたちにも想像し得る。確かに、1991年の金学順さんの最初の告発から二十年以上が経過し、金さんはじめ声をあげた多くの女性たちは亡くなってしまった。だからもう、彼女たちが現在の社会に足を踏み入れることなど不可能だ。しかし、何が彼女たちと加害者の間に起こったのかを記録し、そうした危害がなかったかのように思いなす現在の社会を変革することはまだ可能なのだ。〔…〕過去は取り戻せないかもしれないが、彼女たちに加えられた危害を社会的に認めさせ、そして忘れられないために、わたしたちもまた語り続けることを求められている。そして、二度とそうした暴力を許さない社会関係の在り方をわたしたちの手で紡いでいかなければならない。暴力を許さない人びとの関係性をしっかりと紡ぎなおしていくことは被害者たちを破壊された過去から新しい未来へと橋渡しする、修復のための社会の網の目を提供するはずなのだ。スペルマンはその意味で、被害回復のための作業を「繕う人びとのコミュニティの中で時間を与えること」と表現している。〔…〕修復的正義の要請は、まさに現在の法体系をも改革していくことで、深刻な被害を受けたものが再度他者との関係性を築き得る「現在」を創造することである。修復的正義には、これまでの社会において「不幸」だとして諦められてきたさまざまな侵害行為を不正として告発していく契機が含まれている。
 戦争犯罪や通常の犯罪を思い浮かべるまでもなく、実はわたしたちが日常生活で出会う些細な軋轢でさえ、正確に言えば、取り返しのつかない傷をわたしたちやわたしたちの社会に与えている。一度為されたことは、二度と元に戻すことができない。しかもこうした行為の不可逆性は、行為の予測不可能性といわばコインの両面をなしている。〔…〕
 あらかじめ不安を取り除くことで、かえって不安を高めるのではなく、万が一——それが起こってはならないことは言うまでもないが——の際、いかに社会が被害を修復できるか。この修復の可能性こそ、暴力の被害者となるかもしれない不安を和らげ、暴力に訴えることなく、暴力に抵抗する勇気が芽生えるはずである。そして、ケアの倫理に基づく正義に訴え、平和を維持する試みは、そのような勇気ある抵抗を可能にする社会を築こうとしている。
 現存する過去の傷と修復のニーズにしっかりと応えていくことで、過去に対するケアを怠ってきた現在の世界を変革することによってのみ、わたしたちは平和への遠い道のりに向かって一歩足を踏み出すことができる。

「安全保障体制を越えて」

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