平和研究会(2023.7.29/第百四十八回)

岡野八代『フェミニズムの政治学』

〔…〕生政治という観点からみた近代国民国家の政治の帰結に収容所が存在した歴史を真剣に受け止めるならば、人権に訴えるしか術がない者とは「まったき権利の存在しない状態」、すなわち野蛮な「荒野」に生きる者である。市民社会ではなく荒野に生きる者であるために、彼女たち・かれらは、「自ら助けることができない者」であり、「救済の対象者」としてのみ扱われる。そして、客体扱いされてしまうことで、彼女たち・かれらは「尊厳」を奪われ、さらにいっそう非 - 人間化されてしまう。〔…〕剥き出しの生のレヴェルにおける人びとの峻別は、再度バトラーを援用するならば、「生まれ」と国籍——政治的な資格——のあいだにある差異と隔たり、つまり差延が隠蔽されることがもたらす帰結なのである。

ケアから人権へ

〔…〕つまり、国民国家内で人権として保障されているものは、もはや人権ではない〔…〕より正確に言えば、既存の法体系や諸制度の内で基本的人権としてしっかり保障されている人権に関しては、わたしたちはそれを人権とは感じず、法 - 外の者とされたもの、あるいは人権保障のユニットである国家そのものが個人を侵害した場合に対するクレームや、国家がそれまで人権とは認識しなかった事柄に関する主張や要求についてのみ、それを人権への訴えだと認識する〔…〕すなわち、市民社会でこそ人権は尊重されるのだが、人権への訴えがなされるのは、実は市民社会の外部からであり、外部から市民社会へと訴えかけるからこそ、既存の市民社会を変革する力が人権にはあるのだ。〔…〕
 しかし、ここで注意が必要である。主に女性に対する暴力を社会問題化する運動の中から、女性の権利は人権であるという言葉を手にするまでには長い年月がかかったように、あるいは、旧日本軍の〈慰安婦〉にされた女性たちが、その尊厳の回復を訴えるまでに五十年近くを要したように、法・権利の外に遺棄され忘却されてきた者たちは、そもそも自分に関わるなにごとかについて、(国際)市民社会の内で声をあげることができない。ここに、人権が直面するアポリアを生み出すもうひとつの困難、そして最大の困難があるといえよう。それこそが第三のアポリアである、回復不可能な人権である。

ケアから人権へ

 人権は、あらゆるひとにとって究極で不可侵の普遍的な権利であるとされる。しかし、人権が「人類 humanity」「人間 human being」といった普遍的概念を喚起するために、わたしたちが見失いがちなのは、それは一人ひとり個別のわたしたちに備わっている、取り替えのきかないなにものかである、という事実である。それは尊厳と言い換えてもよいかもしれない。この当たり前の事実をわたしたちが真剣に受け止めるならば、人権はそもそも保障されることが不可能であることを決定づけられているように思われる。なぜならば、最も露骨な形で剥き出しの生にさらされてしまった者たち——収容所での「回教徒」と呼ばれたユダヤ人のように——は、語ることができないからだ。あたかも、アーレントが沈黙の世界として描いた強制収容所の死体工場のように、人権に訴えるしか術がない人びとは、人権に訴えるしか術がない状態へと遺棄されているがゆえに、人権を求める声をあげることができない。換言すれば、スピヴァクが『サバルタンは語ることができるか』以後、論じてきたように、「サバルタン」たちの声は聞き取られないだろうし、その声を現前させることも不可能なのだ。
 そうした状態は、「世界に対して法的にも社会的にも政治的にも関係を持つたない人間の死は、生き残った者にとってなんらの影響も残さないという意味において」殺人の挑発にも等しく、「たとえ人が彼女たちを殺しても、何人も不正を被らず苦しみさえ受けなかったかのように事は過ぎてしまう」のだ。沈黙への強制、言葉のない状態、それは死の宣告にも等しい。そして言うまでもなく、いったん死を宣告された者たちの人権は回復されない。なぜならば、沈黙しか残すことができなかった者(=剥き出しの生の権利さえ持たなかった者)たちが存在した、ということに気づくのは、彼女たちの「痕跡」に出会ったときでしかないからだ。彼女たちはもう存在しない。そして、彼女たちの人権も存在しない。

ケアから人権へ

〔…〕包摂をめざす議論は、人の属性による排除を克服しようとしてなお、正確に言えば、克服しようとするがゆえに、ある種の活動力や思考方法を抑圧・忘却しようとする。
 また、たとえ人権概念の普及によって、人びとのより具体的な権利に呼応しうる社会となったとしても、なお人権のアポリアが露呈されるような事象に対して応えようとしているとは言い難いのではないか。むしろ、アポリアが克服可能であると信じることは、人権は実現不可能であるからこそ手放してはならない概念である、ということがもつ緊張の中にある批判力を殺いでしまうのではないか。〔…〕
 さらに重要なことに、他者の声に承認を与えることとして人権を考えることは、承認の政治がヘーゲル論じるところの主人と奴隷の関係を中心に論じられてきた経緯からも明らかなように、承認に基づいた政治は抑圧と支配の関係から自由になることができない。承認は、承認する者たち――この場合は、市民社会に生きる市民権を持った者たち――によって行われる。あくまでも承認する側が主体であり、承認される側は対象・客体である。ときには批判的な反省を自らの価値に加えることがあったとしても、主体であるわたしたちの価値を基準として、客体である彼女たちの価値を測り、わたしたちにとって意味ある差異を提供しているのであれば包摂し、そうでなければ見向きもしない、あるいは排除する、といった選択権は、つねに主体であるわたしたちの手にあることには変わりがない。すなわち、承認する者たちの共同体でこそ普遍的な人権は存在し、かつ実現され、人権に訴えざるを得ない者たちの共同体には人権は存在しないという関係は、変化をすることなく固定されてしまっている。〔…〕
 では、承認の政治のように市民社会における主体(として認められた者たち)を特権化する政治とは異なる、人権に対するアプローチはあるのだろうか。また、実定法の領域内でのみ実現される人権という考え方に対抗し得る、人権の考え方はいかにして可能なのだろうか。人権をめぐるアポリアを真剣に受け止めたかたちでの、人権の概念は存在するのだろうか。
 それは、「アポリア」を克服することを目指す方向をとらずに、「アポリア」のなかにとどまり続けることである。〔…〕アーレントはかつて、人権とは何かを考える際に、人権が否定されることで何が奪われてしまったのかを考えなければならない、と論じていた。アーレントのこの言葉は、次のように言い換えることができるだろう。一人ひとりの中でなにかが奪われてしまった。奪われてしまってから、わたしたちはそれはそのひとの人権が否定されていたためだと気づく。しかし、人権が認められないがゆえに、奪われてしまったものは、決して取り返しがつかない。アンドレア・ドゥオーキンがはっきりと述べているように、そこには「痕跡」のみが残されている。
 人権は、確かにわたしたちの理解を超えるものではあるのだが、それでもなお、わたしたち一人ひとりに備わったものである。つまり人権は、普遍的であると同時に個別的であり、一人ひとりの人権が比較考量されたり交換されたりすることを拒んでいる。何ものにも比較され得ない、この比類のなさこそが、人権を国民国家内で実現され得るものとして考えることを不可能にしているともいえる。実定法において規定される権利が、厳格な意味において人権でないのは、この比類のなさ、無限定性、そして人類の歴史の中で、わたしたちがまったく想像も及ばない多くのひとたちから奪われてきたものこそが人権だからである。したがって、再度バトラーに立ち戻ってみれば、人権のもつ普遍性は、「いまだに分節化されていない」点にこそあり、「普遍によっていまだに「現実化されていない」ものが、普遍を本質的に構成している。」

ケアから人権へ

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