「人間なら倒せる」

『3月のライオン』の17巻の話がしたい

『3月のライオン』の話はずっとしたいが…
人生で一番感銘を受け続けている物語です。

17巻の最後、島田さんが「人間なら倒せる」と言ってその話は終わる。
これって、後々『3月のライオン』のタイトル回収にも響きそうなセリフじゃないですか?
物語自体が持つ「棋士」と「人間」の対比・境界がここに来て一変するというか。

私は「神格化」(=憧れ)と「人間臭さ」の表裏一体の関係に並々ならぬ感情を抱いているのですが、この「人間なら倒せる」は最たるものですね。
16〜17巻にかけて桐山とひなた、桐山と二階堂の関係を通して描いてきたものを否定するかのように放たれるこのセリフ。
作中、度々「神様」や「天国」などといった言葉が登場します。将棋と下町人情が舞台の漫画でこの言葉たちがどのような意味を持つのか。
登場人物の描写がこれでもかと丁寧に進められてきた中で、「神様」と「人間」の構図に変換されるのはとんでもなく美しい。

『3月のライオン』は食事や料理の描写にもこだわっていて、かなり俗世的で生活に寄り添った物語でもあります。17巻はあかりさんを通してそれが丁寧に描かれるのですが、その物語に棋士たちのプライド・情熱が同居しているのがすごい。

将棋がわからない私からしたらプロ棋士たちは神様のように見える。
でも、家族や生活から離れ将棋に打ち込むプロ棋士たちからすると、他人と関わり合って日々の生活を営む方が手の届かないものだという。

あとがきで羽海野先生が「この物語も終わりに向かっている」(意訳)と仰っていて、悲しくもありますがこの物語に全身を預ける覚悟ができました。

何度も何度も救われて衝撃を受け続けているこの物語が、ここにきてもこんなに心に爪痕を残すのかとワクワクしてなりません。
一生『3月のライオン』の話をしていたいです…

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