〔…〕生政治という観点からみた近代国民国家の政治の帰結に収容所が存在した歴史を真剣に受け止めるならば、人権に訴えるしか術がない者とは「まったき権利の存在しない状態」、すなわち野蛮な「荒野」に生きる者である。市民社会ではなく荒野に生きる者であるために、彼女たち・かれらは、「自ら助けることができない者」であり、「救済の対象者」としてのみ扱われる。そして、客体扱いされてしまうことで、彼女たち・かれらは「尊厳」を奪われ、さらにいっそう非 - 人間化されてしまう。〔…〕剥き出しの生のレヴェルにおける人びとの峻別は、再度バトラーを援用するならば、「生まれ」と国籍——政治的な資格——のあいだにある差異と隔たり、つまり差延が隠蔽されることがもたらす帰結なのである。